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映画「遠い山なみの光」ネタバレ考察&解説 伏線を解説!カズオ・イシグロ原作を、映画的な示唆に富んだ演出の数々と素晴らしいキャスティングで描いた良作!

映画「遠い山なみの光」を観た。

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「愚行録」「蜜蜂と遠雷」「Arc アーク」「ある男」など作家性の高い作品を残してきた石川慶がメガホンをとり、2017年にノーベル文学賞を受賞した作家カズオ・イシグロの原作を映画化したヒューマンミステリー。今までに「日の名残り」「わたしを離さないで」などの原作が映画化されているが、「遠い山なみの光」はカズオ・イシグロの出生地である長崎を舞台に執筆した長編小説デビュー作でもある。監督/脚本/編集を石川慶が手掛けているが、本作は日本/イギリス/ポーランドの3カ国合作による国際共同製作で、第78回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門出品作でもある。出演は「海街diary」「ちはやふる」「片思い世界」などの広瀬すず、「ヒミズ」「私の男」「翔んで埼玉」の二階堂ふみ、「魔女の宅急便」「愛を積むひと」の吉田羊、「ミステリと言う勿れ」の松下洸平、「葛城事件」「アウトレイジ ビヨンド」の三浦友和など。今回もネタバレありで感想を書いていきたい。

 

監督:石川慶
出演:広瀬すず二階堂ふみ、吉田羊、松下洸平三浦友和
日本公開:2025年

 

あらすじ

1980年代、イギリス。日本人の母とイギリス人の父の間に生まれロンドンで暮らすニキは、大学を中退し作家を目指している。ある日、彼女は執筆のため、異父姉が亡くなって以来疎遠になっていた実家を訪れる。そこでは夫と長女を亡くした母・悦子が、思い出の詰まった家にひとり暮らしていた。かつて長崎で原爆を経験した悦子は戦後イギリスに渡ったが、ニキは母の過去について聞いたことがない。悦子はニキと数日間を一緒に過ごすなかで、近頃よく見るという夢の内容を語りはじめる。それは悦子が1950年代の長崎で知り合った佐知子という女性と、その幼い娘の夢だった。

 

 

感想&解説

石川慶監督はポーランド国立映画大学で映画を学び、長編デビュー作「愚行録」がいきなりヴェネツィア国際映画祭に選出されたり、「蜜蜂と遠雷」では日本アカデミー賞優秀作品賞を受賞したりと、その才能を早くから発揮してきた人物だと思う。そして2022年公開の「ある男」は日本アカデミー賞優秀作品賞含む最多8冠に輝き、興行的にも成功したことで、その動向に強い関心が集まっている監督だろう。そんな石川慶監督の新作は、アンソニー・ホプキンスエマ・トンプソンで映画化された「日の名残り」や、キャリー・マリガンアンドリュー・ガーフィールドで映画化された、「わたしを離さないで」などの原作を手掛けたカズオ・イシグロの長編小説デビュー作の映画ということで、特に期待された一作だと思う。そしてそんな本作「遠い山なみの光」は、原作の繊細さやメッセージを活かしながらも見事に映像化に成功した良作だと感じる。

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まず広瀬すず二階堂ふみ、吉田羊、三浦友和といったキャスト陣が素晴らしい。長崎の方言をほとんど違和感のないレベルで操りながら、きちんと感情を表現する役者魂には恐れ入るし、イギリスに約1か月ホームステイしながら、ダイアローグコーチが付いて訓練したという吉田羊は、全編英語でのセリフを巧みにこなしている。役者たちが演じるすべての役柄に実在感があるのである。ちなみに1982年でニキがポータブルプレイヤーで聴いているのは、イギリスのバンド”New Order”の「Ceremony(セレモニー)」という曲であり、1981年にリリースされた彼らのデビュー曲だ。この曲の歌詞は、New Orderの前身バンドである「ジョイ・ディヴィジョン」のフロントマンであるイアン・カーティスによって書かれたもので、彼は23歳で首つり自殺をしている。この楽曲はエンドクレジットでも流れるため、ほとんどこの作品のテーマ曲のような扱いだが、まさに本作の根底に流れる”ムード”を端的に表している曲だろう。

 

ここからネタバレになるが、この「遠い山なみの光」はいわゆる”信用できない語り部”の系譜にある作品だ。日本人の母とイギリス人の父の間に生まれロンドンで暮らすニキは、大学を中退し物書きをしているが新しいテーマの執筆のため、母である悦子が一人で住む実家を訪れる。そこで長崎で原爆を経験した悦子に、なぜ母は戦後イギリスに渡ったのか、日本での生活はどうだったのか?をインタビューするのだが、本作における過去回想のシーンはこの悦子による語りを映像化したものになっている。よって構成としては、過去である1952年の広瀬すずが悦子を演じるパートと、吉田羊が悦子を演じる1982年の現代パート、そして現代の悦子がよく見るという”悪夢”を映像化したパートの3つで構成されている。そしてラストの大仕掛けで悦子がまるで第三者のように語っていた、本作の二階堂ふみ演じる佐知子と、広瀬すず演じる悦子は同一人物であることが語られ、物語がひっくり返される構成になっている。

