映画「アンティル・ドーン」を観た。

「シャザム!」シリーズや、ホラーでも「ライト/オフ」「アナベル 死霊人形の誕生」といった作品を手掛けてきた、デビッド・F・サンドバーグがメガホンを取ったホラーゲームの実写映画化。共同脚本は「死霊館のシスター」のゲイリー・ドーベルマンと「ポラロイド」のブレア・バトラーなど。原作となったゲームはPlayStation用タイトルの「Until Dawn 惨劇の山荘」で、雪山の山荘に集った8人の男女が謎の殺人鬼に襲われるという作品だ。映画版は”タイムループ”という要素が加わったスラッシャーホラーとなっており、ゲームと同じく映画レーティングは「R18+」指定となっている。出演はゲーム版で声やモーション・キャプチャーでドクター・ヒル役を務めたピーター・ストーメアの他、「フィアー・ストリート プロムクイーン」のエラ・ルービン、ドラマ「Love, ヴィクター」のマイケル・チミノ、「HOT SUMMER NIGHTS ホット・サマー・ナイツ」のマイア・ミッチェルなど。今回もネタバレありで感想を書いていきたい。
監督:デビッド・F・サンドバーグ
出演:エラ・ルービン、マイケル・チミノ、オデッサ・アジオン、マイア・ミッチェル、ピーター・ストーメア
日本公開:2025年
あらすじ
1年前に失踪した姉メラニーを捜すため、友人たちとともに山荘を訪れたクローバーは、突然現れた覆面の殺人鬼に殺されてしまう。しかしなぜか目を覚ますと、殺される前の時刻に戻っていた。そして再び命を狙われ、惨殺され、時間が逆戻りして生き返る。追体験のたびに異なる殺人鬼が現れ、殺され方も違っていく。やがて彼らは、このタイムループから抜け出す唯一の方法は、謎を解いて夜明けまで生き残ることだと気づく。
感想&解説
原作となったゲームの「アンティル・ドーン 惨劇の山荘」は、2015年に発売されたPlayStation4用タイトルで、2025年にPS5とsteam用のリメイク版が発売になったホラー・アドベンチャーだ。”バタフライエフェクト”というシステムによってそれぞれのキャラクターが選択した行動により、8人のキャラクターの命運が変わり、全員生還できるエンディングから全員死亡まで分岐していく。とはいえ根幹のストーリーとしては一本道なので、”映画的”なゲームだと言えるだろう。モーションキャプチャーによって、実際の俳優がキャラクターを演じているのが話題になったが、「スクリーム4:ネクスト・ジェネレーション」のヘイデン・パネッティーアが”サム”という主人公的な女性キャラを演じていたり、物語のキーを握るジョッシュ役を「ボヘミアン・ラプソディ」のラミ・マレック、映画版でも登場するドクター・ヒル役を「ジョン・ウィック:チャプター2」のピーター・ストーメアが演じていたりと、映画ファンにも楽しいキャスティングだったと思う。
ただしゲーム内容として、賛否両論あったのは事実だ。特に日本版は18歳以上の成人指定となっているのに、ゲーム中の残酷描写があるシーンでは画面が暗転されて、声だけになるという驚きの仕様だったことと、個人的には失踪事件が起こった雪山の山荘を舞台に、その関係者である8人の男女がマスクを被った殺人鬼によって一人ずつ殺されていくというストーリーから、”本格ミステリー”を期待していたのだが、実はまったく違うジャンルだったことから大きく落胆したものである。ここからゲーム版のネタバレになるが、友人同士のあるイタズラを発端に2人の女性が失踪する事件が起こり、その一年後にマスクを被った男から、回転ノコギリによってイタズラに関与した男女の”どちらを殺すか?”を選ぶゲームをさせられたりするので、いかにもこの事件には”真犯人”がいるように思わされる。だがそれらは全てミスリードであり、実は”モンスターもの”というオチだったのだ。映画「ソウ」のような展開を期待したら、終盤は「バイオハザード」みたいな流れになっていき、変異した怪物から逃げ回るゲームになっていく。
