映画「ロボット・ドリームズ」を観た。
スペインの映画賞であるゴヤ賞にて最多10部門を受賞した「ブランカニエベス」に続き、スペインのパブロ・ベルヘル監督が初めて手がけた長編2Dアニメーション映画。アメリカの作家サラ・バロンによる同名グラフィックノベルを原作にしている。2024年第96回アカデミー賞では「長編アニメーション賞」にノミネートされ(受賞は宮崎駿監督の「君たちはどう生きるか」)、アニー賞、ヨーロッパ映画賞、ゴヤ賞などの名立たる映画賞を席巻している作品だ。80年代のニューヨークを舞台に犬とロボットが織りなす友情と愛情を、セリフやナレーションをまったく使わないで描いている。今回もネタバレありで感想を書いていきたい。
監督:パブロ・ベルヘル
日本公開:2024年
あらすじ
ニューヨーク、マンハッタン。深い孤独を抱えるドッグは自分の友人にするためにロボットを作り、友情を深めていく。夏になるとドッグとロボットは海水浴へ出かけるが、ロボットが錆びついて動けなくなってしまう。どうにかロボットを修理しようとするドッグだったが、海水浴場はロボットを置いたままシーズンオフで閉鎖され、2人は離ればなれになってしまう。
感想&解説
あまりにレビューや評論家の評価が高い作品だったので、ぜひ映画館で観たいと思い鑑賞してきたが、噂にたがわず本当に素晴らしい映画だった。シンプルな作画でありながらも映画の中で描かれる情報量は膨大で、上映時間102分の間、文字通りスクリーンから目が離せない。”ドッグ”や”ロボット”という極端に抽象化されたネーミングのキャラクターたちが、観ているうちに本当に愛おしくなるのだ。スペイン出身のパブロ・ベルヘル監督が2010年ごろに原作のグラフィックノベルを読み、「ブランカニエベス」などの製作を経てから再び原作を読み直したところ感動し、2018年からアニメーション作品として作り始めたらしいのだが、完全にセリフやナレーションを廃することで、キャラクターや背景の動きと音楽だけで映画全体が演出されている。だが登場キャラの感情は痛いほど伝わってくるし、むしろシンプルな画だからこそ、目や身体の動きだけで見事に感情が表現できているのだ。
まず冒頭のドッグが一人でテレビを観ているシーンから、グッと心が掴まれる。暗い部屋の中でテレビをザッピングしながらレトルト食品を食べる場面だが、本当にこのシーンの目線の配り方や食べている動きだけでドッグの孤独が伝わってくるのだ。と同時に、自分の同じような経験をも思い出してしまい、心が締め付けられる。ストローの先を咥えようとふと目線を向けた先の窓には、同じようにテレビを観ているカップルがいるのだが、仲睦まじくポップコーンを食べる様子を見て、自分の置かれている環境が惨めに思えるという場面なのだが、シチュエーションの差こそあれ、これは誰しも抱いたことのある感情ではないだろうか。だからこそドッグがテレビに映ったロボットの広告を見て注文するという流れにも、簡単に感情移入できる。描こうとしている場面の意図と、キャラクターの行動がシンクロしていてとても自然なのだ。
ここからネタバレになるが、その後、強烈に重そうな荷物が届いてその箱を一人ではなかなか動かせないというシーンも、この後の展開における海岸でロボットがサビて、ドッグだけでは動かせなくなってしまうという場面の伏線として機能していて巧い。また前半の非常にピースフルで牧歌的な雰囲気から、ふとバスから目線を下げた車に乗っている他のロボットが、後部座席にいる子供に頭を叩かれているシーンでは、そのロボットの”無機質な目”によって、この世界の残酷さをふと垣間見せるシーンなど、ちょっとした小さな場面の積み重ねによって、この「ロボット・ドリームズ」の世界は豊かに表現されている。ここには動けない事をいい事に足を切って持って行ったり、金属探知機で見つけたロボットを売り払う人たち(動物たち)も存在する世界なのだ。擬人化されポップな色彩の中で均一化されたカラーリングで描かれる世界は、その見た目よりも単純ではないのである。そして80年代ニューヨークの中には、様々なカルチャーが表現されている。街の中にはキース・へリングのグラフィティ・アートや、伝説のレンタルビデオ店「キムズ・ビデオ」の名前まで飛び出して、”架空の世界”が現実の世界と頻繁にリンクするのである。
