映画「ジュラシック・ワールド 復活の大地」を観た。

「GODZILLA ゴジラ」「ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー」「ザ・クリエイター/創造者」のギャレス・エドワーズが新たにメガホンを取った、「ジュラシック」シリーズの通算7作目。前作「ジュラシック・ワールド 新たなる支配者」から5年後を舞台にした、直接的な続編となる。製作総指揮を1作目を監督したスティーブン・スピルバーグが務め、脚本には「ジュラシック・パーク」「ロスト・ワールド」のデビッド・コープが28年ぶりにシリーズ復帰した。出演は「ブラック・ウィドウ」「ジョジョ・ラビット」のスカーレット・ヨハンソン、「ムーンライト」「グリーンブック」のマハーシャラ・アリ、「ウィキッド ふたりの魔女」のジョナサン・ベイリー、「アステロイド・シティ」のルパート・フレンド、「オリエント急行殺人事件」のマヌエル・ガルシア=ルルフォら。今回もネタバレありで感想を書いていきたい。
監督:ギャレス・エドワーズ
出演:スカーレット・ヨハンソン、マハーシャラ・アリ、ジョナサン・ベイリー、ルパート・フレンド、マヌエル・ガルシア=ルルフォ
日本公開:2025年
あらすじ
熟練の特殊工作員ゾーラ・ベネットは、信頼する傭兵のダンカン・キンケイド、古生物学者のヘンリー・ルーミス博士らとともに、初代「ジュラシック・パーク」の極秘研究施設が存在した禁断の島へ足を踏み入れる。そこはかつてパークの所有者が極秘の実験を行い、“最悪の種”と言われる20数種の恐竜が生き残った、地球上で最も危険な場所だった。ゾーラたちの任務は、心臓病に奇跡的な治療効果をもたらす新薬の開発に不可欠な、陸・海・空の3大恐竜のDNAを確保すること。ゾーラたちは恐竜の脅威に立ち向かいながら、任務遂行のために歩みを進めていくが。
感想&解説
コリン・トレボロウ監督による、2022年公開の前作「ジュラシック・ワールド/新たなる支配者」は、改めて見返してみても本当に駄作だったと思う。「ジュラシック・パーク」初期3作で登場したサム・ニール演じるアラン・グラント、ローラ・ダーン演じるエリー・サトラーを21年ぶりに再登場させ、クリス・プラット、ブライス・ダラス・ハワード、ジェフ・ゴールドブラムらと合流させることによって、シリーズの大団円を描こうとしていたのだが、これが全くストーリーとして盛り上がらない上に面白くならないという珍作だった。とにかく設定がガバガバすぎていた事と、主要キャラは絶対に死なないフラグが立ちすぎていて緊張感がないことが問題で、本来は恐竜と対峙することで強烈なスリルを感じるはずなのに、映画を観ていてもまったく心が動かないのだ。
そういう意味では、改めてスティーブン・スピルバーグ御大が監督した「ジュラシック・パーク」「ロスト・ワールド」の初期2本の完成度は高すぎる。個人的にはジョー・ジョンストン監督による「ジュラシック・パーク3」も上映時間94分というタイトな出来で良かったと思うし、2015年の「ジュラシック・ワールド」も、もう一度テーマパークだけを舞台にした快作だったと思うが、前作「新たなる支配者」によって完全に尻つぼみになってしまったシリーズだと感じる。だからこそ作り手もその意識はあったのだろう。今回「GODZILLA ゴジラ」「ザ・クリエイター/創造者」を手掛けたギャレス・エドワーズを監督に迎え、スカーレット・ヨハンソンというシリーズ初の女性主人公を設定して、もう一度シリーズを立ち直らせる意図を強く感じるのが、シリーズ7作目にあたる本作「ジュラシック・ワールド 復活の大地」である。
そもそも「新たなる支配者」の大きな問題点は、”恐竜たちが野に放たれてしまった世界”を舞台にしていたことだったと思う。前作の最後は”人類は恐竜と共存していくべき”というような論調だったが、理屈も話し合いも通用しない恐竜に対して、それはそもそも無理な話なのだ。さらに普通に”恐竜がいる世界”を舞台にするなら、世界にはどういう施設があって世界のルールがどのように変わっていて、どうやって人間たちが生活しているのか?を描かないと、観ていて納得できない。恐竜の存在が人間に与える影響をまるで描かない前作は、設定として風呂敷を広げたわりには、誘拐された少女と恐竜の子供を助けるだけの作品になっていた事が課題だったが、この映画はそこだけは上手くカバーしてきたと感じる。ただしそれ以外は全体的に酷評になるので、ご容赦を。
