映画「Cloud クラウド」を観た。
「スウィートホーム」「CURE」「回路」「トウキョウソナタ」「散歩する侵略者」「クリーピー 偽りの隣人」など、1980年代から幾多の傑作を送り出しながら、今年も「蛇の道」「Chime」と精力的に新作を発表しつづけている黒沢清監督の2024年公開3作目となるサスペンススリラー。出演は「花束みたいな恋をした」「ミステリと言う勿れ」の主演や「君たちはどう生きるか」の声優などでも大活躍中の菅田将暉の他、「メタモルフォーゼの縁側」の古川琴音、「ヴィレッジ」の奥平大兼、「帝一の國」の岡山天音、「嫌われ松子の一生」の荒川良々、「東京喰種 トーキョーグール」の窪田正孝など豪華名優たちが脇を固めている。転売を生業とする男が、ある日を境に命を狙われる恐怖を描いた作品だ。第97回アカデミー賞では国際長編映画賞の日本代表作品に選出されている。今回もネタバレありで感想を書いていきたい。
監督:黒沢清
出演:菅田将暉、古川琴音、奥平大兼、岡山天音、荒川良々、窪田正孝
日本公開:2024年
あらすじ
町工場で働きながら転売屋として日銭を稼ぐ吉井良介は、転売について教わった高専の先輩である村岡からの儲け話には乗らず、コツコツと転売を続けていた。ある日、吉井は勤務先の社長である滝本から管理職への昇進を打診されるが、断って辞職を決意。郊外の湖畔に事務所兼自宅を借りて、恋人の秋子との新生活をスタートさせる。地元の若者・佐野を雇って転売業は軌道に乗り始めるが、そんな矢先、吉井の周囲で不審な出来事が相次ぐように。吉井が自覚のないままばらまいた憎悪の種はネット社会の闇を吸って急成長を遂げ、どす黒い集団狂気へとエスカレート。得体の知れない集団による“狩りゲーム”の標的となった吉井の日常は急激に破壊されていく。
感想&解説
これぞ黒沢清の作品という感じで、とてつもなく"変な作品"だ。特に前半と後半ではガラッと映画のジャンルが変わり驚かされる。ただ過去の黒沢清作品のどれにも似ていない作風で、本当に風変わりな映画だと言える。ただし特に前半はまったく物語がどこに行くのかの予想が付かず、かなり面白いのは間違いない。冒頭から転売屋である菅田将暉演じる吉井良介が、健康器具を工場の夫婦から買い叩いており荒稼ぎしている様子が描写され、吉井はほとんど人の心を持たない冷徹な男のようだが、恋人の秋子の前だけは素の自分を出しているように見える。ちなみにピンク映画である「神田川淫乱戦争」で映画監督としてデビューした黒沢清の監督第二作「ドレミファ娘の血は騒ぐ」のヒロインが、まったく同じ字の「秋子」であり、ここにはなにか監督としての原点回帰的な意味合いがあるのかもしれない。
吉井は同じ転売屋の先輩である、窪田正孝演じる村岡からの胡散臭い儲け話や、勤務先であるクリーニング店社長の滝本からの昇進の誘いを断り、自らの”計画”を実行に移していく。秋子と共に群馬県に事務所兼自宅を借りて、佐野という助手を雇い、そこで転売活動を活性化させていくのだ。だが何者かに外から車の部品を投げ入れ窓ガラスを割られたり、警察に偽物のバッグを売り捌いてることを疑われたりして、段々と吉井のビジネスは上手くいかなくなっていく。そんな吉井は荷物出荷のために出かけた東京で村岡と遭遇し、思わず彼に「助手になりませんか?」とマウントを取ってしまう。一方、吉井のハンドルネーム「ラーテル」から偽物のブランドバッグを購入して転売した三宅という男は、全部それらが偽物だったことがバレて袋叩きに遭うが、WEBの匿名掲示板でラーテルに恨みを持っている人たちがたくさんいる事を知り、三宅は彼らと共に吉井の殺害計画を立てていくというのが、おおよそ中盤までの流れだ。
それにしても本作は、黒沢清の”アメリカ映画”好きが炸裂していると思う。ここからネタバレになるが、序盤の吉井がバイクに乗っている時にワイヤーで首を切られそうになる場面は、リドリー・スコット監督の2013年「悪の法則」において全く同じシーンがあったし、拉致された吉井を助けにきた佐野と、”ゲーム感覚”で人を殺す設定の荒川良々演じる滝本や窪田正孝演じる村岡たちとのラストの銃撃戦は、ハーヴェイ・ハート監督の1976年「コンバット・恐怖の人間狩り」や近作でもクレイグ・ゾベル監督の「ザ・ハント」などの”マンハント映画”として多くの類似作品がある。このゲーム感覚で人殺しを行うことでテンションが上がってしまう男たちというのがミソで、大概は少人数の”狩られる方”が勝利する展開が定番だ。また囚われの人物を単身で救いにいくという展開も”西部劇”的だし、50~60年代のフィルムノワールでよく見られた”ファム・ファタール”と呼ばれる悪女の存在も本作では踏襲しており、この「Cloud クラウド」は日本映画でありながら”アメリカ映画”の要素をふんだんに取り入れ、黒沢清流の銃撃アクション映画をやりたかったのではないかと思う。
