映画「ブラックバッグ」を観た。

「アウト・オブ・サイト」「エリン・ブロコビッチ」「オーシャンズ」シリーズのスティーブン・ソダーバーグ監督が手掛けたミステリー・サスペンス。脚本家は「ジュラシック・パーク」「ミッション:インポッシブル」「インディ・ジョーンズと運命のダイヤル」などのデビッド・コープ。出演は「プロメテウス」「悪の法則」のマイケル・ファスベンダー、「アイム・ノット・ゼア」「キャロル」のケイト・ブランシェット、「マッドマックス:フュリオサ」のトム・バーク、「Back to Black エイミーのすべて」のマリサ・アベラ、「ダンジョンズ&ドラゴンズ アウトローたちの誇り」のレゲ=ジャン・ペイジ、「ムーンライト」「ブラック アンド ブルー」のナオミ・ハリスなど。エリート諜報員と二重スパイが、最重要機密をめぐり繰り広げる頭脳戦を描いていた作品だ。今回もネタバレありで感想を書いていきたい。
監督:スティーブン・ソダーバーグ
出演:マイケル・ファスベンダー、ケイト・ブランシェット、トム・バーク、マリサ・アベラ、ナオミ・ハリス
日本公開:2025年
あらすじ
イギリスの国家サイバーセキュリティセンター(NCSC)のエリート諜報員ジョージは、世界を揺るがす不正プログラム「セヴェルス」を盗み出した組織内部の裏切り者を見つける極秘任務に乗り出す。容疑者は諜報員のフレディ、ジミー、情報分析官のクラリサ、局内カウンセラーのゾーイ、そしてジョージの愛妻である凄腕諜報員キャスリンの5人。ある夜、ジョージは裏切り者の動向を探るべく、容疑者全員をディナーに招待する。食事に仕込まれた薬とアルコールの効果で、容疑者たちの意外な関係性が浮かび上がるなか、ジョージは彼らにあるゲームを仕掛ける。
感想&解説
2025年のスティーブン・ソダーバーグ監督による劇場日本公開作は、「プレゼンス 存在」に続いて2作目となり、脚本家のデビッド・コープとのタッグも2022年配信の「KIMI/サイバー・トラップ」と前作に続いてなので、この2人はかなり相性が良いのだろう。元々、スティーブン・ソダーバーグは自分でカメラを持って撮影監督を兼ねたり、編集も自分で行ったりとインディペンデントなクリエイター気質を持った監督だと思うが、その中でも「プレゼンス 存在」はかなり挑戦的な企画だったと思う。幽霊目線のホラー風味サスペンスであり小規模作品ながらも、作家性とセンスを感じさせる佳作だったからだ。そんなソダーバーグ&コープの最新作は、前作からは打って変わった”ミステリー・サスペンス”であり、より一層ストーリーの完成度が求められるジャンルに挑戦してきたと感じる。
そしてそんな「ブラックバッグ」は、近年のスティーブン・ソダーバーグ監督のフィルモグラフィーの中では突出した出来の作品だったと思う。94分というタイトな上映時間の中で必要な情報だけを詰め込みながら、ミステリー作品としても先の読めない秀逸なシナリオで魅せ切る力作になっていたと感じるし、ソダーバーグの演出も素晴らしい。ただし本作の脚本は物語の説明描写は最低限の上、観客の”想像力”に依存する作りになっているので、キャラクターの背景などは想像するしかないし、メインストーリーも相当に集中しながら鑑賞しないと置いていかれるだろう。エンドクレジットを観ながら”結局どういう話だったのか?”を反芻し、頭から整理することでようやく理解できる難易度だ。そういう意味では、2回目の鑑賞が楽しいタイプの映画かもしれない。ここからネタバレになる。
映画は諜報員ジョージが上司であるミーチャムから、世界を脅かす不正プログラム”セヴェルス”を流出させた犯人を追えと指示を受け、妻キャスリンを含む容疑者5名の名を告げられるシーンから始まる。ジョージは容疑者5人を自宅へ集めて、料理に自白剤を入れて情報を掴もうとするが、浮気を暴露されたフレディの手にクラリサがナイフを突き立てるというトラブルが発生してお開きとなる。その後、ゴミ箱から映画の半券を見つけたジョージはキャスリンに鎌をかけるが、キャスリンは映画のことを知らないと答えたことにより妻への疑念が深まり、彼女の出張の行方を探り始める。そして彼女のPCにログインして、チューリッヒに行くことを突き止める。その後、ジミーからキャスリンが偽名で銀行口座を開き、そこに700万ポンドが入っていることを聞かされたジョージは、浮気しているクラリサを脅迫して人工衛星カメラへ不正アクセスし、チューリッヒでキャスリンがロシアの反政府組織の人間と接触してることを知る。しかしこの後スティグリッツに呼び出され、この不正アクセスのタイミングで、ロシア工作員がセヴェルスを持って隠れ家から逃走したこと事が分かり、ジョージは窮地に陥ってしまう。
