映画「トロン3:アレス」を観た。

「パイレーツ・オブ・カリビアン 最後の海賊」「マレフィセント2」を手がけたヨアヒム・ローニング監督による、SF映画「トロン」のシリーズ第3弾。1982年に公開された第1作「トロン」から始まり、28年後の2010年には続編の「トロン:レガシー」が公開されたことから、さらに15年後の新作が本作となる。「トロン:レガシー」ではダフト・パンクが手がけた音楽を、「アレス」ではアカデミー賞受賞歴を持つトレント・レズナーが率いる、アメリカのインダストリアルバンド「ナイン・インチ・ネイルズ」が担当した。「ナイン・インチ・ネイルズ」として映画音楽の担当は本作が初となる上に、5年ぶりの新曲が話題になっている。出演は「スーサイド・スクワッド」「モービウス」のジャレッド・レト、「マネーモンスター」「パスト ライブス 再会」のグレタ・リー、「X-MEN:ダーク・フェニックス」「アメリカン・アニマルズ」のエバン・ピーターズ、「アフター・ヤン」「ウィズアウト・リモース」のジョディ・ターナー=スミスなど。今回もネタバレありで感想を書いていきたい。
監督:ヨアヒム・ローニング
出演:ジャレッド・レト、グレタ・リー、エバン・ピーターズ、ジョディ・ターナー=スミス、ジリアン・アンダーソン
日本公開:2025年
あらすじ
AIプログラムを実体化する画期的な発明によって開発された、AI兵士のアレス。“彼”は圧倒的な力とスピード、優れた知能を持ち、倒されても何度でも再生可能という、まさに史上最強の兵士だった。だが、現実世界で人間を知ったアレスにある“異変”が起きる。やがて、制御不能となったAIたちは暴走を始め、デジタル世界が現実世界を侵食していく。果たして、アレスの驚くべき目的とは?
感想&解説
1982年に公開された第1作「トロン」(のちに『トロン:オリジナル』)の中で、エンコム社の創始者であるウォルター・ギブス博士が、「コンピューターが人間の命令無しに、自分で考えるようになると大変だ。コンピューターが考えるようになると、人間が考えなくなるからだ。」という趣旨の発言があったが、まさしく今の世の中を予言しているようなセリフで驚かされる。実際にAIがこれだけ社会に普及するとは、ほんの数年前でも想像できなかったからだ。「オリジナル」のラストで、エンコム社のCEOとなったケヴィン・フリンが失踪し、その後を追う息子のサムがコンピューター内部世界「グリッド」で活躍する姿を描いたのが、2010年公開の「トロン:レガシー」だったが、さらにその15年後に公開となったのが最新作「トロン:アレス」だ。
そもそもディズニーが1982年に発表した映画「トロン:オリジナル」は、当時の最先端CGを導入して、”グリッド”というコンピュータの内部を描くという先進的な作品だったが、本作は現実世界の中でプログラムを実体化しAI兵士を作るという設定になっており、さすがに43年前のオリジナルとは比べ物にならない映像技術の進化を感じられる。そういう意味ではカッコいい予告編を観て、この「アレス」からトロンシリーズを観始めようと思う方も多いかもしれないが、本作はハッキリと”一言さんお断り”の強気な作品になっているので、過去シリーズの鑑賞はほとんどマストだと言えるだろう。冒頭から” スペースパラノイドって何?グリッドとは?マスター・コントロール・プログラムって?なぜコンピュータの中に行ったり来たりできるの?あの円盤を持ってるマスクたちは何者?”と、過去作を観ている前提でストーリーが進んでいくからだ。冒頭の説明は、あくまで”エンコム社”と”ディリンジャー社”の内情と関係者の整理のためなので、過去作の前提知識がないとほとんど置いて行かれるだろう。
思えば前作の「トロン:レガシー」も同じで、28年ぶりの続編だったにも関わらず、登場人物”アラン”についての説明はまったくなく、1作目におけるアランとトロンの関係についても描かれない。トロンは最後までマスクを脱がない脇役扱いだったのに加えて、”ユーザーとプログラム”の関係の説明もほとんどしないので、ケヴィンと対の関係となる”クルー”の存在も、敵対するプログラムというだけで、解りにくい存在となっていたと思う。そしてその説明不足は「レガシー」から更に15年後の「アレス」にも、しっかりと受け継がれてしまっているのだ。ちなみに”ディリンジャー”とは、一作目でケヴィン・フリンから「スペースパラノイド」のプログラムを盗んで、エンコムの社長にのし上がった悪役エド・ディリンジャーの苗字だ。