またキャラクターたちが動物とロボットに置き換えていることによって、男女の関係を越えた様々なジェンダーに当てはめられることが、まさに今の時代の作品っぽい。明らかにドッグとロボット、ロボットを修復して蘇らせるラスカル、ドッグの新しいパートナーであるティンの関係は、”恋愛関係”をイメージして描かれている。であるにも関わらず、性別も明らかにされない上にセリフ(声)もない本作の作りによって、非常にオープンな作風になっているのだ。もちろん”購入したロボット”という前提もある為、そこに引っかかる人が一定数いるのは想像できるが、本作におけるロボットたちにはそれぞれ強い感情があり、その前提を越えてロボットとドッグがお互いに感じている感情が特別だったことは、明白に描かれていたと思う。序盤におけるニューヨークの街を二人で散歩してホッドドッグを食べたり、ローラースケートを滑るシーンには二人の”特別感”が表現されていたが、楽しかった”あの頃”を丁寧に描く事はこの映画にとって、非常に重要だったのだろう。そしてそのキーポイントになるのは”あの曲”、アース・ウィンド・アンド・ファイアーの「セプテンバー(September)」だ。
過去にも2011年のフランス映画の傑作「最強のふたり」でも使われていたが、「君は覚えている?」から始まるこのダンスクラシックの名曲を聴くたびに、今後はきっとこの映画の事を思い出してしまうだろう。すでに何百回と聴いているこの曲で、まさかこれほど泣かされるとは思わなかった。全体的には、ザ・フィーリーズ「Let's Go」やウィリアム・ベルの「Happy」などソウルミュージックやポップロックで彩られたサウンドトラックだが、常にキャラクターたちの心情に寄り添うような選曲でセリフがない分、音楽が雄弁に語りかけてくる。その中でも「セプテンバー(September)」は、様々な形で編曲されて使われているため、まさに本作のテーマソングだと言えるだろう。特に前半のローラースケートのシーンと後半のダンスシーンを対比させて、二人の本来の相性の良さを改めて表現するシーンは最高だったと思う。
だがそんな二人にも別れはやってくる。あの感動のラストシーンだ。時間を経てずっと心に想っている人がいたとしても、今は新しいパートナーと一緒に新しい人生を過ごしている。楽しくて美しかった過去はもう戻ってはこないが、今の自分を形作っているのは過去にあった出会いと別れの積み重ねであり、それも含めて”今の自分”なのだ。このメッセージを「セプテンバー(September)」の曲と共に、まったく言葉の情報もなく伝えてくるラストシーンはまさに”人生賛歌”であり、涙なくしては観られない。冒頭の孤独シーンと同じく、まさに自分の人生の1ページを観ている気分にさせられるのだ。「ロボット・ドリームズ」とは文字通り、ロボットが見る夢のことだ。横断歩道の前でドッグに追いついて、再会の抱擁を交わすシーンで観客は「良かった」と溜飲を下げるが、実はこれは夢であり、現実にはロボットは今のパートナーであるラスカルとの生活を選ぶ。そしてドッグは、そのまま黄色いロボットのティンと新しい人生を歩んでいくのである。あれほど夢見ていたドッグとの再会だが、自分が再会を選ぶことで様々な人を傷つけてしまう事をロボットは理解しているのと同時に、ドッグの未来を祝福しているのだろう。それが観客に伝わるからこそ、暖かい気持ちでこれほど泣けるのである。
そして監督のパブロ・ベルヘルはかなりのシネフィルなのだろう。本作の中にも多くの映画ネタが隠れている。例えば、スティーブン・スピルバーグの代表作「ジョーズ」の代名詞”ドリー・ズーム”のシーンがあったかと思えば、ミュージカル風のシーンは「オズの魔法使」だろうし、書き割りが倒れてきて雪原が現れるシーンは、バスター・キートンの「キートンの蒸気船」だ。他にもハロウィンでは「シャイニング」の双子の女子のコスプレや、スティーブン・キング原作の「ペット・セメタリ―」など、多くのシーンに小ネタが仕込まれているのも楽しい。とにかく全編を通して、作り手の愛情と世界に対しての誠意が感じられる、超一級品のエンターテインメントだった本作。例えばスクラップ工場でロボットが解体されるシーンは、機械的にプレス機などで潰されたら嫌だなと思っていると、”ジャイアントスイング”によって投げ飛ばすだけという、表現としてかなりマイルドにしているのも、やはり観客への気遣いと優しさなのだろう。こういうシーンひとつからも作り手のセンスを感じる。ロボットが小鳥と仲良くなるシーンや初めて二人が手を繋ぐシーンなど、お気に入りの場面ばかりだった本作。何度も出てくるワールド・トレード・センターの姿には特に感慨を覚えたが、今年鑑賞した2024年度公開作品の中でも、そして生涯の中でも忘れがたい大切な映画になった気がする。文句なしの傑作だった。
9.5点(10点満点)