映画「ザザコルダのフェニキア計画」を観た。

「天才マックスの世界」「ザ・ロイヤル・テネンバウムズ」「ファンタスティック Mr.FOX」のウェス・アンダーソンが監督/脚本/製作を手掛けた最新作。ビジネスの危機的状況を打開するべく旅に出たヨーロッパの富豪ザ・ザ・コルダが、さまざまな事件に巻き込まれていく姿を描いたコメディドラマ。出演は「ユージュアル・サスペクツ」「トラフィック」「ボーダーライン」のベニチオ・デル・トロ、ケイト・ウィンスレットの実娘のミア・スレアプレトン、「スコット・ピルグリム VS. 邪悪な元カレ軍団」のマイケル・セラ、「サウンド・オブ・メタル 聞こえるということ」のリズ・アーメッドの他、トム・ハンクス、スカーレット・ヨハンソン、ベネディクト・カンバーバッチらお馴染みのスターも集結している。2025年の第78回カンヌ国際映画祭コンペティション部門出品。今回もネタバレありで感想を書いていきたい。
監督:ウェス・アンダーソン
出演:ベニチオ・デル・トロ、ミア・スレアプレトン、マイケル・セラ、トム・ハンクス、スカーレット・ヨハンソン
日本公開:2025年
あらすじ
独立した複数の都市国家からなる架空の大独立国フェニキア。6度の暗殺未遂を生き延びたヨーロッパの大富豪ザ・ザ・コルダは、フェニキア全域におよぶインフラを整備する大プロジェクト「フェニキア計画」を画策していた。成功すれば、今後150年にわたり毎年ザ・ザに利益が入ってくる。しかし妨害により赤字が拡大し、30年かけて練り上げてきた計画が危機に陥ってしまう。ザ・ザは資金調達のため、疎遠になっていた娘で後継人の修道女リーズルとともに、フェニキア全土を横断する旅に出る。
感想&解説
2023年日本公開の「アステロイド・シティ」から、約2年ぶりのウェス・アンダーソン監督の新作だ。その前に公開された「フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊」から顕著だったと思うが、ウェス・アンダーソンの近作は明確なストーリーを語るというよりは、”映画の構造”そのものに手を加え、その枠組みの中での役者のアンサンブルを重要視するような作風にシフトしていたと思う。「アステロイド・シティ」では、1950年代のテレビ画面風なモノクロのスタンダード画面で表現されるのは、舞台「アステロイド・シティ」のメイキングドキュメンタリーの映像であり、カラーで表現されるのは舞台そのものという”入れ子構造”を持った作品だったし、「フレンチ・ディスパッチ~」は架空の雑誌の最終号に掲載された、3つのエピソードとひとつのレポートをオムニバス形式で描いており、まるで雑誌の各コーナーを眺めているような映画体験が味わえるという奇妙な作品だった。
そして両作品ともに、エイドリアン・ブロディ、ティルダ・スウィントン、レア・セドゥ、ウィレム・デフォー、ジェフリー・ライトなどに加えて、「アステロイド・シティ」ではエドワード・ノートン、スカーレット・ヨハンソン、トム・ハンクス、マーゴット・ロビー、ジェフ・ゴールドブラム、「フレンチ・ディスパッチ~」ではビル・マーレイやフランシス・マクドーマンドなどの超大物もちょっとした役で出演しており、このオールスターキャスト感も大きな魅力の作品だった。そしてウェス・アンダーソンらしい左右対称のシンメトリックな構図や独特の小道具、セットの世界観などのハイコンセプトなビジュアルは相変わらずであり、ほとんど”動く写真集”を観ているような作品だった気がする。そういう意味では、ウェス・アンダーソンが明確なストーリーの筋を打ち出していた実写映画は、ストップモーションアニメ「犬ヶ島」の前作にあたる、2014年日本公開の「グランド・ブダペスト・ホテル」が最後だったかもしれない。
そして本作「ザ・ザ・コルダのフェニキア計画」だが、「フレンチ・ディスパッチ~」「アステロイド・シティ」に比べれば、まだストーリー展開がある。それは主人公ザ・ザ・コルダには明確な目的があるからだ。大富豪であるザ・ザ・コルダによる”フェニキア計画”とは、独立した都市国家が集まった架空の国フェニキアを舞台に展開される巨大インフラプロジェクトであり、フェニキア全土に交通/物流/通信などのインフラを整備し、国全体の効率と収益性を飛躍的に高めようとする試みだ。この計画が成功すれば、150年にわたりザ・ザに莫大な利益がもたらされるのだが、計画は政治的対立や妨害工作によって頓挫寸前。そこでザ・ザは自分の後継者として、修道女見習いの一人娘リーズルと家庭教師のビョルンを引き連れ、現地に飛んで再交渉と資金調達を試みるという展開となる。
