映画「グラディエーター2 英雄を呼ぶ声」を観た。
巨匠リドリー・スコットが前作に続いて監督を務めた、24年ぶり「グラディエーター」の正統続編。脚本は「ナポレオン」「ゲティ家の身代金」でタッグを組んでいるデビッド・スカルパが担当。前作はアカデミー賞で「作品賞」「主演男優賞」など5部門を受賞した傑作で、主演をラッセル・クロウが務めていた。今作の主人公となるルシアスは、ラッセル・クロウが演じた前作の主人公マキシマスの息子という設定で、古代ローマを舞台に剣闘士(グラディエーター)として戦いに挑む男の姿を描いたアクション映画だ。レーティングは「R15+」だ。指定出演は「aftersun アフターサン」でアカデミー賞にノミネートされたポール・メスカル、「マルコムX」「トレーニング デイ」のデンゼル・ワシントン、「ビール・ストリートの恋人たち」のペドロ・パスカル、「ワンダーウーマン」「グラディエーター」のコニー・ニールセン、「クワイエット・プレイス DAY 1」のジョセフ・クインら。今回もネタバレありで感想を書いていきたい。
監督:リドリー・スコット
出演:ポール・メスカル、デンゼル・ワシントン、ペドロ・パスカル、コニー・ニールセン、ジョセフ・クイン
日本公開:2024年
あらすじ
将軍アカシウス率いるローマ帝国軍の侵攻により、愛する妻を殺された男ルシアス。すべてを失い、アカシウスへの復讐を胸に誓う彼は、マクリヌスという謎の男と出会う。ルシアスの心のなかで燃え盛る怒りに目をつけたマクリヌスの導きによって、ルシアスはローマへと赴き、マクリヌスが所有する剣闘士となり、力のみが物を言うコロセウムで待ち受ける戦いへと踏み出していく。
感想&解説
「グラディエーター2 英雄を呼ぶ声」は、思った以上に前作「グラディエーター」の正統派続編なので、確実に前作は観ておいた方がいいだろう。前作の概要としては、ラッセル・クロウ演じるマキシマス将軍が、数々の功績を上げてきた勇敢かつ謙虚な人物であるがゆえに、皇帝マルクス・アウレリウスに王位を譲られようとするが、嫉妬したホアキン・フェニックス演じる皇帝の実子コモデゥスによってアウレリウスは殺され、マキシマスも妻子を殺されたうえに捕えられてしまう。そして奴隷剣闘士(グラディエーター)となったマキシマスは、ローマのコロッセウムで戦い勝ち続けることで民衆を味方に付けていき、遂には宿敵コモドゥスと一騎打ちをすることになる。だが、事前に負わされていた傷のせいでコモデュスを殺したあと、マキシマスは命を散らせてしまうというストーリーだ。その中でルッシラというコモドゥスの姉がいるのだが、彼女は今回ペドロ・パスカル演じるアカシウス将軍の妻という役どころで再登場し、前作と本作を繋ぐ重要なポジションを担っている。
映画冒頭、本作の主人公であるポール・メスカス演じるルシアスとその妻アリサットは深く愛し合っているが、彼らが住むアフリカ大陸のヌミディアにローマ帝国軍のアカシウス将軍が侵攻してきたことによって、妻アリサットを亡くしルシアスは奴隷としてローマに連れてこられるというシーンが描かれる。そこでルシアスはデンゼル・ワシントン演じる奴隷商人のマクリヌスに気に入られたことから、暴君である双子の皇帝ゲタとカラカラの前で剣闘士として戦わされ、妻を殺したアカシウスへの復讐の為、勝利を続ける。そしてアカシウス将軍の妻であるルッシラは、コロシアムで戦うルシアスの姿から、危険を避けるために辺境の地へ送った、亡きマキシマスと自分の息子であることを確信していく。その一方で、ローマ市民を顧みない双子の皇帝ゲタとカラカラへの不満が溜まったアカシウス将軍による、双子の皇帝への”反逆計画”が進行していく、というのが中盤までの流れになっていく。
前作は非常にシンプルな話だったが、今回は複数のキャラクターの行動を描いた作品になていて、あえて前作とはコンセプトを変えているのだと思う。主人公ルシアスと暴君である双子の皇帝、腹に一物かかえた奴隷商人のマクリヌスと皇帝に反逆を企てるアカシウス将軍という、それぞれのキャラクターの思惑がどのように展開していくのか?を予想しながら鑑賞する映画になっているのだ。その中でもやはりマクリヌスというキャラクターは魅力的だ。デンゼル・ワシントンが演じていることが大きいのだろうが、完全に皇帝であるゲタ&カラカラを手玉に取りながら、自分の計画を遂行していく姿は悪役ながら惚れ惚れしてしまう。ここからネタバレになるが、アカシウス将軍の皇帝への反乱はスパイの密告によって露呈し、アカシウス将軍はルシアスと戦うことになるが、とどめを刺さないルシアスに反してアカシウスはゲタの命令により衛兵の弓で殺される。ルシアスは「こんなことが許されるのか?」と呼びかけることで市民の暴動が起き、マクリヌスはカラカラ帝に嘘を吹き込むことでゲタ帝を殺害する。そしてマクリヌスは無能のカラカラを差し置いて、事実上、国の支配の実権を握ることになるのだ。
