映画「顔を捨てた男」を観た。

「Chained for Life(原題)」のアーロン・シンバーグが監督/脚本を手がけた長編三作目。2024年の第74回ベルリン国際映画祭では「最優秀主演俳優賞(銀熊賞)」、2025年の第82回ゴールデングローブ賞のミュージカル・コメディ部門でも「最優秀主演男優賞」を受賞した不条理スリラー。製作は「A24」で、全編16ミリフィルムで撮影されている。出演は「キャプテン・アメリカ ウィンター・ソルジャー」「アプレンティス/ドナルド・トランプの創り方」のセバスチャン・スタン、「わたしは最悪。」のレナーテ・レインスベ、「アンダー・ザ・スキン/種の捕食」のアダム・ピアソン、「シェイプ・オブ・ウォーター」のマイケル・シャノンなど。今回もネタバレありで感想を書いていきたい。
監督:アーロン・シンバーグ
出演:セバスチャン・スタン、レナーテ・レインスベ、アダム・ピアソン、マイケル・シャノン
日本公開:2025年
あらすじ
顔に特異な形態的特徴を持ちながら俳優を目指すエドワードは、劇作家を目指す隣人イングリッドにひかれながらも、自分の気持ちを閉じ込めて生きていた。ある日、彼は外見を劇的に変える過激な治療を受け、念願の新しい顔を手に入れる。過去を捨て、別人として順風満帆な人生を歩みだすエドワードだったが、かつての自分の顔にそっくりな男オズワルドが現れたことで、運命の歯車が狂いはじめる
感想&解説
第82回のゴールデングローブ賞で、「最優秀主演男優賞(ミュージカル/コメディ)」を受賞したA24制作の不条理スリラー。主演はセバスチャン・スタンで、近作でも「アプレンティス/ドナルド・トランプの創り方」の熱演ぶりは記憶に新しい。監督のアーロン・シンバーグは本作で長編3作目となるが、監督自身が”口唇口蓋裂”の矯正治療を受けた経験があることから、そのインスピレーションを元に映画制作をしているらしい。2018年の「Chained for Life(原題)」という作品も、今作でも出演しているアダム・ピアソンを主演にして、”人間の見た目”をテーマに作品作りをしていたので、この監督の作りたいテーマは一貫しているのだろう。「顔を捨てた男」の原題は「A Different Man」だが、これはデヴィッド・リンチ監督による、1981年日本公開の「The Elephant Man(エレファント・マン)」からのインスパイアを感じる。
本作は容姿から来るコンプレックスにまつわる物語でもあるが、人間の誰しもが持っている自分の中の”欠点”が、どれだけその人にとって深刻であるかをカリカチュアして描いた寓話であり、スリラーでありながら”ブラック・コメディ”の要素も大きい。その点で本作の製作は、実際に顔に障害を持つ俳優であるアダム・ピアソンの存在が欠かせない要素だっただろう。”オズワルド”という役を演じる、実在するアダム・ピアソンという俳優の説得力が大きければ大きいほど、セバスチャン・スタンが演じるエドワードの嫉妬や焦りが、観客には切実なものとして響いてくるからだ。”オズワルド”が特殊メイクの別俳優が演じていたら、本作はこれほど評価されていない気がする。これはエドワードが主演していた劇にも同じことが言えるので、まるで”入れ子構造”のようだ。
顔に変形を持つ俳優志望のエドワードが、アパートの隣の部屋に住む女性劇作家のイングリッドに惹かれながらも、自分の容姿にコンプレックスを持っていることから想いを告げられずにいる日々。街に出れば、人々からは好奇の目に晒され、人生に行き詰まりを感じていたエドワードは、医師から劇的に顔を回復する治療を勧められたことから実行する。そして念願だった新しい顔を手に入れたエドワードは、過去の自分は死んだことにしてまったく新しい人生を歩み出す。不動産業の営業マンとして成功しながら、イングリッドの障害を持った男がテーマの舞台オーディションを受けたことにより、イングリッドとも付き合いだし俳優としても活躍の場を見出す。ところが、そんなエドワードの前に過去の自分と同じく顔に変形を持つオズワルドが現れる。