2作目「レガシー」でもその息子であるエドワード・ディリンジャーをキリアン・マーフィーが演じていたが、今回はそのディリンジャー家が、エンコム社のライバルとして会社を設立しており、それに貢献したのがジリアン・アンダーソン演じるエリザベス・ディリンジャーだ。そして本作の敵役は、その息子であるジュリアン・ディリンジャーという設定になっている。劇中でも一瞬だけエド・ディリンジャーの自画像が映ったが、演じるデビッド・ワーナーの”顔力”のお陰ですぐに気づくことができた。ここからネタバレになるが、ラストにジュリアンが”ディリンジャー・グリッド”に逃げ込んだ後、ディスクを手に取った途端に身体が変形し「サーク」と呼びかけられるシーンがあるが、これは「オリジナル」における悪玉マスター・コントロール・プログラムの部下が”サーク”だったので、次作ではまた悪役として登場させたいのだろう。おまけに”フリングリッド”という、80年代風CGのコンピュータ世界まで飛び出してオリジナルファンを喜ばせたりもするし、シリーズではお約束の「コツは手首だ」というセリフが本作でも登場したりする。
このように本作「トロン:アレス」は、かなりファン向けの一作になっていると感じるが、では内容としてはどうか?と言われれば、個人的には楽しい一作だったと思う。ギリシャ神話における、戦争の神アレスと戦いの女神アテナからのネーミングも明快のように、ストーリーとしてはシンプルな勧善懲悪だし、AIが善意ある存在として覚醒していく物語は感情移入しやすい。イングランドのポップバンドである、デペッシュ・モードの「ジャスト・キャント・ゲット・イナフ」という曲が好きだというアレスは、人間の感性を持ち、”郷愁”すらも持ち合わせた存在であることが描かれる。彼がケヴィン・フリンと出会い、永続コードならぬ”非永続コード”を手に入れるシーンでの”命は一度で良い”という結論は、人間らしい解答だ。
これに呼応する存在として、グレタ・リー演じるイヴ・キムというキャラクターがおり、彼女は最愛の妹を病気で亡くしている。強い喪失感を抱えながら生きるイヴ・キムの内面を知った上でアレスは、”それでも人間として、一度の人生をしっかりと生きたい”という結論に達するのだ。彼が絵葉書を送ってくる異国の地で、クオラを探しにバイクを駆る姿は、それを体現している。またそんなアレスの対極にいる、使い捨てのAI兵士が持つ”29分の壁”という設定は皮肉だし、哲学的なニュアンスを含んだ展開だったと思う。それから本作の最大の特徴であるビジュアルは、もちろん素晴らしい。トロンといえばバイクシーンだが、現実世界でのバイクチェイスも暗闇の中に赤いライトが伸びていく演出は美しいし、予告編でのパトカーが真っ二つになるシーンも実際にパトカーを割って撮影したらしく見応えがある。スーツやライトサイクル、飛行ガジェットのプロダクションデザインなども無類にスタイリッシュなので、映画館の大スクリーンでこれらを観られるだけで眼福だ。
突然グリッドにケヴィンがいるのは何故なのか?シリーズお約束の門型の飛行偵察機が物理的に燃えていたが、あれはプログラムではないのか?イヴ・キムがレーザーに取り囲まれる場面でレーザーに手で触れていたが、なぜ大丈夫なのか?など、不自然で微妙な点はあったし、脚本の粗はある作品だろう。それでも画面に映る要素があれほど魅力的なら成功だと思う。最後に第1作「オリジナル」は、「時計じかけのオレンジ」や「シャイニング」も手掛けたシンセサイザーの巨匠ウェンディ・カーロスが、2作目「レガシー」はご存じダフト・パンクが担当した劇伴を、今回はナイン・インチ・ネイルズが担当しているのだが、リード曲の「As Alive As You Need Me To Be」も含めて今作はかなりエレクトロかつポップに寄っている気がする。アルバム「Downward Spiral」「The Fragile」のころの”重い”サウンドで、トレント・レズナー&アティカス・ロスのコンビ名義と差別化して欲しかったが、それでも5年ぶりのナイン・インチ・ネイルズ新曲は単純に嬉しい。エンターテインメント映画として高い水準だった本作。「トロン:アレス」は世界的な興行数字は厳しいらしいが、次回作も製作されてくれることを切に願いたい。
7.0点(10点満点)