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映画「セプテンバー5」ネタバレ考察&解説 視点を限定する事による、観客が現場にいるような臨場感!そして揺さぶられる報道倫理!

映画「セプテンバー5」を観た。

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「プロジェクト:ユリシーズ」「HELL」のティム・フェールバウムが監督・脚本を手がけた、サスペンスドラマ。第82回ゴールデングローブ賞の「作品賞」と第97回アカデミー賞の「脚本賞」にそれぞれノミネートにされている。1972年のミュンヘンオリンピックの裏側で起きたパレスチナ武装組織によるイスラエル選手団の人質テロ事件を、スポーツ番組のテレビクルーたちが生中継する姿を映画化しており、95分というタイトな上映時間の中で緊迫感のある作品になっている。出演は「マグニフィセント・セブン」「ニュースの天才」のピーター・サースガード、「パスト ライブス 再会」のジョン・マガロ、「ありふれた教室」のレオニー・ベネシュ、「父親たちの星条旗」のベンジャミン・ウォーカーなど。今回もネタバレありで感想を書いていきたい。

 

監督:ティム・フェールバウム
出演:ピーター・サースガード、ジョン・マガロ、レオニー・ベネシュ、ベン・チャップリンベンジャミン・ウォーカー
日本公開:2025年

 

あらすじ

1972年9月5日。ミュンヘンオリンピックの選手村で、パレスチナ武装組織「黒い九月」がイスラエル選手団を人質に立てこもる事件が発生した。そのテレビ中継を担ったのは、ニュース番組とは無縁であるスポーツ番組の放送クルーたちだった。エスカレートするテロリストの要求、錯綜する情報、機能しない現地警察。全世界が固唾を飲んで事件の行方を見守るなか、テロリストが定めた交渉期限は刻一刻と近づき、中継チームは極限状況で選択を迫られる。

 

 

感想&解説

1972年ミュンヘンオリンピック開催中の1972年9月5日に発生した、パレスチナ武装組織「黒い九月」によるイスラエル選手団の選手村襲撃事件「黒い九月事件」をテーマにした作品と聞けば、スティーヴン・スピルバーグ製作/監督の2006年日本公開作品「ミュンヘン」を思い出す。ミュンヘン」の冒頭ですでに事件の顛末は語られているし、そもそも「ミュンヘン」はこのテロに対してイスラエル政府が報復ため、首謀者の11名のパレスチナ人の暗殺を計画し、実行部隊をリクルートするシーンから始まる映画だったので、本作の後を描いた作品だと言える。一応この暗殺チームは実在していたらしく、一部のフィクション要素はあるが実際に、「黒い九月」のメンバーは殺されているらしい。そういう意味で観客は事件の顛末は分かりながらも、テロ発⽣から終結までの1日を、徹底的に突然事件を生中継することになったスポーツ番組のテレビクルーの視点のみで描いた作品だ。

本作はこのスポーツ番組の”テレビクルーの視点のみ”で描いたというのがミソだろう。徹底してオリンピック選手村に隣接する建物と、その中にあるテレビ中継の調整室から観客の視点が離れない。実際に部屋に籠城しているテロリストや被害者たちの様子を描写したりはしないし、空港の銃撃戦はどうなっているのか?を切り取ったりもしない。しかも主要キャラクターたちはABC放送というアメリカ放送局のメンバーである為、彼らはドイツ語が分からない。よって女性通訳マリアンナからの情報だけに頼ることになる上に、今のようにスマートフォンSNSがある訳でもなく、遠隔地からはトランシーバーと有線電話でコミュニケーションを取るしかない。非常に限定された空間で刻一刻と状況が変わる中、限られた情報だけで彼らは判断を委ねられるのだ。

 