ここからネタバレになるが、このフェニキア計画の金策のために、ファルーク王子やバスケが得意なリーランド、ギャングの親分でジャズクラブのオーナーであるマルセイユ・ボブ、献血してくれるマーティ、水力発電堤防の監督官でありいとこのヒルダ、そして謎の男である”ヌバルおじさん”などの元を訪れるザ・ザ・コルダ一行だが、それとは別軸のストーリーとしてリーズルの母親であり、ザ・ザ・コルダの元妻を殺した犯人を追うという展開もあり、その過程でザ・ザ・コルダとリーズルの親子愛も語られていく。これらがシームレスに語られる上にセリフの情報量がとんでもなく多く、登場キャラクターも多い為、初見ですべてを把握するのはかなり大変だろう。なまじストーリー展開がハッキリとあるために、ここにストレスを感じる観客も多い気がする。
また本作は、構造的な面白さを追求していた近作と比べて、初期作品への原点回帰だと言われている。特に「ザ・ロイヤル・テネンバウムズ」や「ライフ・アクアティック」などを思い出のは、本作の根底に流れるのは、旅を通じた”親子愛”だからだろう。特に冒頭から世界から疎まれているゆえに殺し屋に6回も命を狙われ、長年に亘って脱税や賄賂の疑念が付きまとっていたザ・ザ・コルダが、全てを失くしても娘と一緒にレストランで働くというラストの流れは、映画的なカタルシスを感じさせる大団円展開だったと思う。特にラストにおける間と構図を活かしたトランプシーンから、センス溢れるエンドクレジットまでの流れはほとんど完璧で、この映画の満足度を確実に上げていたと感じる。しかも劇中で使われていた絵画は、本物が使われていたことがエンドクレジットで表現され、これにも驚かされる。こういうこだわりが、まさしくウェス・アンダーソン監督らしさなのだろう。
だが一方で本作は過去作に比べて、意外と”血生臭い”作品でもあると思う。冒頭からプライベートジェットの爆破では男の半身が吹き飛ぶ描写があったり、撃たれたザ・ザ・コルダの銃痕に指を入れて弾を取り出す描写、そして格闘シーンでは頭から流血していたりと、描写としてはグロテスクにならないようにサラッと描いてはいるが、暴力的な描写が続く。さらにザ・ザ・コルダが死の淵を彷徨うたびに、白黒画面の”天国シーン”が挟み込まれることによって、過去作にないほど死を意識させるのも本作の特徴だ。リーズルの”修道女見習い”という設定も相まって微妙な宗教色も感じるが、大富豪とその娘が母親の死の真相を追う物語という、冒険サスペンス風味の作風に合わせた演出なのかもしれない。冒頭における飛行機シーンの展開だけ観れば、まるで「007」のような活劇が始まったのかと思ったほどだ。ところがここもウェス・アンダーソン作品ならではだが、本作は徹底して”アンチ・カタルシス”な作風であり、”普通の映画”であれば確実に観客にスリルを感じさせるような場面でも、決定的なアクション部分をまったく見せてくれない。
飛行機の墜落シーンも、実際にどのように墜落したのか?は徹底的に描かれず、画面が切り替わるとすでに飛行機は墜落済みだ。たとえ底なし沼に落ちたキャラクターを救う場面でも、どうやって救ったかの過程は描かない。ファルーク王子のバスケの”フリーシュート”勝負などは、明らかに盛り上がる場面であるにも関わらず、彼がボールを投げるシーンすら見せず、カットが変わればすでに勝負が着いている。いわゆる映画内の観客が観たいアクションシーンは、徹底してオミットされているのだ。その代わりにラストで展開されるのは、ベニチオ・デル・トロとベネディクト・カンバーバッチによるグダグダの格闘シーンだ。いわゆる映画のスリリングさは、ウェス・アンダーソン映画には必要ないのだろう。ただストーリーの展開が明確な割にキャラクター設定は難解だし、面白くなりそうなシーンが続く割にはアクション的なカタルシスが薄いので、個人的にはむしろ「フレンチ・ディスパッチ~」や「アステロイド・シティ」といった作劇的な面白さがあった過去作よりも、満足感の低い一作だと感じてしまった。これは個人の好みの問題だが、やや物足りない作品であった。
4.5点(10点満点)