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映画「フランケンシュタイン」ネタバレ考察&解説 ギレルモ・デル・トロ監督の”クリーチャー愛”が爆発!原作から終盤の展開を変更してまで描きたかったものとは?

映画「フランケンシュタイン」を観た。

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パシフィック・リム」「シェイプ・オブ・ウォーター」「ヘルボーイ」「パンズ・ラビリンス」など多くの傑作を生みだしてきた、メキシコを代表する映画作家ギレルモ・デル・トロが手掛けた、古典ゴシックホラーの映画化。原作は19世紀イギリスの作家メアリー・シェリーによるゴシック小説「フランケンシュタイン」で、ギレルモ・デル・トロが熱望してきた企画だ。監督自らが製作/脚本も担当している。撮影は「シェイプ・オブ・ウォーター」「ナイトメア・アリー」のダン・ローストセン、音楽を「シェイプ・オブ・ウォーター」のアレクサンドル・デスプラが手がけている。Netflixで2025年11月7日から配信されるが、10月24日から一部劇場で公開された。出演は「DUNE デューン 砂の惑星」のオスカー・アイザック、「プリシラ」のジェイコブ・エルロディ、「X エックス」のミア・ゴス、「ジャンゴ 繋がれざる者」のクリストフ・ヴァルツ、「西部戦線異状なし」のフェリックス・カメラーなど。今回もネタバレありで感想を書いていきたい。


監督:ギレルモ・デル・トロ

出演:オスカー・アイザック、ジェイコブ・エルロディ、ミア・ゴス、クリストフ・ヴァルツ、フェリックス・カメラー

日本公開:2025年

 

あらすじ

己の欲望に駆られたヴィクター・フランケンシュタインは、新たな生命の創造という挑戦に乗り出す。そして、その果てに誕生した「怪物」の存在が、人間とは何か、そして真のモンスターとは何かを問いかけることとなる。

 

 

感想&解説

19世紀イギリスの作家メアリー・シェリーによるゴシック小説「フランケンシュタイン」は、アニメやゲームも含めて多くの創作物に影響を与えた作品だと思うが、映画化という意味ではボリス・カーロフを伝説的な怪奇スターとした、ジェイムズ・ホエール監督による1931年ユニバーサル製作版と、ケネス・ブラナー監督によるロバート・デ・ニーロがクリーチャー役を演じた1994年版が有名なのではないだろうか。1931年版はそもそもフランケンシュタインが、”ヘンリー・フランケンシュタイン”と原作では友人の役名が付いていたり、ストーリー展開もかなり変更されたバージョンになっていたが、首から突き出したボルトなどのクリーチャーデザインは、後世のフランケンシュタイン関連作品に大きな影響を与えた名作だと思う。その後も続編「フランケンシュタインの花嫁」など、計7本の関連作品が作られている。


1994年のケネス・ブラナー監督バージョンは、フランシス・フォード・コッポラがプロデュースしていたが、クリーチャーの造形はユニバーサル版とは差別化しており、ロバート・デ・ニーロが演じたクリーチャーは醜悪な見た目の”愛に飢えた存在”として描かれていた。ケネス・ブラナーの様式美が全面に出た、原作ストーリーに基本的に忠実な映画化だった気がする。ここから旧作のネタバレになるが、特にヘレナ・ボナム=カーター演じるエリザベスとヴィクター・フランケンシュタインの”恋愛劇”には大きな比重が置かれていて、結婚した夜にエリザベスがクリーチャーの手にかかって殺されてしまったことにより、ヴィクターが再び禁断の実験に手を染め、エリザベスの人造人間を作ってしまうという展開はこのバージョンならではだ。クリーチャーとヴィクターがエリザベスを取り合うような描写もあり、かなりロマンス要素が強い作風だったと思う。


そして2025年に再び「フランケンシュタイン」が映画化がされた訳だが、監督は「シェイプ・オブ・ウォーター」「ヘルボーイ」「パンズ・ラビリンス」など多くの傑作を生みだしてきた、メキシコを代表する映画作家ギレルモ・デル・トロということで、「フランケンシュタイン」の映画化としてはこれ以上ない位の人選だと思う。ギレルモ・デル・トロは「シェイプ・オブ・ウォーター」で受賞したゴールデングローブ賞授賞式で、「自分は奇妙な物語やおとぎ話によって救われてきました。ここまで来るのに25年かかったけど、ここにいる人たち、そして怪物たちに感謝します。」というスピーチを残しているくらいに、モンスター映画への愛が強い監督だ。さらに「31年版の『フランケンシュタイン』を観たときも、村人たちに殺される人造人間が、僕には迫害される救世主に思えた。」と答えており、ギレルモ・デル・トロらしい独特の「フランケンシュタイン」になると予想したのだ。

