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映画「フォロウィング」ネタバレ考察&解説 混乱するストーリーを冒頭から解説!ノーラン監督の作家性が色濃い名デビュー作!

映画「フォロウィング」を観た。

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メメント」「ダークナイト」「インターステラー」「TENET テネット」「オッペンハイマー」と映画ファンだけでなく、世代を超えた人々を劇場に向かわせてきた映画監督クリストファー・ノーラン。そんな彼が1998年に発表した長編デビュー作が本作「フォロウィング」であり、2024年4月には25周年記念としてHDデジタルリマスター版としてリバイバル公開された。1999年の第28回ロッテルダム映画祭では最高賞を受賞するなど高く評価され、鬼才ノーランの名を一躍世界に知らしめた記念すべきデビュー作である。HDデジタルリマスター版は、オリジナルの16mmエレメントを4Kスキャンし解像度を上げているに加えて、音響も新たに5.1サウンド・トラックを採用して新たに生まれ変わっている。今回もネタバレありで感想を書いていきたい。


監督:クリストファー・ノーラン

出演:ジェレミー・セオボルド、アレックス・ハウ、ルーシー・ラッセル、ジョン・ノーラン

日本公開:2024年

 

あらすじ

作家志望のビルは創作のヒントを得るため、街で目に止まった人々を尾行する日々を送っていた。そんなある日、ビルは尾行していることをターゲットの男に気づかれてしまう。その男コッブもまた、他人のアパートに不法侵入して私生活を覗き見る行為を繰り返しており、ビルはそんなコッブに次第に感化されていく。数日後、コッブとともにアパートに侵入したビルは、そこで見た写真の女性に興味を抱き、その女性の尾行を始めていく。

 

 

感想&解説

これぞ”ノーラン作品”としか言いようのない、作家性が色濃くデビュー作だと思う。最新作「オッペンハイマー」も、第96回アカデミー賞では最多13部門ノミネートされた結果、「作品賞」「監督賞」ほか7部門で受賞を果たし、今や名実ともに世界最高の映画監督として圧倒的なポジションを確立した映画監督だと思うが、その高い興行成績に対して「ダークナイト」というアメコミ作品を除いては、どちらかと言えば勧善懲悪な分かりやすいエンターテイメントを撮る作家ではないと思う。特に2020年日本公開された「TENET テネット」は、むしろその難解さを楽しむような作品で、「順行/逆行」という現在から未来に進む“時間のルール”すらも覆すオリジナル脚本には、大いに悩まされたものだ(正直いまだに理解できていない)。そんなノーランの名前を初めて認識したのは、2001年の第二作目「メメント」だったと思う。

記憶障害によりわずか10分間しか記憶を保てなくなった男が、妻を殺した犯人を追っていくというクライムサスペンスだが、記憶が保てないために、主人公はポラロイド写真を撮りまくってメモしていき、重要な情報は身体にタトゥー入れることで過去を思い出すという破天荒な作品だった。これも時系列を逆行させながら描くという映画の構造自体で注目され、アカデミー賞では「脚本賞」にノミネートされたが、この作品も初見では意味が分からず、後日もう一度鑑賞して理解できたことを思い出す。その後の2014年「インターステラー」、2017年「ダンケルク」など映画における”時間操作”という演出は繰り返されているが、クリストファー・ノーランにとって、これらは大事な作家性なのだろう。そして今回改めてデビュー作「フォロウィング HDデジタルリマスター版」を鑑賞したのだが、これが見事にクリストファー・ノーラン印が刻印された作品である上に、滅法面白いという奇跡的な作品であった。上映時間は約70分という中編サイズだし、全編モノクロなのは低予算だからだろうが、むしろそれが往年のフィルムノワール作品のような風格さえ漂わせているのだ。ノーランは本作で監督/脚本/撮影/共同編集/共同製作を務めており、まさに八面六臂の活躍を見せているが、ほとんど無名の俳優しか出てこないデビュー作という限られた条件の中で、これだけ独創的なストーリーテリングと映画的なカタルシスが追求できているのは凄いことだと思う。シンプルに一本の映画として面白いのだ。


本作は、主人公ビルが”ある男”と話をしているシーンから始まる。ビルは作家志望の青年であり、最初は小説のキャラクターの材料を得る為に赤の他人を尾行していたが、それが日常化し尾行は”誰でも良かった”と語る。この後、ビルが女性を尾行する姿や口に手袋をくわえさせられ咳き込む場面、なぜか殴られたように目が腫れてサングラスをしているといった”謎のシーン”がインサートされる。この時点でビルの髭が剃られヘアスタイルが変わっていることから、すでに時系列がシャッフルされていることは分かるが、意味はまったく分からない。その後、再び髪が長いビルが喫茶店でコッブという男に尾行を気づかれ、彼のバッグには盗んだCDが大量に入っていることを知らされる。コッブは他人の家に侵入してその生活を盗み見る癖がある男だったのだ。そして次のシーンでは、また髪を切ったビルがバーで”金髪の女性”と会話し、店の奥にいる年配の男性と恋愛関係にあること、その女性が前日に空き巣に入られ下着と片方だけのイヤリングを盗まれたことなどが分かる。そしてまた次のシーンでは、顔が腫れたビルが登場し電話でコッブに家への侵入のアドバイスを受ける場面が映される。

