映画「ランニング・マン」を観た。

「ショーン・オブ・ザ・デッド」「ベイビー・ドライバー」「ラストナイト・イン・ソーホー」などのエドガー・ライト監督が、スティーブン・キングがリチャード・バックマン名義で1982年に発表した原作を映画化したアクション映画。1987年には「バトルランナー」というタイトルで、ポール・マイケル・グレイザー監督/アーノルド・シュワルツェネッガー主演で映画化されているので、今作は2回目の映画化となる。出演は「トップガン マーヴェリック」「ツイスターズ」のグレン・パウエル、「WEAPONS ウェポンズ」「ナイブズ・アウト ウェイク・アップ・デッドマン」のジョシュ・ブローリン、「シンシン SING SING」のコールマン・ドミンゴ、「スコット・ピルグリム VS. 邪悪な元カレ軍団」のマイケル・セラ、「コーダ あいのうた」「ゴーストランドの惨劇」のエミリア・ジョーンズなど。今回もネタバレありで感想を書いていきたい。
監督:エドガー・ライト
出演:グレン・パウエル、ジョシュ・ブローリン、コールマン・ドミンゴ、マイケル・セラ、エミリア・ジョーンズ
日本公開:2026年
あらすじ
社会が一握りの富裕層と圧倒的多数の貧困層に分断され、多くの人々が過酷な生活を強いられている近未来。職を失い、重い病を抱えた娘の医療費にも困窮していたベン・リチャーズは、優勝者に巨額の賞金が与えられるデスゲーム「ランニング・マン」への参加を決意する。しかし、そのゲームの実態は、社会を支配する巨大ネットワーク企業が主催する世界最大のリアリティーショーであり、挑戦者の命懸けの逃走劇を全世界の観客が視聴するというものだった。逃走範囲は無制限。高度な殺人スキルをもったハンターたちが挑戦者を追跡し、さらには視聴者までもが懸賞金目立てで挑戦者を追いかけるという狂気のサバイバルが幕を開ける。
感想&解説
本作「ランニング・マン」は、「死のロングウォーク」「痩せゆく男」などを発表したリチャード・バックマンの1982年発表原作の映画化だが、”リチャード・バックマン”とは、「ホラーの帝王」の異名をもつアメリカの大作家スティーブン・キングの別名義だ。当時アメリカの出版業界では、作家の年間発刊は一年に一冊という風潮があり、それに対抗すべく多作なキングは別名義で発表したらしいが、1987年には「バトルランナー」というタイトルで、「マイアミ5」や「冬の恋人たち」のポール・マイケル・グレイザー監督&アーノルド・シュワルツェネッガー主演で映画化もされている。ちなみにこの映画版「バトルランナー」は原作とかなり変更点が多く、いかにも80年代大味アクションになっていた。
まず主人公のベン・リチャーズの設定が警察官に変更されていたし、演じるのはあのアーノルド・シュワルツェネッガーということで、普通の一般人が娘の医療費のためにやむにやまれずゲームに参加するという”悲壮感”はない。また舞台も地下に広がる巨大なコース内の話だったので、全米を巨大なゲームフィールドにして視聴者自体もランナーを目撃報告して通報してくるという原作とは違う。さらに”凶悪犯と正義の追跡者”という設定で、逃げるランナーをチェーンソー使いや火炎放射器を持った奇妙な格好のストーカー軍団が追っかけてくるというコンセプトも、映画版ならではのものだった。正直「バトルランナー」は、限られた予算の中で作られたB級SFアクションという感じで、映画自体のクオリティも含めて褒められた作品ではなかったという印象だった。
そしてそんな前作から39年ぶりに映画化されたのが本作であり、監督は「ショーン・オブ・ザ・デッド」「ベイビー・ドライバー」のエドガー・ライト監督という事で、期待は高まる。「ラスト・ナイト・イン・ソーホー」以来4年ぶりの新作だし、作家性の強い映画監督がこのテーマをどのように料理するのかが楽しみだったからだ。そして結論、前作とは比べ物にならない位に原作に忠実な映画化だったし、風刺と娯楽性が良いバランスで共存しており楽しめる一作だったと思う。ただし原作とはラストの展開に大きな変更があり、好き嫌いは分かれるかもしれないが、この後味の変更こそが”陽性”の印象が強いグレン・パウエルを主演に据えた意味でもあり、エドガー・ライト監督らしさなのだろう。
