映画「コート・スティーリング」を観た。

「レクイエム・フォー・ドリーム」「レスラー」「ブラック・スワン」などの鬼才ダーレン・アロノフスキーが、2023年の「ザ・ホエール」以来、約3年ぶりにメガホンを取ったクライムアクション。90年代ニューヨークを舞台に、メジャーリーグのドラフト候補だったにも関わらず夢破れた若者が、ふとしたことから大金絡みの事件に巻き込まれる様子を描いている。出演は「エルヴィス」「エディントンへようこそ」のオースティン・バトラー、「あの夜、マイアミで」「ビール・ストリートの恋人たち」のレジーナ・キング、「THE BATMAN ザ・バットマン」「ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生」のゾーイ・クラビッツ、「ラストナイト・イン・ソーホー」「モービウス」のマット・スミスなど。今回もネタバレありで感想を書いていきたい。
監督:ダーレン・アロノフスキー
出演:オースティン・バトラー、レジーナ・キング、ゾーイ・クラビッツ、マット・スミス、リーブ・シュレイバー
日本公開:2026年
あらすじ
1998年、ニューヨーク。かつてメジャーリーグのドラフト候補になるほど野球で将来を嘱望されたハンクだが、運命のいたずらによって夢は潰え、今はバーテンダーとして働きながら恋人のイヴォンヌと穏やかな日々を送っていた。そんなある日、変わり者の隣人ラスから突然ネコの世話を頼まれる。親切心から引き受けたのもつかの間、街中のマフィアたちが次々と彼の家に殴り込んでくる。ハンクは、自分が裏社会の大金絡みの事件に巻き込まれたことを知るが、時すでに遅かった。警察に助けを求めながら逃げ回る日々を送る中で、ついにある悲劇が起こる。ついに堪忍袋の緒が切れたハンクは、自分を巻き込んだ隣人やマフィアたちへのリベンジを誓う。
感想&解説
ダーレン・アロノフスキー監督の前作「ザ・ホエール」は、主演のブレンダン・フレイザーが第95回アカデミー賞で「主演男優賞」を受賞した傑作ヒューマンドラマだった。かなりダークでシリアスな作品だったと思うが、今作「コート・スティーリング」はその反動のように軽やかなエンターテインメント作品になっていて驚かされる。監督作では「レクイエム・フォー・ドリーム」「レスラー」「ブラック・スワン」などが有名だろうが、どれも人間の辛い人生や心の闇を描いた作風だったこともあり、これほどテンションの高い、アッパーな娯楽映画に舵を切ったのは初めてではないだろうか。本作はガイ・リッチーの初期作品を思い出させるくらいだ。
聞きなれないタイトルである「コート・スティーリング(Caught Stealing)」とは、直訳すれば「窃盗で捕まる」という意味だが、実はもう一つ「盗塁失敗」を意味する野球用語で、「チャンスをつかもうとして失敗すること」という意味もあるらしい。これは本作の主人公ハンクが元メジャーリーグのドラフト候補という野球選手だったことに起因しているのだろうが、このハンクを演じているオースティン・バトラーが最高にハマリ役だ。バズ・ラーマン監督「エルヴィス」のタイトルロールから、「デューン 砂の惑星 PART2」のサイコな悪役、「ザ・バイクライダーズ」のクールなアウトサイダーから、アリ・アスター監督「エディントンへようこそ」におけるカルト集団のカリスマ教祖まで多様な役柄を演じてきたオースティン・バトラーだが、近作の中ではダメ人間でありながらも人間らしい憎めないキャラクターを演じていて好感触なのだ。
オースティン・バトラー演じる主人公のハンクは、高校時代までは野球選手としてメジャーリーグ入りを有望視されていたが、飲酒運転と不運によって起こした自動車事故で友人を亡くし、自らも脚を負傷した事で夢を絶たれた過去を持つ。その後、彼はニューヨークでバーテンダーになり、ゾーイ・クラヴィッツ演じるイヴォンヌという恋人と付き合いながら、平凡ながらも平穏な日々を送っていた。ところがアパートの隣人ラスが、父親が危篤ということで飼い猫をハンクに預けて実家に帰ってしまったことから、ラスの行方を捜すスキンヘッドのロシアンマフィアたちに因縁を付けられ、酷い暴行を受けることで気を失ってしまう。そして、そのまま入院して腎臓を取られてしまったことで日常だった飲酒ができなくなり、禁酒を誓うハンク。ここからネタバレになるが、女刑事ローマンから聞いたユダヤ人の男たちもラスの行方を追っているらしく、どうやら大金が絡んだ事件に巻き込まれたらしいハンクは、ラスの残した猫の糞置き場からある”鍵”を見つける。鍵を隠そうとバーのマスターの元を訪れるが、そこで再び酒を飲んでしまい泥酔しイヴォンヌに暴言を吐いてしまったハンクは、翌朝ロシアンマフィアたちに脅されて、行方の分からなくなった鍵を捜すことになる。
