映画「エミリア・ペレス」を観た。
「ディーパンの闘い」「ゴールデンリバー」などでフランスを代表する名匠として知られるジャック・オーディアール監督が手がけ、第77回カンヌ国際映画祭では審査員賞と女優賞を受賞した作品。メキシコの麻薬カルテルのボスが過去を捨て、性別適合手術を受けて女性として新たな人生を歩みはじめたことから起こる出来事を、ミュージカルタッチで描いている。第97回アカデミー賞でも「作品賞」「国際長編映画賞」をはじめ、非英語作品としては史上最多となる12部門13ノミネートを果たし、「助演女優賞」と「主題歌賞」の2部門を受賞した他、カンヌ国際映画祭でもゾーイ・サルダナ、カルラ・ソフィア・ガスコンなどが「女優賞」を受賞し、カルラ・ソフィア・ガスコンは、カンヌ国際映画祭において初めてトランスジェンダー俳優として女優賞を受賞したことでも話題となった。今回もネタバレありで感想を書いていきたい。
監督:ジャック・オーディアール
出演:アドリアーナ・パス、ゾーイ・サルダナ、カルラ・ソフィア・ガスコン、セレーナ・ゴメス
日本公開:2025年
あらすじ
メキシコシティの弁護士リタは、麻薬カルテルのボスであるマニタスから「女性としての新たな人生を用意してほしい」という極秘の依頼を受ける。リタは完璧な計画を立て、マニタスが性別適合手術を受けるにあたって生じるさまざまな問題をクリアし、マニタスは無事に過去を捨てて姿を消すことに成功する。それから数年後、イギリスで新たな人生を歩んでいたリタの前に、エミリア・ペレスという女性として生きるマニタスが現れる。それをきっかけに、彼女たちの人生が再び動き出す。
感想&解説
第97回アカデミー賞では「作品賞」「国際長編映画賞」をはじめ12部門13ノミネートを果たし、下馬評では「作品賞」も予想されていたが、トランスジェンダーを公表している俳優として、オスカー史上初めて「主演女優賞」にノミネートされていたカルラ・ソフィア・ガスコンによる人種差別などに関する過去のSNS投稿が発覚し、アカデミーからキャンセルされる形になってしまった本作。それでもゾーイ・サルダナが「助演女優賞」を、そして劇中でも特に効果的に使われた「El Mal」が「主題歌賞」を獲ったことは記憶に新しい。監督はフランスジャック・オーディアールで、近年でもカンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞した「ディーパンの闘い」や、ヴェネチア国際映画賞で銀獅子賞に輝いた「ゴールデン・リバー」などで有名な監督だ。
フランス人監督が撮ったメキシコを舞台にしたミュージカルというのは、かなりレアだろう。しかも”麻薬王が性別適合手術を受けたことで女性として生まれ変わり、新しい人生を生きることになる”というプロットは抜群に面白い。トランスジェンダーという題材も現代的だし、もともと麻薬王だった人物が性別の壁を超えることによって、どのように人生観が変化していくのか?というテーマも描けるだろうし、その家族や犯罪組織の変化などもあるからだ。とにかく題材自体が魅力的だし、それを”ミュージカル”で描くというは映画の試みとして面白いと感じる。しかも主演のカルラ・ソフィア・ガスコンは実際のトランスジェンダーということもあり、その演技のリアリティにも注目していた。ところが本作は、思った以上に映画として”飛躍しない”のである。
冒頭はゾーイ・サルダナ演じるリタ・モラ・カストロという女性弁護士が抱える、不正だらけの世の中への怒りと自分の境遇への不満が歌によって語られるのだが、カメラワークやダンスの面白さによって見応えのあるシーンになっており楽しめる。そしてそんなリタの元に一本の電話がかかってくることで物語は大きく動き出すのだが、この電話の主はメキシコの麻薬王マニタス・デル・モンテであり、彼から莫大な金と引き換えに”女性として生まれ変わり、新しい人生を用意してほしい”という依頼をされるのだ。マニタスは物心ついたときから女性になりたいという夢を持ちながら犯罪に手を染めていたと言い、そんな彼の為にリタはテルアビブで優秀な医者を見つけ、全身の手術を行うことになる。マニタスにはジェシーという妻と幼い二人の子供がいたが、夫は犯罪組織に殺されたという筋書きによって、彼は”エミリア・ペレス”という女性として新しい人生を送ることになる。