 

 

中盤の展望台のシーンで、佐知子が悦子に「私たちは似てるもの」と言うシーンがあるが、本作では細かく伏線を張ることで、彼女たちが同一人物であることを描いている。佐知子の娘である万里子が語る”川向うの女性”とは強烈に”死”を感じさせる存在だが、これは原爆を経験した直後の長崎時代の悦子であり、”死んだ赤ちゃんを水に浸けていた”というエピソードは、イギリスに渡るために娘の大事にしてきた猫を殺してきた悦子自身のエピソードだろう。そして悦子が橋で見る”喪服のように黒い服”を着た女も同じく、長崎での暗い生活を送る悦子のメタファーであり、彼女の悪夢の一環だ。娘の景子と船で会話している時に”紐”が足に絡まっているのも、彼女の悪夢であり、紐とは景子の自殺の象徴だと思う。このようにシーンの中に、1982年の悦子が語る”作り話”と”悪夢”が混在しているため、観客もその境界が分からずにクラクラしてくる。

 

ただ本作はそれを映像的にうまく表現しており、ときおりまさしくフィクショナルに鮮やかな赤い夕陽や、佐知子のいる部屋の極端なライティングなどが登場するが、これらは悦子の語る幻想のシーンだからだ。逆にイギリスにおけるライティングは硬質で暗い。これはリアルな現実を切り取っているからだろう。さらに三浦友和演じる緒方は”過去=戦争の象徴”であり、彼は過去の自分の考えや視点を捨てられない人物だ。そしてそのせいで、戦争で指を失った息子の二郎とはうまく関係が修復できていない。二郎は嬉々として自分を戦争に送り出した父親を憎んでいるからだ。そして表面上は良き関係を築いているように見える悦子とも、実は深層では隔たりがあることが映像的に語られる。団地の部屋の中にいるシーンでは、悦子と緒方は部屋の仕切りを隔てて会話するシーンが多く、カメラ位置から彼らは断絶しているように見える。これは意図的で、悦子は過去の戦争の象徴である緒方とは離れる運命にあるからだ。そしてそれはこれから訪れる、二郎との別れも意味している。

 

二郎は生まれてくる子供のためにがむしゃらに働いているが、その心は戦争の傷跡のため乱れている。そして悦子にとっては緒方と同じく、彼も過去の人物であることが、二人の解けている”靴の紐”によって示される。その紐を結び直しながら悦子は、自分の人生を諦めないことを宣言するのだ。二郎は「私がもし被曝してても結婚しましたか?」という悦子の質問に対して明確な回答を避けるが、ここでしっかりと彼女を受け止めていたら、彼らの行方は変わっていたかもしれない。その後、彼らは離婚して、悦子は生まれてきた景子と共にイギリスに渡ったのだろう。そして佐知子の描写であったように、金銭的にもかなり厳しい状態だったことが想像できる。日本に居てもこのまま歳を重ねるだけだという佐知子のセリフがあったが、親子は新しい人生を切り開くために渡英するのだ。佐知子は繰り返し「アメリカに行くのだ」と唱えるが、これは悦子のイギリスへの熱望の表現だ。駅のホームで緒方に語る「終戦直後は誰かに支えてもらわないと立っていられなかった。でも時代が変わった。お父さんも変わらないと。」というセリフは、彼女が新しい人生に踏み出すことを決意しているがゆえの発言だと感じる。もちろんこの辺りの時系列は、かなり悦子によって脚色してあるのだろう。「万里子=景子」は、悦子が妊娠している二郎との子供だろうからだ。悦子は長崎で景子を産み、その後に渡英してイギリス人と結婚し、ニキを産むことになる訳だ。

 

本作には、常に長崎の原爆投下という史実への痛みと哀しみが張り付いている。悦子は原爆によって家族を亡くし、自らも被爆しているのではないか?そしてその影響が子供に出るのではないか?という恐怖を抱えている。そして子供のために好きな音楽の道を諦め、日本の家父長制の中で悶々と暮らしているが、ようやく渡ったイギリスでも景子を自殺によって失うことになる。そんな1952年の悦子に佐知子は「女性は目覚めるべきだ」と語る。そしてそれはニキが1982年に生きる悦子に語る言葉でもある。ニキが妊娠していることはワインを断るシーンや検査薬を買う場面から示唆されるが、でも”子供を理由に人生を諦めたりはしない”と宣言し、彼女はスーツケースを持ちロンドンに帰っていく。このラストシーンは無音だが、きっと彼女が聴いているのは「Ceremony(セレモニー)」ではないだろう。このラストシーンは強い希望を感じる場面だったと思う。路面電車から広瀬すず演じる悦子が窓の外から、吉田羊が演じる悦子を見かけるシーンなども含めて、この映画は理屈で説明できない場面も多い。だが、これらの超常的なシーンすらもこの映画を豊かなものにしていると感じる。強く生きる女性たちと共に、過去と現在は繋がっているのだ。

 

 

8.0点(10点満点)