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映画「陪審員2番」ネタバレ考察&解説 劇場未公開ながら、イーストウッドの近作では飛び抜けた完成度の傑作法廷ドラマ!

映画「陪審員2番」を観た。

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今年94歳を迎えたクリント・イーストウッド監督の最新作「陪審員2番」が、U-NEXTで独占配信を開始したという事で鑑賞した。アメリカやヨーロッパの一部地域だけでほとんど宣伝もしないままに、2024年11月に劇場公開されていたが、米国映画批評会議が毎年発表する「今年の映画トップ10」に選ばれており、評論家/観客ともに評価はすこぶる高い。日本ではイーストウッドの新作なのに”劇場公開無し”という事でファンが署名活動をしていたらしいが、今のところやはり配信のみらしい。出演は「マッドマックス/怒りのデス・ロード」「X-MEN:ファースト・ジェネレーション」のニコラス・ホルト、「リトル・ミス・サンシャイン」「ヘレディタリー/継承」のトニ・コレット、「セッション」「ラ・ラ・ランド」のJ・K・シモンズ、ドラマ「24 TWENTY FOUR」シリーズのキーファー・サザーランドなどの他、リアリティ番組テラスハウス」にも出演した日本人俳優・福山智可子も出演している。今回もネタバレありで感想を書いていきたい。


監督:クリント・イーストウッド

声の出演:ニコラス・ホルトトニ・コレットJ・K・シモンズキーファー・サザーランド、福山智可子

日本公開:2024年

 

あらすじ

ジャスティン・ケンプは、雨の夜に車を運転中に何かをひいてしまうが、車から出て確認しても周囲には何もなかった。その後、ジャスティンは殺人罪に問われた男の裁判で陪審員をすることになるが、やがて彼は「事件当事者」としての強迫観念に苦しみだす。

 

 

感想&解説

クリント・イーストウッドの新作がまさかの劇場公開無しということで、正直映画ファンとして心がざわついたことは否定できない。前作「クライ・マッチョ」が監督/主演作で2022年1月日本公開だったので、おおよそ3年ぶりの新作だが、今回まさかの完全配信スルーということで本当に悲しい。近年の「リチャード・ジュエル」「運び屋」などは作品の質も高く、本国ではヒットもしていたイメージだったのだが、前作「クライ・マッチョ」の興行的失敗が原因なのだろう。さらに9月からワーナー・ブラザースディスカバリーアメリカ/ヨーロッパを中心に運営している動画配信サービス「Max」と、日本のU-NEXTが”独占パートナーシップ契約”を締結したことも、今回の追い風になったに違いない。劇場公開作は宣伝費などのコストが大量にかかるので、どうしても”配信限定”が増えている昨今だが、イーストウッドほどの巨匠の作品が映画館で観られないというのは、非常に残念なことだ。

特にこの新作は掛け値なしで近年のイーストウッド作品の中では群を抜いて面白いし、クオリティの上でも傑作だと断言できる。ただし映画の主眼はいわゆるミステリー的な”犯人当て”ではなく、この世界に渦巻いている良心や倫理観といった基準が曖昧でありながら、目に見えないものを可視化して観客にスクリーンを通して突きつけてくるタイプの作品で、”ヒューマンサスペンス”に近いかもしれない。上映時間は114分、本当に贅肉がなくタイトなのに十分に見応えもあり、映像作品としての完成度は凄まじい。恐らくかなり低予算の作品で派手なVFXシーンは皆無だが、開始から映画の緊張感(サスペンス)が途切れることがまったく無いのだ。殺人事件の陪審員となった主人公の男性が、実は思わぬ形で事件と関わっていた事で、その被告を有罪にするか無罪にするかというジレンマを、自分の人生と引き換えに悩み抜く姿を描き出した力作だ。


映画のオープニングクレジットから、剣と天秤を持つ”正義の女神像”の姿が映し出される。この”正義の女神像”は目隠しをしていて、裁かれる両者に対して公正であることの象徴であり、司法/裁判の公正さを表すシンボルだ。本作でもカットの随所に映し込まれるが、まさにこれこそが本作の”象徴”なのだろう。妊婦の妻が”目隠し”して子供部屋の扉を開ける冒頭のシーンも、本作の”ファーストカット”として意図的だと感じる。ここからネタバレになるが、主人公は妊婦の妻を持ち、幸せな生活を送っているニコラス・ホルト演じるジャスティンという男性だ。彼は陪審員に召喚されたことで、ある事件の裁判に出席するが、その事件とはバーでの喧嘩の末に、豪雨の夜道で恋人を殺したとされる男性を裁くものだった。だがジャスティンは、その事件の詳細を聞くにつれて、その女性を”ひき逃げ”によって殺してしまったのは自分だという確信を抱き始める。実はその殺人事件と同じ夜、ジャスティンも同じ現場のバーにいて車で帰る途中に、”何か”と衝突していたのだ。その時は”鹿”だと思って帰宅していたのだが、事件の詳細を聞くことで、その女性を轢いてしまったのは自分だったのではと悩み始めるが、それでも彼は陪審員としてこの事件に向き合っていくというストーリーだ。