そしてもう一つの要素は、彼らが”報道のプロ”ではなく”スポーツ班”だという点だろう。劇中で何度も”報道班に任せろ”という本部の指示に対して拒否する、ピーター・サースガード演じる責任者の姿が描かれていたが、ノウハウも報道ルールもない彼らが目の前のスクープに飛びつき、ジャーナリズムとスクープ欲に駆られて、世界初であるテロリストの生中継という難題に挑む姿はスリリングだ。だが当然、彼らは多くのミスを犯してしまう。現場に近い場所にカメラを置けるチャンスから一部始終をライブ中継し、犯人側に警察の手の内を明かしてしまったことから、救出作戦を中止の事態に追い込んでしまうシーンなどはその典型だろう。その度に彼らは悩むのだが、それでも彼らのジャーナリストとしての意志は消えることはない。リアルタイムであるが故に、もしかしたら人質が処刑される瞬間が映りこんでしまうかもしれないという恐怖もあるが、それでも事実を伝えたいという一心で報道を続けるのだ。

 

 

ここからネタバレになるが、そんな彼らの最大のミスは終盤における”誤報”だろう。空港に到着した人質を連れたテロリスト側が、ドイツ警察と銃撃戦になったという情報が伝わってくるが、その続報がまったく届かなくなる。そんな中、人質が全員解放されたという情報が入ってきた事でABCのテレビクルーたちは歓喜の声を上げる。それは彼らにとっても世界中の視聴者にとっても、最高のハッピーエンドだからだ。その情報をいち早く報道したいと、ジョン・マガロ演じるディレクターのジェフは焦る。現場で生中継している自分たちが他局に出し抜かれる訳にはいかないからだ。だが裏の取れていない情報を報道する訳にはいかないと、クルーの中でも衝突が起こる。ここは本作最大のスリリングなシーンだと思うが、情報源における信憑性の確認と迅速な報道というジャーナリズムの根本的な課題が提示される。現代でも同じような葛藤が世界中で起こっているだろう。

 

そして事態は最悪の結果となり、人質は全員死亡しておりABCは誤報を報道してしまった事が解る。意気消沈して徒労感と失意に苛まれるクルーたち。ラストカットでは、ディレクターが壁に貼ってある被害者たちの写真を見つめて映画は終わる。この映画は安易に誰かを断罪したり非難したりはしない。ABCのクルーの状況や葛藤を描くことで彼らを一方的な悪者としても描いていないし、過度にヒロイックにも描かない。あえて限定的な環境を貫くことで、観客をテレビクルーの一員になったような視点に立たせ、起こった事実を真っすぐに突きつけてくるのだ。鑑賞後は色々な意見が出るだろう。やはり報道班に任せるべきだったのではないか、あまりにスクープに安易に飛びつきすぎだったのではないか、あるいはジャーナリストとして彼らは間違っていなかったなど感想は分かれるだろうが、これこそが”報道倫理”についての議論なのだと思う。最近の日本でもいまのマスコミの在り方を深く考えさせられる事象があったが、レベルは違えど、報道のあり方については”現在進行形”の課題なのだと思う。特にSNSによって誰もが発信者にもなれる時代の中、各自の倫理観によって見え方が変わる作品なのかもしれない。

 

また特徴的だったのは、ドイツが軍隊を出動できなかったり威圧感のある警備体制が敷けなかったりと、ホロコーストがドイツの人々にとっても傷跡となって残っている事をうかがわせる言動の数々だ。通訳のマリアンナがアメリカ人から両親の過去に触れられる場面で、「私は私です」と答えるセリフがあるが、こういうシーンがあるだけで映画はとても豊かになる。ドイツ人が1972年のミュンヘンオリンピックを通して、過去を振り切り、次のステップに進もうとしていた事が理解できるからだ。それだけに”オリンピック史上最悪の悲劇”と言われた、本作で描かれるテロの悲惨さが際立つ。

 

95分というタイトな上映時間の中でほとんど緊迫感が途切れることは無いし、テンポも良い。実際、当時のテレビ放送の画面を差し込んで構成されているのも、緊迫感の演出で一役買っていたと感じるし、出演陣のピーター・サースガードやジョン・マガロ、レオニー・ベネシュらも当時の空気感を含めて、しっかりと説得力のあるキャラクターを演じていたと思う。かなり突き放した作風で、ラストの後味も重く暗いが、観客に問いかけてくるメッセージは鋭い作品だった。

 

 

7.0点(10点満点)