舞台は前作から5年後、恐竜は地球上に放たれてしまっているものの、地球の環境は恐竜にとって生活しづらいことが発覚し、多くの恐竜は死に絶えた上に生存している一部は、熱帯地域に生息していることが説明される。そのことによって舞台を”サン・ユベール島”という限定的な空間にしており、これはシリーズの”原点回帰”を感じるし、”イスラ・ソルナ”という島での出来事を描いていた「ジュラシック・パーク3」にも近い設定だと思う。発端はシリーズお馴染みの”インジェン社”であり、一作目で登場したジョン・ハモンドが恐竜を蘇らせた会社だ。冒頭ではそのインジェン社が17年前に遺伝子操作によって、ミュータント恐竜を作っていたことが描かれるが、まずここから大きく本作は躓いてしまう。研究員が床に捨てた”スニッカーズ”の袋によって研究所がパニックに陥るのだが、これは流石に展開としてバカバカしすぎる。遺伝子研究をやってる現場であり、目の前にセキュリティーの高い扉がある場所に、そもそも食べ物を持ち込める訳がないだろう。この序盤の入りから真剣に観る気が失せてしまう。
そこから秘密工作員のゾーラが製薬会社のマーティンに雇われ、古生物学者ヘンリーと旧知の友ダンカンらと共に、陸/海/空の恐竜3種からDNAサンプルを回収するという任務を遂行することになり、そこに父ルーベン、長女テレサ、妹イザベラ、そしてテレサの恋人ザビエルという家族が加わって物語は進むのだが、まず前半の展開が驚くほどに退屈だ。ゾーラとダンカンが船の中で昔話をするシーンでは、退屈なバストアップのカットが続いて眠気を誘うし、ルーベン家族も含めて本作のキャラクターたちには観客を惹きつける魅力がないと感じる。中盤でもテレサを助けにいった恋人ザビエルに対して、父親ルーベンが御礼を言うシーンが2回出てきたりと、いわゆる見せ場の”アクションシーン”以外のパートが冗長だ。ドラマパートになると途端につまらなくなる上に度々挟みこまれるために、全体を通して映画がなかなかドライブしていかないのだ。
また恐竜に襲われる見せ場のシーンも、驚くほどに今までの焼き直しばかりで新鮮味も薄い。ここからネタバレになるが、序盤で登場する海のモササウルスと崖を降りながらケツァルコアトルスに襲われる一部のシーンだけは見応えがあったが、本作でも発動する”主要キャラは死なないフラグ”は健在でイザベラは食われる訳がなく、どんなに高いところから落ちてもヘンリーが死ぬはずがないので、正直スリルは削がれている。また主役であるはずのスカーレット・ヨハンソン演じるゾーラも存在感が薄く、彼女のスター性も見事に消え失せているのも問題だ。スカヨハらしい印象的なシーンがないのだが、これはキャラクター設定に問題があるのだろう。過去に大事な人を失くしたというセリフはあるが本作の展開には絡んでこないし、ラストは金を諦めて新薬を世界にシェアする判断を下すシーンはあるものの、最後まで観てもゾーラというキャラクターに愛着が湧かない。
おまけに音楽の演出もスマートさに欠ける。人が死ぬ感傷的なシーンになると悲しい曲が流れ、雄大な自然を感じる場面になるとジュラシックパークのテーマ曲が流れと、ほとんど場面の”説明”のために音楽が使われていて垢抜けない。さらに終盤の展開である発火筒で恐竜を誘導するという展開は感動的なはずだが、過去作でもオマージュされてきたシーンの焼き直しだし、棚のところで見つからないように静かに行動する場面や、”手首がボトッ”など本当に既視感があり過ぎる。さらにラスボスの「エイリアン」”ゼノモーフ恐竜”の登場には、映画ジャンルが変わってしまったという悪い意味の驚きがあった。この恐竜がアリなら今後のジュラシックシリーズは、”なんでもアリ”になってしまうだろう。ドロレスと命名した小さなアクイロプスをイザベラが連れ帰る展開も納得できないし、ギャレス・エドワーズが撮っても、結局こうなってしまうのかと落胆した本作。ジュラシックシリーズの耐用年数が終わったことを感じる一作だった気がする。また今後もシリーズは続きそうだが、これからは期待値を大きく下げて観に行くシリーズになりそうだ。
4.0点(10点満点)