映画「果てしなきスカーレット」を観た。

「時をかける少女」「サマーウォーズ」「おおかみこどもの雨と雪」「バケモノの子」「未来のミライ」「竜とそばかすの姫」など独特の作風で高く評価されてきた、アニメーション映画監督の細田守監督が手がけた約4年ぶりのオリジナル長編映画。声の出演は主人公スカーレット役を芦田愛菜、現代日本からやってきた看護師という聖役を岡田将生、細田作品には4度目の参加となるスカーレットの宿敵クローディアス役を役所広司、他には市村正親、吉田鋼太郎、斉藤由貴、松重豊、山路和弘、柄本時生、青木崇高、染谷将太、白山乃愛、白石加代子らの豪華キャストが顔をそろえている。今回もネタバレありで感想を書いていきたい。
監督:細田守
声の出演:芦田愛菜、岡田将生、役所広司、市村正親、吉田鋼太郎、斉藤由貴
日本公開:2025年
あらすじ
父を殺して王位を奪った叔父クローディアスへの復讐に失敗した王女スカーレットは、「死者の国」で目を覚ます。そこは、略奪と暴力がはびこり、力のなき者や傷ついた者は「虚無」となって存在が消えてしまう世界だった。この地にクローディアスもいることを知ったスカーレットは、改めて復讐を胸に誓う。そんな中、彼女は現代日本からやってきた看護師・聖と出会う。戦いを望まず、敵味方の区別なく誰にでも優しく接する聖の人柄に触れ、スカーレットの心は徐々に和らいでいく。一方で、クローディアスは死者の国で誰もが夢見る「見果てぬ場所」を見つけ出し、我がものにしようともくろんでいた。
感想&解説
「時をかける少女」「サマーウォーズ」などのアニーション映画監督細田守監督が手がけた約4年ぶりのオリジナル長編ということで、この秋公開の中でも屈指の注目作だろう。特に「サマーウォーズ」は何度も地上波で放映されており、夏の風物詩的な作品となりつつあるし「時をかける少女」も熱狂的なファンが多く、いまだに細田守監督のブランド力は強いと思う。ただし、正直「バケモノの子」「未来のミライ」「竜とそばかすの姫」といった細田守監督のここ10年の近作は、個人的に乗り切れない作品が多くモヤモヤさせられる事が多いのだが、それはおおよそ脚本に原因がある気がする。「おおかみこどもの雨と雪」は原作小説を細田守が執筆し、脚本は奥寺佐渡子と共同で担当していたが、「バケモノの子」からは原作/脚本共に細田守自身が担当しており、どうにもこれが映画のクオリティ全体を下げている気がする。
細田守はアニメーション監督としては超一流だと思う。前作の「竜とそばかすの姫」でさえ、カヌー部のカシミンやルカちゃん、合唱部のおばちゃんたちといった小さなキャラクターまで演技演出が素晴らしく、もっと地味な映画になっても良いので、現実社会の”青春ストーリー”を描いてほしいと思ったくらいだ。細田監督はアニメーションという”画の動き”で人間の感情や行動が描ける、日本でも有数の監督だと思う。ところがストーリーテリングの方が、ツッコミどころだらけの上に展開が強引すぎて、まったく練られていないと感じるのだ。「U」というネットの仮想世界の設定も含めて、観ていて”なぜこうなるのか?”というノイズが強すぎて、作品世界にのめり込めないのである。アニメーションのクオリティや演出、音楽はいつも素晴らしいのに、この”物語”が全体の足を引っ張っているのである。そして今回も原作/脚本/監督は細田守ということで、観る前から嫌な予感がしてくる。
そして「竜とそばかすの姫」のモチーフが「美女と野獣」だったように、今作「果てしなきスカーレット」にもモチーフがある。それはウィリアム・シェイクスピアの四大悲劇のひとつ、「ハムレット」だ。王であり実の父親を叔父クローディアスに殺されたことで、王位と王妃ガートルードを奪われたハムレット王子が、その復讐を誓うという有名な古典だ。「果てしなきスカーレット」で登場するポローニアスは、原作ではクローディアスの顧問官でもっと大きな役だし、レアティーズはポローニアスの息子で最後にハムレットと対決して殺す役だ。そしてローゼンクランツやギルデンスターンもクローディアスの廷臣として登場し、スカーレットの父親の名前も”アムレット”とそれぞれ原典から変更されている。「スカーレット」とは女性名なので、男性だったハムレットの女性への変名だろう。スカーレットは”緋色”という意味もあり、鮮やかな赤色の髪のキャラクターになっているが、細田作品の中で海外のキャラクターは初の試みだ。