ここからネタバレになるが、それから4年の月日が経ち、ロンドンで過ごすリタの元に再びエミリアが現れ、子供たちと離れて暮らすのが辛いので、再びメキシコに連れ戻してほしいという依頼を受ける。そして再び豪邸で家族と暮らせることになったエミリアは過去の犯罪を悔いることによって、リタと共に行方不明者の捜索を行う団体を立ち上げ、それで出会ったエピファニアという未亡人と恋に落ち、幸せな生活を送る。だが元嫁のジェシーがグスタボという恋人と一緒になりたいと言いだし、子供たちを連れて出て行ってしまったことで彼女たちの関係はあっけなく崩れてしまう。預金口座を凍結したエミリアをジェシーとグスタボは誘拐しリタに金を要求するが、リタは精鋭部隊を用意することで対抗する。そして激しい銃撃戦の中、ジェシーに自分たちの結婚式の話をすることで正体を明かすエミリア。ショックを受けたジェシーはグスタボの運転する車を強引に止めたせいで事故に遭い、トランクに入れられたエミリア共々、炎に包まれる。そして盛大な歌によるエミリアの葬儀で本作は幕を閉じる。
前半の展開はミュージカルシーンの凝った演出も含めて、マニタスがエミリア・ペレスという女性に生まれ変わる展開も飽きさせない。ところがこの映画は、前半をピークにいつまで経っても面白くならないのだ。まずミュージカルシーン自体が前半に集中していていて後半は少なくなるので、ミュージカル映画として盛り上がらない。そして曲自体のテーマも非常に暗い上に短く、このミュージカルシーンで大きくストーリーが動くという場面もない。要はどれも自分の内面や心情を語った曲ばかりなので、歌が”物語”を推進していかないのだ。また慈善パーティで悪徳政治家たちを断罪していく「El Mal」や、娘がエミリアの横で亡き父親を想って歌う「Papa」などを筆頭に楽曲のクオリティは良いのだが、役者の圧倒的な歌唱力で聴かせるタイプではないので、冗長になりがちだ。ゾーイ・サルダナのダンスは素晴らしかったが、”ミュージカル映画”としては中途半端な印象が残ってしまう。
さらに全体を通して、主人公であるエミリア・ペレスに感情移入が難しい。犯罪で稼いだ金を使って性別適合手術を受け、一旦は自分を死んだことにしておいて、やはり家族が恋しいからと強引に呼び寄せておいて、元妻が出ていくとなるとそれを強引に阻止しようとするエミリアの人間的な本質は、性別を変えても変わっていないように感じる。ジェシーや子供たちは父親と一緒にいて幸せそうだったのに、マニタスは自分の夢のために彼女たちの人生を犠牲にして女性として生まれ変わったのだ。この時点で父親としての権利は放棄したのも同然だろう。さらにジェシーが出ていくことで子供たちから引き離されそうになったシーンのあと、グスタボに対して「明日までに街を出ていけ」と男が彼を恐喝するシーンがあるが、あれはマニタスの元手下だった男なのではないだろうか。結局、暴力によって問題を解決するという”マニタス=エミリア”の本質は変わっていないように映ってしまう。
そしてリタとの友情を育む直接的なシーンもほとんど無いので、金の力で面倒ごとを解決させている部下のように見えるし、自分の過去の罪を悔いて慈善団体を立ち上げる件も、エピファニアという未亡人と恋に落ちるという展開のせいで、結局は利己的な行動に見えてしまう。男性だったマニタスは麻薬王だという設定の割には、”子煩悩な良きパパ”の場面しか描かれておらず残虐な犯罪者の側面が見えてこないので、この映画でもっとも伝えたいはずのエミリアが”性別移行”したことで、生き方と考え方が大きく変わったというギャップがまったく描き切れていない。麻薬王が性別移行したというビジュアル的な変化だけでなく、もっと彼女の内面的な変化こそ観たかった。だからこそ主人公に感情が乗らないし、エンディングの救いの無さも込みでストーリーのカタルシスも少ない。さらにメキシコでは陪審員制度が導入されていないが、リサーチ不足のために描かれているし、ステレオタイプな犯罪描写も酷い。設定の面白さに反して中盤以降の盛り上がらなさが残念だった本作。トランスジェンダーならではの葛藤や痛みの描写も描かれていないのも勿体ない。一部の曲の良さとゾーイ・サルダナの孤軍奮闘ぶりが際立つ映画だった気がする。
5.5点(10点満点)