本作におけるこの”マクリヌス”というキャラは、「『暴力』、それが共通言語だ」と口にしながら、この世界における戦争の仕組みをコントロールしている”ゲームマスター”だ。自らも奴隷であった過去を持ちながら戦争に敗れた国から戦士を買い取り、グラディエーターとして育て、皇帝とローマ市民に剣闘という”娯楽”を提供して金を稼いでいる。戦いをビジネスにしている男であり、それによって成り上がろうとしている男なのだ。ルシアスの持つ”怒り”をいち早く見抜くのもこのマクリヌスであり、どの駒をどう動かせば勝てるかをいつも考えている人物だ。立身出世を虎視眈々と狙いながら、表面上は無能で凶悪な皇帝に従順なふりをして、嘘で兄弟を引き裂いてはゲタの首を切り落とす。そしてカラカラが溺愛する猿を役職に置くことで、事実上自らが皇帝の権力を握っていく。ルッシラを公開処刑して民衆の暴動を煽り、それを納める形でカラカラの首を跳ねるという計画も、ルシアスの反乱がなければ上手くいっていたに違いない。前作「グラディエーター」は勧善懲悪のシンプルで、それゆえにカタルシスの強い傑作だったが、この続編は巧みにそれを変化させている。むしろ「個VS個」「善と悪」という単純な戦いではなく、利権によって”戦争が起こる仕組み”を描こうとしているようだ。絶対的な体制が崩れ、暴力とビジネスによって成り上がってきた男が、民衆と奴隷をコントロールしながら昇りつめていく様は、ローマ時代だけの話ではないだろう。この2024年という時代に、リドリー・スコット監督が「グラディエーター」の続編を公開した意味は、ここにある気がする。
だからこそマクリヌスの指を切り腹を割いて水に沈めた後、ルシアスは弱き者を助け暴力に依存しない、よりよい国家を作ろうと宣言し、兵士たちの喝采を受けるというラストシーンに繋がっていく。あのラストシーンは今のリドリー・スコットの理想の光景と同時に、世界に向けた作り手からのメッセージなのだと思う。そして亡き父親を想い、前作のオープニングと同じく稲穂を手で触れながら歩くシーンで、この映画はエンドクレジットを迎える。前作が公開されたのが2000年なので約24年前だが、その間に世界は激変した。この「グラディエーター2」は最初から最後まで、ひたすらバトルシーンが続く作品だ。そして”死のイメージ”が幾度も重ねられる。ルシアスが何度も見る河は”三途の川”であり、序盤のシーンでは妻アリサットの後ろ姿を見送る。この映画は首を切られたり、腕を切られたりと必要以上に生々しく暴力を描いてくる。それは「戦争による死と暴力」を濃密に描くことが、この映画のテーマに直結するからだと思う。
終盤では、ルッシラからルシアスが父マキシマスの指輪を受け取るシーンがあるが、本作は指輪が繋ぐ物語とも言える。父親の意志を継ぐ息子が、父親の武具で最後の戦いに臨むシーンは否応なく燃える。そして正直、前作よりもファンタジー色は強いと言えるだろう。その代表格はルシアスが戦うクリーチャーたちだ。前作ではトラと戦うシーンがあったが、なんと本作では巨大サルやサイ、サメなどと対峙することになる。流石にコロシアムに水を入れて、そこに船で繰り出す展開には唖然とさせられたが、人間だけの戦いでは起伏がつけられなかったのだろう。このあたりのアクション映画としてのケレンはノレない人にはノレないだろうが、個人的には楽しませてもらった。描かれるテーマが重いだけに、これくらいの娯楽性があった方がバランスよく鑑賞できる。上映時間は148分と長めだが、この作品においては編集のテンポも良く、飽きるシーンが無いのも特徴だろう。
冒頭の絵画風のタッチで前作の流れをおさらいしてくれるシーンから最後まで、映像作品としてのクオリティは恐ろしくレベルが高い。これは流石、リドリー・スコット監督の面目躍如だろう。セットから小道具、エキストラの衣装の細部まで、完全に作り込まれた世界観で構築されている。だからこそ本作は、間違いなく劇場鑑賞に適した作品だと思う。デンゼル・ワシントン以外にも、ポール・メスカルやペドロ・パスカルは、剣闘士として説得力のある演技と身体作りをしていたし、コニー・ニールセンは時間を感じさせない美しさでスクリーンを彩っていたと思う。何しろ本作では彼女が唯一のヒロインなのだ。どうやら三作目の構想もあるらしいが、この24年ぶりの新作は「グラディエーター」というテーマを上手く活用しながら、今だからこそ語るべきストーリーをしっかりと語り、娯楽映画としてもバランスの良い一作に仕上がっていたと思う。それにしてもリドリー・スコットは86歳らしいが、また来年くらいに新作が観れるのだろう。次回作も期待しかない。
8.0点(10点満点)