その中でもやはり本作のポイントは、奥平大兼演じる”佐野”という青年だろう。特に後半の展開は彼が全てをかっさらっていってしまう。最初こそ東京に行くも仕事が続かない、ただのバイトくんとして登場するのだが、彼が自動車の部品を窓に放り投げた”後輩”を捕まえたシーンですでに最初の違和感がある。その後輩は一見何もされていないのに、佐野に対して異常に恐怖しているのだ。この時点でこの佐野という男には”何かある”と思ってしまう。そしてそれが確信に変わるのが、松重豊演じる”謎の男”に銃を手配してもらうシーンだ。この時の「金は後からで良いですか?」という佐野の問いかけに、「信頼してるんで大丈夫です」と答える様子に、佐野とこの男の深い関係が見え隠れする。その後の”組織”という言葉や「会長によろしく」などのやり取りから、佐野は反社か裏組織の人間だったのだろう。GPSを逆探知して、簡単に人を殺していく彼の姿は完全にヒットマンだからだ。
そしてもう一段階思考を進めると、実はこの佐野という男が事件の全てをコントロールしていたのではないかとも思う。彼がなぜ吉井をここまで助けるのか?の説明はこの作品の中では一切ないのだが、吉井をもっとサポートしたいと申し出るシーンでは、逆に「信頼関係がなくなった」と告げられ、彼は一旦クビになってしまう。そんな相手に対して、佐野は最後まで吉井の側を離れない。フィギュアが売れたことを喜ぶ吉井を褒めたあと、秋子が分かりやすく隠し持った銃で吉井に対して引き金を引く終盤の場面でも、彼は躊躇なく秋子を撃ち殺すのだ。そして佐野は全ての死体を処理してくれる。その後に二人は車に乗り込み、「吉井さんは金儲けのことだけ考えていてくれればいい。あとのことは全部俺がやりますから。きっと世界の人を破滅させられるものも手に入ります。」と告げる。そんな佐野に対して、「ここが地獄の入り口か」と呟き、映画はエンドクレジットに突入するのだ。
このラストシーンは、他のシーンと比較しても断トツに”フィクショナル”だ。黒沢清作品特有のスクリーン・プロセスで合成された背景が登場し、この世のものとは思えない場所を二人は走っている。この佐野という男は、いわゆる”誘惑の悪魔”だ。吉井が行う法外な金額の転売という非合法な行いに対して、全てをサポートし守り欲しいものは全て手に入れてくれる存在は、普通あり得ない。彼は殺人さえ行ってくれるのである。だがこの誘惑の悪魔はそれを可能にするのである。この実は自分を誘惑してくるキャラクターが「メフィスト(悪魔)」だったというテーマもアメリカ映画では非常によくあるもので、例えばアラン・パーカー監督による1987年日本公開作「エンゼル・ハート」や、テイラー・ハックフォード監督による1998年日本公開作「ディアボロス/悪魔の扉」などは特に有名だ。あくまで考察になるが、実は最初から佐野が裏で全て手を引いていて、関係者を全て殺した後で吉井を”地獄”に引き連り込んだのではないだろうか。このラストの展開も含めて、黒沢清監督の”アメリカ映画愛”が感じられるのである。
日本の経済活動の中で搾取しまくられる登場人物たちによる、アクションスリラーだった本作。黒沢清監督じゃなければ撮れない作品だと思うし、今の日本でガンアクション映画と撮るという心意気は素晴らしいと思う。ただ個人的には前半のスリラー展開が圧倒的に面白過ぎて、スリラーとしてラストまで突っ切ってほしかったというのも事実だ。やはり黒沢清監督はホラー演出が上手く、バスで吉井と秋子の背後に誰かが立っているシーンのゾクッとする感じや、突然部屋が停電になるシーンの恐怖感は格別だ。前作の「Chime/チャイム」が途轍もない傑作だったが、改めて黒沢清監督の長編ホラーが観たい。来年以降も新作を撮ってくれると思うので、楽しみに待ちたいと思う。
7.0点(10点満点)