では「ハムレット」をモチーフにした、この「果てしなきスカーレット」の評価はどうだったか?と言えば、正直これがかなり悲惨な出来だった。とにかく、これだけ作品内で”伝えたいこと”を全部セリフで言う作品も珍しい。まるで舞台劇のように、人物の感情をひたすらセリフだけで説明してくれるのだ。基本的には復讐劇なのだが、クローディアスや手下を含めて敵キャラクターのどれにも魅力がないし、主人公スカーレットはとにかく泣くか怒ってばかりで暗いことこの上ない。スカーレットの相棒となる”聖”というキャラも名前のとおり聖人君子すぎる上に、内面に変化のないペラペラのキャラクターだし、スカーレットの母親であるガートルードも、何故彼女がこれほどまでに夫アムレットやスカーレットに悪意を持っているのかもよく分からない。全体的に説明不足で、あれだけ人望があったアムレット王がどんな策略にハマって死刑になったのかも説明不足だし、突然現れては悪人だけに天罰の雷を落としてくれる竜の存在も説明はない。
基本となる「死者の国」の世界観も、荒涼とした野原や砂漠だけなのであまり絵がわりもしないし、途中の格闘アクションシーンはヌルヌルと動くが、どうにも爽快感がなく退屈だ。中盤でいきなり渋谷でスカーレットと聖がダンスするシーンも、”平和なもうひとつの世界線”という意味合いは理解できるが、後ろのビジョンにデカデカと映る自意識過剰なスカーレットの姿には辟易としてくるし、あの渋谷での姿が「死者の国」との対比で描かれるべき、理想の世界という事にも説得力がない。突然、大勢の仲間たちと山登りしながら戦闘するシーンは、前のシーンと繋がっていないので混乱するし、クローディアスがあれほど夢見る“見果てぬ場所”とはなんなのか?も釈然としない。とにかく各キャラクターたちの行動や言葉に実在感がないのである。ここからネタバレとなる。
原典の「ハムレット」は毒殺された父親の亡霊からクローディアスの策略を告げられ、息子のハムレットが気の狂ったフリをして復讐を計画し、最後は全員が死ぬという悲劇であり、父親はハムレットに対して復讐を望むことで、彼の前に霊として現れるのである。「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ(To be, or not to be)」というのはハムレットの有名な独白のセリフだが、愛するオフィーリアや母親を騙してまでも復讐をやり遂げる男の苦難の物語だ。それに対して、本作の処刑される王はスカーレットに対して、「(クローディアスのことを、そして自分自身を)赦せ」と言い残し、現代から来た聖はスカーレットに”復讐は良くない”と繰り返し伝えてくる。だが実際、スカーレットが復讐をやめたことで、悪王クローディアスの勝利に終わるのかといえば、なんの伏線もなく都合よくドラゴンが現れて悪王を成敗してくれる上に、クローディアスが苦悶する姿も描いており、観客がカタルシスを感じるように作られている。結果としてちゃんと復讐は遂げられ、スカーレットは王女になるのである。これでは、作り手にとって都合が良すぎる展開としか言いようがない。
また自分が死んでいることに気付かされた聖は、スカーレットに「生きろ」と何度も言い、彼女の意志で「生きたい」と言葉で言わせる。これが「生きるべきか、死ぬべきか」という、原典におけるハムレットの葛藤への本作なりのアンサーなのだろう。いわば「ハムレット」のストーリーの型だけを借りて、内容と結末をまったく変えているのだが、これによって本作は原典の持っていた道徳的なジレンマや復讐の悲劇性などは完全にオミットされていると思う。最後にハムレットが死ぬことで哲学的な問いのある物語になっていた作品が、単なる”良い話”に成り下がってしまっているのだ。「争いは良くない、復讐に意味はない、命とは?生きるとは?死とは?生きる意味とは?」という趣旨の言葉が、セリフとして繰り返される「果てしなきスカーレット」は、この言葉のチョイスが余りにストレート過ぎる上に説教臭いので、作品自体を陳腐なものにしてしまっていると感じる。
「どう生きるべきか?」は、古今東西の映画や文学、芝居や芸能にとって究極の問いかけだ。これを映画はキャラクターの演技や演出で、映像として見せるからこそ映画としての価値があるのだと思う。本作は綺麗なアニメーションとCGで作られてはいるが、この大きすぎるテーマを選んでいるにも関わらず、まったく誠実な解答のない作品だった気がする。聖が訴える”暴力のない世界”はもちろん素晴らしいが、現実には綺麗ごとだ。400年以上も前に書かれた「ハムレット」でも、それでも戦わなければいけない理由と、自分の選択によって失うものを描いているからこそ、傑作なのである。単に復讐を無くせば世界が平和になる訳ではなく、現実社会はもっと複雑で入り組んでいるのだ。この2025年において、こんな空虚なメッセージを押し付けられても全く刺さらない。前作「竜とそばかすの姫」にかろうじてあった良い点も無くなり、子供にも大人にも厳しい出来だった本作。さすがに本作の大ヒットは難しい気がするので、細田守ブランドも先行きが本当に心配だ。
3.0点(10点満点)