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映画「THE MONKEY/ザ・モンキー」ネタバレ考察&解説 監督の作家性が出た、奇妙なバランスの不条理ブラックコメディ!

映画「THE MONKEY/ザ・モンキー」を観た。

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スティーブン・キングの短編ホラー小説「猿とシンバル」を、ニコラス・ケイジが凶悪なシリアルキラーを演じて話題になった「ロングレッグス」のオズグッド・パーキンス監督が映画化。プロデューサーには「M3GAN ミーガン」「ソウ」シリーズのジェームズ・ワンが名を連ねている。出演は「ダイバージェント」のテオ・ジェームズ、「ボストン ストロング ダメな僕だから英雄になれた」のタチアナ・マズラニー、「エターナル・サンシャイン」「ロード・オブ・ザ・リング」のイライジャ・ウッド、「コカイン・ベア」のクリスチャン・コンベリーなど。本国アメリカでは公開前から予告編の再生回数が72時間で1億900万回を超え、インディーホラーとして最高記録を更新、さらにオープニング成績でも大ヒットしたホラー映画だ。今回もネタバレありで感想を書いていきたい。

 

監督:オズグッド・パーキンス
出演:テオ・ジェームズ、タチアナ・マズラニー、イライジャ・ウッド、コリン・オブライエン、クリスチャン・コンベリー
日本公開:2025年

 

あらすじ

双子の少年ハルとビルは亡き父の持ち物から、ぜんまい式のドラムを叩く猿のおもちゃを見つける。その頃から双子の周囲では不慮の事故死が相次ぎ、最初はシッターのアニーが、次いで母が亡くなってしまう。いずれも死の直前に、猿のおもちゃがドラムを叩いていたことから、猿が2人の死に関係しているのではないかと考えたハルは、猿を切り刻んで捨てるが、いつの間にか元通りの姿で戻ってくる。その後、双子を引き取った伯父も狩りの事故で異様な死を遂げ、双子は猿を枯れ井戸へと葬った。それから25年後。一度は結婚し息子をもうけたハルだったが、また猿が戻った時のことを考え、家族と距離を置き、ビルとも疎遠になっていた。しかし今度は伯母が事故死し、ハルは猿が戻ってきたことを確信する。

 

 

感想&解説

「この10年でいちばん怖い映画」というコピーが強烈だった「ロングレッグス」を手掛けた、オズグッド・パーキンス監督の今年2作目の日本公開作が「THE MONKEY/ザ・モンキー」だ。原作はスティーブン・キングの短編ホラー小説「猿とシンバル」で、双子の設定などは映画化の際に追加された要素らしい。個人的に「ロングレッグス」は、ニコラス・ケイジの熱演や導入の面白さはあったものの、後半になるにつれて世界観とストーリーが閉じていってしまい、小じんまりとした作品になってしまった印象だったが、本作は前作のシリアスなサイコホラーからジャンルをシフトしてきた印象だ。そのジャンルとは”ブラック・コメディ”であり、全体を通してかなり意図的な演出手法になっていたと思う。逆にいわゆる”怖さ”はほとんどない作品なので、それを求めるホラーファンには不満が残る作品だろう。

鑑賞しながらもっとも思い出したのは、2001年から続くホラーシリーズの「ファイナル・デスティネーション」だ。修学旅行に向かう途中の学生が、凄惨な飛行機事故を予知して回避するものの決して逃れられない死の運命によって次々と殺されていくというホラー映画で、殺人鬼や幽霊ではなく決して”逃れられない運命”によって事故死していくというプロットが面白い作品だった。今までシリーズで計6作品が作られており、まるで「ピタゴラスイッチ」のように登場人物たちの趣向を凝らした”殺され方”が特徴で、突然大型バスにひき殺されるというストレートなものから、窓から捨てたパスタで足を滑らせた転倒後に、なぜかハシゴが落ちてきて目に刺さる、視力の治療中に水の漏電によって機械が故障し、レーザーによって片目を焼かれた上に窓から転落など、こちらもブラックコメディ全開の作品だったと思う。この逃げられない運命によって、あり得ない死に方で人が死んでいくという不条理で不謹慎な描き方がそっくりなのだ。

 

本作「THE MONKEY/ザ・モンキー」における殺人のキーとなるのは、”ゼンマイ仕掛けの猿の人形”だ。一旦、背中のねじを巻いてしまうと理由も説明もなく人が死んでしまうのだが、これについては誰が死ぬかや方法や時間などはいっさい選べず、ねじを巻いた本人以外の誰かが死ぬという設定だ。これは現実世界の死においても同じで、日々交通事故や病気によって残された者にとっては不条理に人は死ぬわけで、この成す術も無い死の象徴として、この”猿の人形”は存在する。ちなみに監督のオズグッド・パーキンスの父親は、ヒッチコック監督の「サイコ」でノーマン・ベイツ役を演じたアンソニー・パーキンスであり、1992年にはエイズによる合併症で急死しているし、さらに母親は2001年9月11日のアメリ同時多発テロに巻き込まれて死んでいる。この辺り、スティーブン・キングの原作はありながらも、オズグッド・パーキンス自身が感じている”死生観”が作品に反映されている気がする。

