映画「ガール・ウィズ・ニードル」を観た。
第97回アカデミー賞では「国際長編映画賞」、第82回ゴールデングローブ賞では「最優秀非英語映画賞」にそれぞれノミネートされ、第77回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門に出品されたほか、ポーランドの映画祭では最多11冠を受賞するなど、国際的にも高い評価を受けた本作。監督/脚本は「波紋」「スウェット」に続いて本作が長編3作目となるポーランド人監督のマグヌス・フォン・ホーン。第1次世界大戦直後のデンマークで実際にあった犯罪を題材にした作品らしい。出演はデンマーク生まれで「ウィンター・ブラザーズ」などで評価されたヴィクトーリア・カーメン・ソネ、トマス・ヴィンター・ベア監督の「ザ・コミューン」でベルリン映画賞で主演女優賞を受賞した経験を持つトリーネ・デュアホルム、ベシーア・セシーリ、ヨアキム・フェルストロプなど。今回もネタバレありで感想を書いていきたい。
監督:マグヌス・フォン・ホーン
出演:ヴィクトーリア・カーメン・ソネ、トリーネ・デュアホルム、ベシーア・セシーリ、ヨアキム・フェルストロプ
日本公開:2025年
あらすじ
第1次世界大戦後のデンマーク、コペンハーゲン。お針子として働きながら、貧困から抜け出そうと必死にもがく女性カロリーネは、恋人に裏切られて捨てられたことで、お腹に赤ちゃんを抱えたまま取り残されてしまう。そんな中、彼女はダウマという女性と出会う。ダウマは表向きはキャンディショップを経営しているが、その裏で秘密の養子縁組機関を運営しており、貧しい母親たちが望まない子どもを里親に託す手助けをしていた。ダウマのもとで乳母として働くことになったカロリーネは、ダウマに親しみを感じ、2人の間には絆も生まれていくが、カロリーネはやがて恐ろしい真実を知ってしまう。
感想&解説
暗く重い、そして辛い123分だ。”北欧史上、最も物議を醸した連続殺人事件。人間の闇と光を描くゴシック・ミステリー”というのが本作のキャッチコピーだが、これにはかなり違和感を覚える。本作はいわゆる”ミステリー作品”ではないからだ。例えば、なにか明確な殺人事件の”謎”が提起されて、その謎を解くことが物語を推進するという内容ではない。よって連続殺人事件とゴシック・ミステリーというワードに釣られて、エンターテイメント作品を期待して気軽に観に行くと後悔する羽目になるだろう。本作はシリアスな社会ドラマにダークな寓話をミックスした作品であり、第一次世界大戦直後の困窮した女性たちのあまりに苦しく、苦痛に満ちた生活を赤裸々に描き出す映画だからだ。鑑賞中、苦痛のあまり顔が歪みっぱなしだった為、正直個人的には二度と観たくないタイプの作品だが、映画作品としては間違いなく力作だと思う。
ここからネタバレになるが、本作はデンマークで実際に起こり、史上最大の”連続殺人”となった事件にインスパイアされてマグヌス・フォン・ホーン監督が脚本を手掛けたらしいが、この救いのなさはデンマーク出身監督ラース・フォン・トリアー監督の作品群を思い出す。映画が始まったと思ったら、画面には様々な人の顔が歪んだり重なったりしながら不気味に映し出される。まるで冒頭から人間が持つ闇の多面性を見せつけられるが、次に現れるのは汚れた洗面所で身体を拭く女性の姿だ。画面アスペクト比4:3のモノクロで切り取られたその画面は、圧倒的な”息苦しさ”に支配されている。最初のワンカットだけで、その女性の苦難に満ちた生活が見事に描き出されている。