街中をユダヤ人たちにも追われなんとか逃走するものの、イヴォンヌが銃殺されるという最悪の事態が起こってしまったことで、失意の中で刑事ローマンの元を訪れたハンク。だがなんと、ローマンもロシアンマフィアと繋がっていたことが判明する。鍵を見つけるためにバーに向かう一行だが、そこで常連客が銃殺されマスターが反撃したことで彼も殺され、ハンクは絶対絶命に陥るが、酔って帰った夜の記憶を思い出し鍵を入手する。そんな時ラスがアパートに戻ってくる。怒りのあまりバッドで殴りつけるハンクだったが大金の場所を知り、ローマンにラスを引き渡すことで事態の回収を図ろうとするが、反抗したラスの行動によってそれにも失敗し、殴られた衝撃でラスも電車の中で死亡してしまう。ローマンから母親の場所を握られており、逃げることもできなくなったハンクは、ユダヤ人たちにローマンを殺すことで金を渡すという取引きを持ちかける。ローマンの待つクラブを破壊した結果ローマンを殺すことにも成功し、大金の元に車で向かう一行だったが、ユダヤ人の出した”銃のライター”を見たハンクは、イヴォンヌを殺したのがこのユダヤ人たちだったことを知り、一世一代の復讐に出るのだった。
劇中でも”キムズビデオ”が映っていたが、90年代ニューヨークを舞台にしたクライムアクションとして非常に面白かった本作。特に脚本がとても良くできていて、最後まで緊張感が途切れないのだ。主人公のハンクは自動車事故によって失った友人への悔恨と、プロ野球選手という夢を引きずって生きている。序盤のハンクはとにかく酒を大量に飲んでいるが、彼は辛い現実から逃げているのだ。イヴォンヌから「真剣になっていいの?」と将来のことを聞かれても、明確な答えを返さないハンクの別れ際のセリフはいつも「また連絡する」だし、それに対するイヴォンヌの返事も常に「ご自由に」だ。次の約束を明確にしない彼らの不安定な関係性を表現したセリフだが、ハンクがロシアンマフィアに追われ、イヴォンヌの忠告を聞かずに一人で対処しようと部屋を出ていくシーンでは、「また連絡する」に対してイヴォンヌは無言を通す。この時点でイヴォンヌはハンクとの人生を諦めてしまったのだろう。そしてその直後にイヴォンヌは殺されてしまう。
また女性刑事のローマンの裏切りも本作の大きなツイストだが、彼女がコーヒーショップで好きだと言って食べているのが、”白黒クッキー”だ。NYの名物でありながらも、まさにこのキャラクターの二面性を表現した見事な小道具だ。野球の勝敗と酒に依存していた人生の中で、彼は今回の事件の中でも逃げ続けた結果、自分の大切なものをどんどんと奪われていく。だからこそ最後は自動車事故によって失った人生を、再び自動車事故を能動的に起こすことによって取り戻すのである。車が柱にぶつかるという同じ画角のショットを、まったく違う意味合いとして見せる演出も巧かったし、ラストでラスが”パンクロッカー”という設定であった意味が回収される伏線も巧い。あのモヒカンというキャラクターの外見にも作劇的な意味があった訳だ。アパートの入り口で吐いた自分のゲロを見て、捨てたパンツのポケットに入れていた鍵の行方を思い出したり、恋人イヴォンヌが持っていた銃型ライターがラストで意味を持ってきたりと、何気ないと思っていたシーンが後からピタッとシナリオの必然性としてハマってくる気持ち良さが本作の肝だと思う。
国外逃亡したハンクが、南の島で飲むのはアルコールではなく炭酸水だ。そしてテレビに映る野球の試合を消すことで、彼が今まで縛られてきたことを全て克服したことが、セリフではなく語られる。だからこそのラストショットがあの笑顔なのだろう。そしてその後のエンドクレジットの遊び心や、ハンクが溺愛していたママが実は”ローラ・ダーン”だったというカメオ出演など、今作はダーレン・アロノフスキー監督作は明らかに観客を楽しませようという気概を強く感じる。また音楽についても、ゴリラズとのコラボレーションが好評なIDLESとタッグを組み、音数こそシンプルだが本作の緊張感を醸すインダストリアルなサウンドが格好良かったし、4曲の書き起こし曲もバンドサウンドのアンサンブルが素晴らしく、サントラが欲しくなったほどだ。シリアスとコメディのバランスが奇妙ながら面白かった本作は、前作「ザ・ホエール」のような深い余韻を残す傑作ではないかもしれないが、何度でも観たくなる軽やかな快作だったと思う。ダーレン・アロノフスキー監督の新たな一面が垣間見える作品だろう。
7.5点(10点満点)