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映画「ヒットマン」ネタバレ考察&解説 ラストの二人は、まるでフロイトが提唱する”イド”の体現者!前半は文句なく面白いが、後半の展開は賛否両論ありそうなクライムコメディ!

映画「ヒットマン」を観た。

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ビフォア・サンセット」「ビフォア・ミッドナイト」シリーズや、「6才のボクが、大人になるまで。」などのリチャード・リンクレイター監督がメガホンを取ったクライムコメディ。1990年代に偽の殺し屋として警察のおとり捜査に協力していた人物の実話をもとにした作品で、主演のグレン・パウエルがリンクレイター監督と共に脚本も手がけている。出演は「トップガン マーヴェリック」で一躍有名になって以降、「恋するプリテンダー」「ツイスターズ」などで今やハリウッドで引く手あまたのグレン・パウエル、「モービウス」のアドリア・アルホナ、「エブリバディ・ウォンツ・サム!! 世界はボクらの手の中に」のオースティン・アメリオ、「グッド・ボーイズ」のレタなど。今回もネタバレありで感想を書いていきたい。

 

監督:リチャード・リンクレイター
出演:グレン・パウエル、アドリア・アルホナ、オースティン・アメリオ、レタ
日本公開:2024年

 

あらすじ

ニューオーリンズで2匹の猫と静かに暮らすゲイリー・ジョンソンは大学で心理学と哲学を教える一方、地元警察に技術スタッフとして協力していた。ある日、おとり捜査で殺し屋役となるはずの警官が職務停止となり、ゲイリーが急きょ代わりを務めることになるが、その局面を上手く乗り切ることによって見事逮捕に繋げる。その後もさまざまな姿や人格になりきる才能を思いがけず発揮したゲイリーは、偽の殺し屋を演じて警察の捜査に協力することになる。そんなある時、マディソンという女性が夫の殺害を依頼してくるが、支配的な夫との生活に傷つき、追い詰められた様子の彼女に、ゲイリーは思わず手を差し伸べる。この出会いで2人は恋に落ちるが、後日マディソンの夫が何者かに殺害されたことにより、彼らの状況は大きく変わっていく。

 

 

感想&解説

本作は「トップガン マーヴェリック」のハングマン役で一躍有名になって以降、「恋するプリテンダー」「ツイスターズ」と大ヒット作の主演スターとして頭角を現してきたグレン・パウエルと、「恋人までの距離(ディスタンス)」「ビフォア・サンセット」「ビフォア・ミッドナイト」の大人の恋愛三部作や、「スクール・オブ・ロック」「6才のボクが、大人になるまで。」などのコメディドラマを手掛けてきた、リチャード・リンクレイター監督がタッグを組んだクライムコメディだ。グレン・パウエル演じる主人公ゲイリー・ジョンソンは大学教授なのだが、警察のおとり捜査で”殺し屋”として依頼人に会うことで、その依頼人を検挙しているという人物なのだが、日本ではにわかには信じられない設定だ。ところが映画冒頭に、「ゲイリー・ジョンソンの人生に着想を得た、やや本当の話」と表示されるように、この冒頭部分はなんと実話ベースなのである。

序盤は大学で心理学や哲学を教えていたゲイリーが、依頼人を事前リサーチすることで彼らの趣味に合わせて、殺し屋キャラクターを演じ分けるという展開になるのだが、この前半パートが非常に面白い。基本的には軽いタッチのクライムコメディとして、コスプレをしたゲイリーと依頼人との掛け合いを楽しく鑑賞できるのだが、これはゲイリーが金や怨恨のために殺人を依頼してくる犯罪者を検挙するという立場なので、それを素直に応援できるからだ。時にはスーツでカッチリと決め、時にはレザーのロングコートに長髪で殺し屋風を装い、時にはサイコパス殺人者のように奇妙な髪型でスクリーンに現れるグレン・パウエルの姿はそれだけで楽しい。ただスターとしての華があるので基本的にどんな格好でもカッコいいし、サマになっているのである。劇中で”記憶に残らない顔”だと言われるシーンがあるが、変装しているとはいえイケメンのグレン・パウエルに対してこのセリフは納得しにくい。

 

だがそこに夫殺しの依頼人であるアドリア・アルホナ演じる「マディソン」が現れることによって、映画は次のフェイズに移っていく。マディソンの前のゲイリーは「ロン」という正統派のイケメンキャラクターだ。殺し屋としてのミステリアスな雰囲気とワイルドさ、そして頼りがいがありクールな佇まいのロンが、殺人依頼を事前に食い止め、夫との離婚を勧めるという紳士的な行動を取ったことで、マディソンはあっという間に恋に落ちる。そしてゲイリーも美しくも社交的なマディソンに惹かれていくのだ。ただしこの進展によって、ゲイリーはマディソンの前では常に”殺し屋ロン”を演じることになり、いわゆる”なりすまし恋愛コメディ”としての展開になっていく。そして、この恋愛劇から本作は完全にフィクションになっていくのだが、それと同時に荒唐無稽の度合いが上がっていく。ちなみに監督いわく殺し屋を演じているシーンは「セルピコ」、大学教授の時は「いまを生きる」、そして中盤以降のベッドシーンは「ナインハーフ」のイメージでそれらをマッシュアップしたらしい。