 

 

また本作で原作から追加になった要素として、ハルとビルという双子の設定があるが、彼らは”陰と陽”の関係だ。序盤は彼らの少年期から始まるのだが、弟のハルは兄のビルにいじめられており、父親は失踪していてシングルマザーに育てられている。父親はパイロットだったらしく、彼の荷物から猿の人形を見つけてネジを巻いてしまったことから、彼らの周りに不条理な死が襲い掛かってくる。ベビーシッターが死に、ハルがビルを殺そうとネジを巻いた直後に、母親ロイスも動脈瘤で亡くなったのだ。怖くなったハルは猿の人形を切り刻み捨てるが、それでも元に戻ってきてしまう。今度はビルが巻いたネジによって、兄弟を引き取った叔父も大量の馬に踏みつけられて死ぬ事故が発生し、彼らは人形を井戸に捨てる。そしてそのまま25年が経ち、父親となったハルは息子ピーティーも含めて、人との関わりを避けて生活している。だがそんなハルの元にビルから電話があり、叔母も不慮の事故で死んだために家に行って、遺品の中に猿の人形がないか確認しろと指示される。そして旅行中だったピーティーと共に叔母の家に行くが、町ではまた大量の死者が出ていることを知る。

 

ここからネタバレになるが、実はこの大量殺人の犯人は兄のビルであり、叔母の遺品整理のためのセールで出ていた人形を警察官の息子リッキーを介して、入手していたのだ。その理由は幼少期のハルが母親を殺したのだとビルは思い込んでおり、その復讐のためにハルを殺そうとネジを巻いていたのだが、その被害が町の人々に発生していた訳である。リッキーも猿の人形を奪い返そうと画策し、銃で脅されてビルのアジトへ向かうハルとピーティー。だが再び巻かれたネジによって、大量のハチに殺されたリッキーを後に遂にビルと対峙するハル。そして気持ちを伝えることで二人は和解するが、再び動き出した猿によってボーリングの球が発射されてビルの首は吹っ飛ぶ。崩壊した町を車で走っていると、死神が目の前を横切るが、ハルとピーティーは「踊りに行こう」と決意してこの映画は終わる。

 

本作にはハルとビルという双子の家庭と、警察官の息子リッキーとその兄弟という2つの家庭が登場するが、そのどちらも父親が不在だ。彼らは父親の不在という強い喪失感を抱いており、それと同時に家族を捨てた父親を恨んでいる。冒頭、双子の父親が猿の人形を焼くシーンがあり、結局彼がどうなったのかは本作では描かれないが、母親は「タバコを買いに行って戻ってこなくなった」と語り、リッキーの父親も母親の口からは、「女の尻に敷かれている」と表現されて軽蔑されている。彼らはパイロットや警察官であり、立派な職業なのにも関わらず、家庭を顧みない男たちだったことが示唆される。ちなみに監督の前作「ロングレッグス」も、呪いによって”父親たち”が家族を殺す物語だったし、その前の作品である2016年の「呪われし家に咲く一輪の花」も、夫によって妻が殺される話だったことから、ある種の作家性を感じられるのは偶然だろうか。ちなみに本作の序盤でハルがビルを殺す妄想シーンは、寝ているビルの顔をボーリングの球で潰すという殺し方だったが、ラストでビルが死ぬのはロイスのボーリングの球によってだ。和解したはずの兄弟だったにも関わらず、兄のビルが死ぬという展開には驚かされたが、これにも意図があるのだろう。

 

結局、母親の死因はハルが巻いたネジのせいではなく病死だったことが明かされるが、これこそが本作のメッセージなのだろう。母親が兄弟を抱きしめながら、「人は必ずいつか死ぬのよ」と語るシーンがあったが、あの時点で彼女は病に冒されていたのだと思う。本作において猿の太鼓と人が死ぬこととの因果関係はまったく明かされないし、理由もない。強いて言えば恨みや悪意のようなものだけが、誰かを傷つける可能性があることを示唆するだけだ。ラストでは飛行機が落下し爆発が起こっていたが、これも監督が母親を亡くした9.11のテロ事件と無関係とは思えないし、そんな壊滅した町では”白馬に乗った死神”が登場し、誰しもがいつでも死ぬ可能性のあることを再確認させられる。この作品は死ぬことの不可避性を描きながら、それをブラックコメディのように表現するというバランスの作品だったと思う。ただし、ややそのバランスの採り方に好みが分かれるかもしれない。個人的には前作「ロングレッグス」よりは好きな作品だったし、ジャンル映画を飛び越えて作家性の強い映画になっていたと感じる。

 

 

6.5点(10点満点)