 

 


さらにギレルモ・デル・トロ監督は、この作品を非常に個人的な作品だと語っており、”父と私の物語”でありつつ”私と子どもたち”の物語、さらにカトリック信仰の基本である”イエスと父についての物語”でもあるとインタビューで答えている。”赦し”や”愛”が世界を変えていき、世界は善だけでも悪だけでもない、その両方が必要であることを表現したかったという事で、ケネス・ブラナー監督バージョンのように最後までクリーチャーとヴィクターが対立するような作風ではないことが想像できたが、まさしく本作は”父子の物語”になっていたと思う。ここからネタバレになるが、本作は造られた生き物であるクリーチャーが創造主である父親を赦す話であり、最後はその魂において怪物が人間となる物語だ。今までのどのフランケンシュタイン映画よりも、クリーチャーの心情に寄り添い、彼を高潔で純粋な存在だと描いている。これこそが、ギレルモ・デル・トロが描きたかった”フランケンシュタイン”なのだと思う。


まず単純に今まで描かれてきたクリーチャーの中で、ジェイコブ・エルロディが演じたクリーチャーがもっともハンサムだと思う。スタイルや顔の造形、肌の色までが美しく、まさに人間を超越した存在となっており、今までのような醜い憐みの対象ではない。また本作のクリーチャーは無垢な存在であり、生まれたばかりの頃は”ヴィクター”の名前しか呼べない。まるで赤子のような存在であり、この時点からヴィクターとは完全に父子のような関係になるのだ。だが思ったように知能が成長しないクリーチャーに対して、ヴィクターはイラ立ちを感じ始める。そして自分が父親にされてきたように暴力的な行動に出て、遂には彼を生み出した場所である塔に火を付けて、彼を殺してしまおうとするのだ。だがそんなクリーチャーに対して強い愛情を感じるのは、ミア・ゴス演じるエリザベスだ。本作のエリザベスは弟の婚約者でありながらヴィクターが横恋慕する相手という設定になってるが、原作ではヴィクターの婚約者という設定であり、最終的に彼女を殺すのはクリーチャーだ。ところが本作ではヴィクターが銃で彼女を殺してしまうという展開になる。


それもエリザベスの愛は、弟のウィリアムでもヴィクターでもなくクリーチャーに向いていることに気付き、クリーチャーに対してヴィクターは嫉妬していたのだろう。誤射とはいえ、まるで意図的にエリザベスに銃口を向けていたようにも感じるからだ。このモンスターを愛してしまう女性というモチーフは「シェイプ・オブ・ウォーター」を思い出させるが、演じているのがミア・ゴスだからこその説得力がある。クリーチャーに襲われ、死にゆく弟ウィリアムにヴィクターは「兄さんことがモンスターだ」と言われるシーンがあるが、この映画ではヴィクターこそが野蛮で狡猾で身勝手な怪物だと描かれ、逆にクリーチャーはヒロインの愛を受け、ラストは船の乗組員の命も救う高潔なヒーローだと描かれる。これこそが過去のフランケンシュタイン映画とは決定的に違う点だろう。最後の最後までクリーチャーが朝日を浴びて、自由に氷原を歩むフランケンシュタイン映画は本作が初めてではないだろうか。


冒頭の北極海で船乗りたちがヴィクターを見つけてクリーチャーと対峙する展開や、ヴィクターに見捨てられたクリーチャーが、山小屋の中で盲目の老人と出会うシーンなど、中盤くらいまでは原作やケネス・ブラナー版と同じ展開も多い。基本的には原作遵守な映画化だとは思うが、やはりクリーチャーが自分を無責任に、そして醜く作り上げたヴィクターやその周りの人間たちに復讐していくという後半の展開を、本作では大きく変更しているが、これはギレルモ・デル・トロ監督の”クリーチャー愛”ゆえなのだろう。そして船の中でヴィクターに許しを請われ、それを赦すことでクリーチャーは涙を流し、”人間”としての尊厳を会得するのである。それにしても赤と緑と白を刺し色に使いながら、完全に計算され尽くした画面で構成された美しい映画だった本作。149分という長尺でありながらも、アレクサンドル・デスプラが手掛けた音楽とセットの美しさに見惚れていると、あっという間にエンドクレジットになっていると思う。若干、序盤のヴィクターが死を克服する動機となる母親の死までの描写が性急な気もするが、ギレルモ・デル・トロ監督の新たなマスターピースとなる作品べき作品だった。

 

 

7.5点(10点満点)