そしてこの映画版「アンティル・ドーン」のネタバレになるが、”悪い意味”でゲーム版からの予想を裏切ってきた作品だったと思う。正直、屋敷の中で男女が殺されていく事や過去に炭鉱で人が死んだという設定以外は、ほとんどゲーム版からの要素はない。そしてミステリー要素の欠片もない単なるB級ホラーになっている上に、”タイムループ”という要素が追加されているのが特徴だろう。タイムループもののホラー映画といえば、クリストファー・B・ランドン監督の「ハッピー・デス・デイ」を思い出すが、本作はシリアスなホラーにタイムループ要素を組み合わせているため”食い合わせ”が悪すぎるのだ。何度も死ぬが復活するという要素は、それによってキャラクターが成長していき、最初は困難だった課題をクリアしていくという展開によってカタルシスを得る構造が定石なので、タイムループにミステリー要素を足した「ハッピー・デス・デイ」や「オール・ユー・ニード・イズ・キル」「恋はデジャ・ブ」など、本来はミステリーやコメディジャンルとの相性がいいと思う。逆にホラーで登場人物が生き返ってしまうと、どうしても緊張感が削がれてしまう上に、本作ではループの度に展開が変わるので成長の要素もなく、露骨に”違う死に方”を見せたい為だけの設定になってしまっているのだ。結果、”死に方大喜利”だけを延々と見せられることになる。
そして本作は、過去のホラー映画からの影響がとても強いと思う。「ハロウィン」や「死霊のはらわた」「死霊館」「キャリー」「13日の金曜日」「キャビン」「スキャナーズ」「レディ・オア・ノット」「28日後」など、過去名作へのオマージュを感じるが、残念ながらどの場面もその劣化版にしかなっていない。ホラーとして既視感がありすぎて新鮮味がないのである。そしてとにかく”騒がしい”映画であり、恐怖演出もとにかく同じパターンのジャンプスケアが繰り返されるだけで、パターンが読めてしまう。静かになったと思ったら、”ジャーン”と大きな音と突然のモンスター出現で驚かせるだけの演出が多いので、これではアトラクションの”お化け屋敷”と変わらない。映画としてキャラクターに感情移入して心理的に追い詰められたり、究極の選択に迫られたりといった”機微”が無さすぎるのだ。車のクラクション音の大きさでさえ驚かせてくるのには、苦笑いが出てしまった。
さらに登場する敵キャラクターも、マスクの殺人鬼、ゾンビのようなクリーチャー、魔女、ポルターガイスト、巨人となんでもアリなので、逆に恐怖感が薄い。ゲーム版での敵だったウェンディゴの造形もB級すぎていて残念だし、彼らは元々人間だったという劇中の説明はあるが、それ以外のモンスターやクリーチャーたちは何なのか?が良く分からない。恐らくは「サイレントヒル」のように、あの世界は主人公クローバーの心象世界での出来事だという事なのだろうが、その描き込みも中途半端なので設定に没入できないのだ。序盤ではあれほど無敵だったマスク男も後半では何故か倒せてしまうし、救いにいったはずの姉メラニーが変体したクリーチャーも、特に大きなドラマもなくあっさりと倒してしまう始末で、エンターテインメント映画として楽しませてほしい要素が大味でどうにも薄い。水を飲むと身体が爆発する理由や前振りもなく、単に残酷でビックリする場面が連続的に出てくるだけだ。
ただ「R18+」ということで、ゴア描写のクオリティだけは頑張っていると思う。とはいえ、前述のようにホラー映画としての”恐怖演出のフリ”が効いてないので、これがまったく怖さに繋がっていかない。冒頭のガソリンスタンドでピーター・ストーメアが出てきた時点で、ある程度のオチは読めてしまうし、クローバーを始めマックスやニーナなどのキャラクターもあまり印象に残らずに弱い。ゲーム版でラミ・マレックが演じていたジョシュアがドクター・ヒルの机にあるカルテだけで登場するが、これだけゲーム版とは違う世界観で作られた内容だっただけに、”ただ出しただけ”に感じられて、何の驚きも感慨もないのが正直なところだ。ゲーム版へのリスペクトがまったく感じられないのである。
ストーリーやキャラクター設定/演出などは若年齢向けなのに、なぜかゴア描写だけが突出しているために成人指定になっているという、あまりにチグハグな印象を受けた本作。内容としては、本来は中学生くらいの観客が一番楽しめるタイプの作品なのではないだろうか。これだけ世の中にホラー映画の傑作がある中で、本作を観る理由は薄いと思う。ラストシーンでのドクター・ヒルの口笛から、彼はまだ生きてるということなのかもしれないが、正直言って本作の続編にはまったく興味が湧かない。これなら賛否両論あったゲーム版の方が、よほど良かったと思うくらい残念なホラー映画であった。
3.0点(10点満点)