そしてその後、その主人公である女性カロリーネが家賃が払えなくて大家から追い出されそうな場面が描かれる。新しい住居者として部屋を見に来たのは、幼い子供を連れた女性で”身なり”は良い。カロリーネは部屋を諦めさせようと「大きなネズミが出る」などと嘘を言うことで、子供が「この部屋は嫌だ、家の帰りたい」と言うシーンなのだが、なんとこの後、母親がいきなり娘の頬を思い切り引っ叩くという展開になり、思わずギョッとさせられる。この場面で描かれているのは、当時の女性たちが置かれている抑圧された生活なのだろう。おそらく戦争での死別などによって子供を一人で育てていかなくてはいけなくなった女性は、今までの生活を捨てて家賃の安い家を探していたが、そこに住んでいたカロリーナの生活ぶりを垣間見た上に、子供に”帰りたい”と言われた女性が、自分の感情をコントロールできなくなったという場面だと想像する。帰りたいと言われても、彼女たちに帰る家などないのである。
その後、カロリーナは自分が勤める工場の上司と関係を持つことで妊娠し、新しい生活を夢見るようになる。ところがその男の母親に結婚を認められず、子供の認知や責任どころか仕事先すらも放り出されてしまう。今の社会では考えられないことだが、当時はそれだけ女性の社会的な地位が低かったのだろう。その後、子供を中絶しようと自ら”編み針”を大浴場に持ち込むという悪夢のようなシーンが訪れるが、失敗したことでダウマという女性に助けられ、彼女は「子供が生まれたら、名前を付ける前に連れておいで」と告げて去っていく。死んだと思っていた夫は戦争によって崩れた顔をマスクで覆い、”フリークス(怪物)”と罵られながらサーカスで日銭を稼いでいるがPTSDを患っており、身重のカロリーナも肉体労働しか仕事がない。とにかく描かれるのは、地獄のような日々なのである。
そして生まれた赤ん坊をダウマの元に連れて行くカロリーナだが、最初ダウマはカロリーナが誰だか分からない。あれだけ印象的な出来事があった上に、赤ん坊を連れているにも関わらずだ。このシーンに鑑賞中は違和感があったのだが、最後まで観れば納得だ。ダウマにとってあんな場面は日常茶飯事だったのだろう。その後、生まれたばかりの赤子を預かり、養父母を見つけて仲介金を得るというダウマの元で、生活を共にするようになるカロリーナ。ここで彼女たちが飲み続けている”エーテル”とはいわゆる麻酔薬であり、当時のデンマークでは酒の代用として飲用されていたものだ。もちろん身体には悪いが、酩酊状態じゃないとこの辛い現実を生き抜けなかったのだろう。そしてその後、カロリーナはこの赤子たちの運命とダウマのやっていた所業を知る事になる。
ダウマは赤ちゃんを連れてきた女性たちに対し、「あなたは正しいことをした」と繰り返し告げるが、これは自分自身に向けた言葉だったのだと想像する。逮捕された後のダウマが法廷で、「母親の重荷を取り除いてあげただけ、あなたたちが出来ないことをやってあげたのだから、勲章をくれても良い位だ。」と告げるシーンがあるが、これは彼女の本音なのだと思う。社会にとって”必要悪”であり、こんな社会に生まれてきても母子ともに幸せになれないのだから、という理屈だ。史実のダウマ・オウアビューはなんと有料で預かった赤ん坊を25人殺していたそうだが、その中には彼女自身の子供も含まれていたらしい。戦争中であり、人工中絶が違法だった時代の暗部が本作でも克明に描かれているし、それは今も地続きで繋がっている。
「ガール・ウィズ・ニードル」は原題の英語直訳らしいが、冒頭から”針”はモチーフとして何度も登場する。カロリーナの仕事はお針子であり、仕事の進みが遅いと上司から注意されると「針が折れやすいの」というセリフがある。そして中絶のために自らの体内に入れるのは”編み針”だ。本作において針とは女性を傷つける象徴だ。さらに19世紀には子供の口減らしのため、生まれたばかりの赤子の頭に針を刺して殺したという事実もあるらしい。この「ガール・ウィズ・ニードル」というタイトルそのものが持つ響きが、不穏な印象を観客に感じさせてくるが、音響面でも画面で起こる救いの無さを助長するような音楽とSEで、見事に映画を昇華させていたと思う。ラストシーンでの小さな希望によって美しいバランスが成立していると思うし、映画作品としてのテーマの重要さやメッセ―ジ性はとても高い。ただ一緒に観る人やタイミングは、間違いなく選ぶ作品だろう。
7.5点(10点満点)