スティグリッツは組織内部の誰かがこの事件を画策していると疑っていると言い、帰国したキャスリンもフレディから状況を聞いたことによって、2人は罠にハメられていたことに気づく。そんなキャスリンはCIAと接触し、移動中のロシア工作員をドローン攻撃によって始末し、黒幕であるスティグリッツにも疑っていることを告げる。さらに妻との会話によって、キャスリンへの信頼を取り戻したジョージは嘘発見器を使って4人を尋問していき、彼らがセヴェルスについてどこまで知っているのかを聞き出していく。そして再び彼らを家に呼び、テーブルについた6人。結末は、当時の恋人ジミーから酔った勢いでセヴェルスのことを知ったゾーイは、実はフレディとも浮気しており、彼から情報を聞き出してメルトダウンを阻止しようとしたこと、本当の黒幕はスティーグリッツでジミーの正義感を利用してセヴェルスを盗み出した上でメルトダウンを計画したこと、そしてジョージとキャスリンをハメようとしたこと、更にジミーがミーチャムを殺していたことなどが語られる。結局ジミーはジョージに向かって空砲を打つが、逆にキャスリンに頭を撃ち抜かれる。そしてキャスリンはスティーグリッツに引退を勧告し、ジョージとキャスリンはベッドルームで、口座の700万ポンドが手元に残ったことを確かめ合い、キスをして映画は終わる。
まず主演のマイケル・ファスベンダーとケイト・ブランシェットが、当然のようにやはり素晴らしい。近作だとデヴィッド・フィンチャー監督の「ザ・キラー」という作品があったが、マイケル・ファスベンダーは寡黙なプロフェッショナルが良く似合う俳優だと思う。特に本作は、世界を揺るがす不正プログラム“セヴェルス”を盗み出した組織内部の裏切者を見つけ出し、その容疑者の中には自分の妻がいるかもしれないと疑う孤独な役柄だが、彼の趣味である”釣り”のシーンからはジョージの心の動揺が透けて見える。一人静かに釣竿を垂らしながらも、妻の事が頭から離れずに魚を逃してしまうが、彼は”妻のためなら人殺しもできる”くらい、彼女を愛しているという設定だ。そして父親の浮気を暴露したせいで、自分の家族を壊してしまったという暗い過去を持っている。だがその半面ケイト・ブランシェット演じるキャスリンは、”必要な場合は嘘もつく”と公言しているキャラクターだ。本作のキャスリンは、本作中でもっとも謎が多く、全てを明かさない人物として描かれている。
序盤にある着替えのシーンでは、彼女はジョージから”見られていること”に気付いていると言う。また中盤にあるゾーイとのカウンセリングでは、監視されることにストレスを感じているとも語り、母親との過去にも問題があったらしいことが描かれて、彼女は大量の薬物を服用している。ジョージの事は間違いなく愛しているが、彼女にはそんなジョージにも伝えていない、そして本作では描かれていない”秘密”があることが仄めかされるのである。キャスリンはチューリッヒでのロシア人との接触は”セヴェルス”を売ったのではなく買い戻すために行動していたが、それでもジョージには秘密裡に行動している。彼らには業務上の秘密は日常茶飯事なのだ。さらにフレディ、クラリサ、ゾーイ、そして上司ミーチャムでさえも浮気をしており、彼らの日常における倫理観は壊れている。パートナーがいるにも関わらず、彼らは嘘をつき欺きあっているのだ。本作の中で「嘘は嫌いだ」と明言し、全員の嘘は見破っていくのはジョージの役割であり、彼はその名手だ。だがそんなジョージに対して、キャスリンが明確で解りやすい嘘を付くのは、”映画の半券”についてだけだ。そしてあの”映画の半券”をとっかかりにして、ジョージはキャスリンに疑惑を抱き彼女の動向を調べ始めるが、当然キャスリンはそのことに気付いているだろう。そもそも上司ミーチャムが、わざわざ愛妻が容疑者に含まれている任務を夫のジョージに依頼するのも不自然だ。冒頭のミーチャムはクラブで女性をはべらせていたし、ベランダでは何か物思いに耽っている描写もあったが、キャスリンが女好きのミーチャムを懐柔してコントロールしていた可能性すらある。
映画の半券をごみ箱に残す行動よりも前に、キャスリンはジョージの行動も含めて事件の顛末を見越し、スティーグリッツを失脚させるために動いていたのかもしれない。彼女がスティーグリッツの悪事に行きつくまでが、この映画の描写だと早すぎるからだ。劇中でも「状況次第では仕事よりも夫を優先するか?」という質問をされるが、彼女は心底ジョージを愛しているものの、スパイとしては任務を優先する事もある人物なのだと思う。本作のテーマは”信頼”だが、その一方でタイトルは「ブラックバッグ」だ。機密任務などの”知られてはいけない事”を指すが、この物語の中心にいるのはジョージではなく、実はキャスリンなのだろう。だからこそこの役は、あのケイト・ブランシェットが演じているのだと思う。彼女以上にこの複雑な役を演じられる役者はいないだろうからだ。これらはもちろん想像での考察になるが、そういう余地がある作品は観ていて楽しいし、役者と脚本の良さを堪能できる一作だった。スティーブン・ソダーバーグとデビッド・コープのコンビによる、次の作品も楽しみに待ちたい。
7.5点(10点満点)