ここからネタバレになるが、オズワルドは自分の顔に対してまるでコンプレックスを持っておらず、社交的で才能に溢れた人物だったことにより、どんどんとエドワードのポジションを侵食してくる。仮面や特殊効果を使って演じるはずだった舞台の主演の座も、メイクやマスク無しで演じられるオズワルドに奪われ、イングリッドとの関係も壊れていく。演技も出来て歌も上手く、ヨーデルやサックスも吹けるオズワルドは、顔の障害など関係なくどこでも人気者なのだ。そしてその一方で、美しい顔を手に入れたはずのエドワードは追い込まれていく。そして嫉妬のあまり、成功したオズワルドの舞台に乱入したことで、そこで落下物による事故に遭ってしまい、彼の人生はそのまま下り坂を転がり続ける。そして遂には傷害事件を起こすことで刑務所に収監されたエドワードは、成功したオズワルドとイングリッドと再会することになる。
エドワードの部屋の天井にある黒い穴は、彼の”メンタル/内面”を表現しているのだろう。徐々に腐っていき大きくなる穴は、彼の人生への不満や自己肯定感の喪失の現れだ。自分の顔にコンプレックスがあり状態では、穴から色々なものが落ちてきて彼自身を傷つける。だが治療により顔が治った途端に、穴を修理しに業者の男が現れて「もっと早く修理すれば良かったのに」と言われるのだ。だから顔が直った後にオズワルドが現れて、心の闇が深くなると彼は何故かもう一度天井に”穴”を開けようとする。何より顔の変形が治療できるような新薬など存在しない上に、なぜエドワードが選ばれて投与されたのか?などの理由はないが、ここに現実的な整合性がないのは、この映画が”寓話”だからだ。エドワードが薬を投与し始めると、不自然に道路の警報が鳴って警告を与える男が現れたり、部屋を間違えられた挙句にアパートの住民が自殺した場面を見たりと、不条理を描いた演出によってこれからのエドワードの不穏な運命を示唆してくる。
ちなみにエイブラハム・リンカーンに扮した大道芸人が出てくるが、これはリンカーン大統領の言葉として知られる「40歳を過ぎたら、自分の”顔”に責任を持たなければならない」という言葉からだろう。顔つきや表情がその人の生き方や内面を反映するという考えだが、エドワードは真っ向から彼と向き合うのに対して、オズワルドは笑い飛ばしてスルーする。これは”顔”というテーマに対しての、二人のスタンスを表現しているのだと思う。序盤で”自分の行き先が分からない”と電車の中で絡んでくる浮浪者風の男は、歳を取ったエドワードが道を歩いていても再び絡んでくるし、日本料理屋で目が合う女性も顔が変わっても結局は周りの視線が気になっているという意味で、彼の人生は映画の始まりから全く変わっていないことの表現だろう。寓話としての意味が、セリフや演出によって説明されているのである。「君は相変わらず変わらないなぁ」というラストのオズワルドのセリフは、”顔と”いうもっとも目立つ変化を遂げたはずのエドワードにとって最大の皮肉だ。顔を変えても彼の内面は変わっておらず、彼の人間性に変化はないという事だろう。
ただ本作は”寓話”としては良くできていてメッセージも分かりやすいのだが、伝えたいことがストレート過ぎてツイストもないので、映画作品としてはやや物足りない気がする。”人間の価値は外見では決まらない”という着地はやや安易であり、例え顔に変形があったとしても、ヨーデルが歌えサックスが吹けて、カラオケを堂々と歌える上に上手くて、物覚えも良いので演技も出来て、男女どちらにも社交的で、しかも働かなくても金持ち(これ重要)という人物には、例えセバスチャン・スタンのようなイケメンになったとしても勝てないというだけの話に見えるからだ。16mmフィルムのザラついた映像と孤独な男が救済を求めるストーリーから、70~80年代ニューヨークを舞台にした「タクシードライバー」「ジョーカー」を思い出したが、メイクの特殊効果や映像のルックの見事さに対して、もう一捻りストーリーのツイストが欲しかったと思ってしまう、なんとも惜しい作品だった。
6.0点(10点満点)