 

 


このように映画は時系列をシャッフルしながら進行するので、観客は”髪の長さ”と”顔の傷”である程度の時間軸を把握していくことになる。ここからネタバレになるが、髭があり髪が長い時が最も時間軸としては古く、その次が短髪のとき、最後が顔に傷のあるときだ。途中でビルが金髪の女性とキスするシーンで、女性がキスしながら”別の何か”を考えているような表情になる場面もヒントだろう。そして再び髪の長いビルとコッブが、女性の部屋に侵入しているシーンとなる。下着とイヤリングを盗んでいるので、この女性は例の”金髪の女性”だと分かる。そして女性とビルがレストランにいる時の回想シーンで、年配の男性は”堅気”ではなく平気で殺人を犯すような危険な人物であることも描かれる。さらに顔に傷のあるビルが金庫の中から金と封筒を持ち出すシーンを挟んで、髪の長いビルが”D・ロイド”のキャッシュカードをコッブから渡される場面になる。このあたりは初見では混乱の極みだろう。


その後、自分の外見を変えるために部屋で髭を剃り、髪を切ったビルがコッブに電話すると、なんと彼は金髪の女性と一緒にいることが観客にだけ分かる。コッブは「エサに食いついた、完璧だ。」と言い、二人にビルがハメられている事が解ってくるのだ。その後、再び金庫から身体中に金を貼り付けている最中に金づちで男を殴るシーンの後、ビルが金髪の女に金庫から写真の入った封筒を盗むことを依頼される場面を経て、屋上でビルがコッブに金庫から盗みを打診し、金髪女と寝た事を告げたことでビルがボコボコに殴られ口に手袋を突っ込まれるシーンまで来て、やっと全体の時系列が見えてくる。その後はクライマックスとなり、ビルは封筒の中が”ただの写真”だったことから金髪女性に詰め寄った結果、コッブが盗みに入った先で老女の死体を見つけ、逃げるところを見られたことで警察に目を付けられていること、同じ手口の犯人がいるとビルを”身代わり”にして警察をかく乱する計画だったことが分かる。そして映画は、冒頭に戻り、ビルが話していたのは刑事であることが判明する。コッブと金髪女性の犯行を警察に伝えるために自首したのだ。


ところが本作は、最後にもう一度大きなツイストがある。刑事は老女殺しもコッブのことも知らないと言うのだ。その後、コッブが金髪女性を金づちで殺すシーンが挟み込まれ、金髪女性が恋人の年配男性をゆすっていたことで、コッブは彼女を殺すために雇われた殺し屋だったことが判明する。そして刑事は金髪女性がすでに死体で見つかっており、2種類の血痕(ビルが殴った男と金髪女性)がついた金づちを発見していること、ビルの部屋から金髪女性の写真やイヤリングの片方が見つかっていることを告げる。そして刑事は”コッブなんて男はいない”と告げ、ビルが伝えたコッブの住所には”D・ロイド”という男がいて、キャッシュカードが盗まれていることが告げられる。ビルがレストランで使ったカードの持ち主だ。完全にビルはコッブにハメられ、最後は金髪女性殺しの犯人にされてしまったのである。コッブは最初からビルの尾行癖を利用して、金髪女の部屋から証拠品と年配男の金庫から金を盗ませ、最後には金髪女を殺した痕跡をすべてビルに被せることで、コッブが完全犯罪を遂行するという映画だったのだ。


ブルーレイの特典映像でノーラン監督は、本作を「私と友人による当時の集大成だ」と言い、「この映画で身に付け、今でも役に立つのは”クロスカット”だ」と語っている。シーンの挿入が可能かと常に試していると言いつつ、”編集”によって映画のリズムを作るノーラン監督のスタイルは今でも健在だと言えるだろう。また一度の鑑賞ではすべてを把握することは難しく、二度三度と観るうちに映画の核が見えてくる作りも本作ですでに確立されている。とにかく集中して画面を観る事で得られる、”映画”じゃなければ表現できない快感を監督は追求しているのだろう。どうやら次回作は、マット・デイモン主演で「オデュッセイア」の映画化をするらしいが、古代ギリシアの長編叙事詩という超古典をノーランがどのように料理するのか、興味は尽きない。2026年の公開が今から楽しみだ。

 

 

7.5点(10点満点)