 

 


この映画はとにかく登場するキャラクターが全員素晴らしい。まず主人公のジャスティンは、自分の犯した「真実」を告白することで被告人のサイスを救える事を知りながら、生まれてくる子供と妻がいることでどうしてもそれが出来ない人物だ。過去にアルコール依存の上に事故を起こした経歴があるため、自首すれば二度と刑務所から出られない可能性が高いためだが、だからといって簡単にサイスを有罪にすることも”良心の呵責”のためにできない。冒頭から彼は本当に良い夫であり、生まれてくる子供と妻のことを真から愛しているという描写を入れることによって、彼の”善良性”を強調しているのも上手い演出だと思う。彼は犯罪者でありながら劇中ずっと悩んでいるため、十分に観客が感情移入できるキャラクターになっているのだ。他の陪審員の判断が有罪に傾いている中、ジャスティンだけが反対票を入れて議論を提案するシーンは、シドニー・ルメット監督による1959年日本公開の「十二人の怒れる男」におけるヘンリー・フォンダを思い出させるが、真犯人がジャスティン自身という展開の面白さには、本当に舌を巻く。この時点ではこの映画がどう着地するのか?は、まったく予想つかないのだ。


トニ・コレット演じる”フェイス・キルブルー”という女性検事も、本作の中で大きく心情が変化するキャラクターだろう。序盤はJ・K・シモンズ演じる元刑事に「サイスは犯人ではない」と言われても、”検事長への出世”が大事な彼女は自分の意見を決して変えようとしない。(前半でいつもいじっているスマホは、彼女の慢心の象徴だろう)ところが裁判が進むうち、徐々に彼女の内面に変化が現れるのである。事件の日の車の修理記録を洗い出し、刑務所の中でサイス自身の声を聞くことによって、裁判の検事としてではなく”一人の人間”として被告人の無罪を信じ始めるのだ。それが極に達するのが、あのラストシーンだろう。修理記録のあった緑のSUVの持ち主情報から、ジャスティンが犯人だと確信したフェイスだったが、もう裁判はサイスの終身刑が確定した後であり、検事である自分の勝利で終わっている。その後”正義の女神像”前の裁判所ベンチでの2人の会話シーンは、本作の白眉だ。お互いの正義と真実を語りながらも、実はこの結末に対して良心の迷いがある二人には”苦い勝利”でしかないのだ。子供が生まれた後も、ジャスティンはパトカーのサイレンに怯え、フェイスは検事長への出世を心から喜べない。だからこそラストショットで、フェイスはジャスティンの家のドアを叩いたのだろう。あれはこれから待ち受ける苦難よりも自分の”良心”を優先した結果であり、ジャスティンもフェイスの表情からそれを感じたのだ。


他のキャラクターも魅力的で、特に現場でサイスを目撃したと証言する老人がいい味を出している。トレーラーに一人で住んでいる彼は、”警察の皆に良くしてもらって嬉しかった”という意味の事を語るのだが、サイスを犯人として断定してほしい警察としては当然目撃者の彼に優しくするだろう。だからこそ彼は警察に求められる証言を曖昧なまましてしまうのだが、フェイスが彼を訪れるシーンでは心配そうに「彼が犯人なのだろう?」と声をかける。改めて自分の証言の重要さと自信の無さに気付き、表情を少し曇らせるシーンなのだが、こういう場面こそ映画としての”格”を感じる。この作品は本当に人間の機微がうまく描かれているのだ。陪審員たちの議論のシーンも見応えがあり、それぞれのキャラクターの性格が立っている。”子供が待っている””これ以上は時間の無駄だ”と自分たちの都合だけで有罪にしようとする者、他人の意見に流される者、時に本質を突いてくる者、それぞれが自分たちの価値観と良心と先入観に基づいて発言している。だが、そんな彼らも最後は全員一致でサイスに有罪を求刑してしまうのだが、このシーンには恐怖しかない。12人全員が間違った判断を下してしまうシーンであり、今のアメリカが行っている”陪審員制”自体の敗北を意味した場面だからだ。


法廷劇としても検事と弁護士のやり取りをテンポ良い編集で繋ぎ、スピーディかつ観客に過不足なく的確に情報を伝えてくる手法には感心させられるし、サイスの本当の言動(どこまで彼女に暴力暴言を振るったのか)も観客に対して絶妙に真実をブレさせてくる演出で、過去は犯罪者だったが更生したという彼のキャラクターを複合的に描いているのも良い。トニ・コレット演じる「フェイス(faith)」は「信頼/信仰」という意味であり、ニコラス・ホルト演じる「ジャスティン」は「justice(正義)」の言い換えなのだろうが、本作は彼らの”良心と正義感”がぶつかる作品だった気がする。噂ではこの作品をもってイーストウッドは引退するらしいが、こんな優れた映画を撮れる監督は世界中でも数少ないと思うので、まだまだ作品を撮り続けて欲しい。今はU-NEXT独占配信だけだが、将来的にはもっと多くの人が観られる環境で、このイーストウッドの傑作が上映/配信されることを切に期待したいものだ。

 

 

9.0点(10点満点)