 

 

ここからネタバレになるが、キャビンアテンダントの”コスプレプレイ”などによってますます愛を深めていくロンとマディソンだったが、クラブの帰り道でマディソンの旦那と遭遇してしまい絡まれたこと、さらにその同日に警察のライバル関係であるジャスパーにデートを見られたことにより、二人の運命は大きく変わっていく。旦那から殺人依頼を受けてしまったロンが、その事実をマディソンに伝えたことによって、マディソンは逆に旦那を殺してしまうのである。しかもその後の調べによって、マディソンは夫の保険金を吊り上げていたことが発覚する。驚いたロンは自分がおとり捜査官であることをマディソンに暴露し、二人を怪しんでいるジャスパーは彼らを罠にハメようと画策してくるという展開になるのだ。作中でも「快感原則」に従って機能する”イド”、道徳的な考えから善悪を判断したり理想を求めて行動する”スーパーエゴ”、イドやスーパーエゴの調整役としての”エゴ”という、フロイトの提唱した3つの領域の話が語られていたが、最終的にゲイリーとマディソンはまるで”イド”のように自分の欲求のままに行動していくのである。

 

ここからの展開には正直、納得できない点が多い。マディソンはジャスパーのビールに薬を入れて動けなくしておいた上で、ゲイリーが袋によって窒息死させて殺してしまうのだ。警察のおとり捜査で殺し屋を演じていただけだったゲイリーは本当の殺人者になり、保険金を上げた上に元夫を拳銃で殺したマディソンもまったく罪に問われないのである。もちろん殺されたジャスパーも彼らを恐喝して金を取ろうとしていた犯罪者には違いないが、殺人まで犯しておいて、二人で子供まで産んでのハッピーエンドというのはあまりに胸糞だ。これではゲイリーは悪女マディソンに出会ってしまったばかりに、悪の道に引きずり込まれてしまった主人公であり、自分の目的や幸せのためには邪魔者を排除するという”邪悪な人物”に見えてしまう。序盤に感じた、嬉々として偽ヒットマンを演じていた魅力的な主人公像から大きくかけ離れてしまうのである。本作の主題である”本当の自分”とは、このラストシーンから受ける印象では利己的な殺人犯になってしまうのだ。

 

さらにマディソンを旦那殺しで疑っていたジャスパーを、自殺に見せかけて殺すというプランも無理があるし、その後にゲイリーと結婚する流れも流石に怪しまれるのではないだろうか?少なくてもマディソンの周りでは短期間に人が死に過ぎるているし、実際に彼女も殺人に関与しているのだから、これで”めでたしめでたし”では困ってしまう。実在するゲイリー・ジョンソンは2022年に亡くなっているらしく、それゆえにこの脚本でも製作が進められたのかもしれないが、グレン・パウエルが魅力的に主人公を演じているが故に、エンディングで小さな子供たちの前で無邪気にのろけ合う二人の姿は、倫理観としてさすがに問題がある気がする。彼らは人命よりも自分たちの利益を優先させた”人殺し”なのだ。もちろん正しいことだけを描くばかりが映画ではないのだが、この作品の主人公たちは行き当たりばったりで犯罪を犯しておいて、まるでそれが良き事のように描かれているので、クライムコメディとしてもこのエンディングは笑えない気がする。

 

冒頭の依頼人との死体の処理方法をとっさに返せるやりとりで、ゲイリーの非凡さを表現する流れは見事だったし、平凡な車に乗って野鳥を愛する非マッチョな大学講師が、クールでワイルドな殺し屋になりきることで愛する女性を手に入れ、最後は”ありのまま”の自分を受け入れてもらうという話自体は、現代的で面白かったのだが、せめて殺人ではなく他の方法で解決してほしかった本作。あとゲイリーが飼ってた猫のエゴとイドはどこへ行ってしまったのだろうか?マディソンは猫嫌いだったが、そこまで奥さんの趣味に迎合する必要があるのか?とここでも悲しくなってしまう。前半は文句なく面白く後半にかけて失速したイメージだったが、グレン・パウエルの七変化も含めてつまらない映画ではないと思う。リチャード・リンクレイター監督の軽やかなコメディ色にグレン・パウエルは相性が良いと思うので、ぜひこのタッグの次回作を観てみたいと感じさせる一作であった。

 

 

6.0点(10点満点)