労働者階級のベン・リチャーズは組合運動を行ったせいで職を失い、病気の娘の薬も買えない生活をしており、妻にも苦労をかけさせている。そんな彼が30日間を賞金狙いの一般人からの通報と空中カメラ、そしてそれらの情報から追いかけてくる殺人ハンターから逃げられれば莫大な賞金が得られるという、「ランニング・マン」というデスゲームに参加することになるのが、映画の始まりだ。ネットワーク社の番組プロデューサーはダン・キリアンといい、視聴率のためなら手段を選ばない男をジョシュ・ブローリンが嬉々として演じている。ここからネタバレになるが、モリーという古い友人に変装服や身分証を用意してもらい逃走を始めるベンだったが、最初は3人いたランナーもすぐにベン一人となってしまう。だがネットワーク社による不正の真実を暴こうとする、ダニエル・エズラ演じるブラッドリーやマイケル・セラ演じるエルトンらに助けられながら、ベンはアメリアという女性を人質に取り、飛行機によって逃亡しようと試みるが、そこにダンから取引を持ちかける電話がかかってくる。ダンからの電話は、”復讐”を果たしたベンをヒーローとして祭り上げた「新番組」の提案だった。
妻と娘はすでに殺されているので、殺人ハンターのリーダーであるエヴァンとその仲間を殺して、その復讐を果たせと伝えてくるダンからの連絡を受けたベンは、強い怒りに駆られる。そして、ここからの展開が原作とは大きく変わってくるのだが、原作ではエヴァンを殺し、アメリアをパラシュートで脱出させると飛行機をキリアンのいるビルに激突させることで、このディストピアに一矢報いるというかなり陰鬱な展開になっていた。ところが本作では、この後の全ての顛末をブラッドリーが発信する”暴露系動画サイト”で説明するという演出に変更となっている。ベンは飛行機から脱出し、ラストのキリアンとのやり取りを世間に暴露することで、「ランニング・マン」の番組を潰し、更には家族の元に戻った上でキリアンにも復讐を果たすという完璧な大団円になっているのだ。
だがこの変更は、エドガー・ライト監督&グレン・パウエル主演の作品としては大正解だろう。9.11を経たアメリカ映画でビルに飛行機を突っ込ませる訳にはいかないだろうし、弱者だった主人公が体制側や富裕層に大逆転し、革命を起こす姿こそ今の観客は観たいシーンだろうからだ。それにしても「ランニング・マン」の前に行われる、「スピン・ザ・ホイール」という番組の内容からも、本作の世界がどれだけ差別と分断に満ちているかが、一目で分かるようになっていてシーンの構築が巧い。丸々と太った男性が回転する輪の中で走らされており、クイズに失敗すると輪の回転が速くなるというゲームなのだが、ここにはルッキズムをベースにしたあらゆる悪意が込められている。まるで人間をハムスターのように扱い、金の力で人間の尊厳を失わせる世界だと映画が始まって早々に観客に理解させるのだ。原作の舞台は2025年だったので、アメリカの映画公開はちょうど原作の舞台と同じ年なのだが、アメリカ社会の分断や、富裕層と貧困層の格差拡大、監視社会やフェイク情報など、1982年当時よりも現代の方がよりリアリティのある内容になっていることに驚かされる。まったく絵空事と笑い飛ばせる世界観ではないのである。
本作は紙幣に、アーノルド・シュワルツェネッガーが印刷されていたりとカメオ出演はありつつも、やはり前作「バトルランナー」とは違い、原作に近いシリアスなトーンを貫きつつも、ラストの展開だけはエンターテインメント大作としてのバランスを取った快作だったと思う。またエドガー・ライトは音楽の使い方も特徴的だが、スライ&ザ・ファミリー・ストーンの「Underdog」が、ベンがオーディションに向かうシーンで効果的に使われていた。これは68年のファーストアルバム「A Whole New Thing:新しい世界」に収録されている曲で、「公平な扱いを期待する気持ちは分かるけど、人は忘れさせてくれないんだ」という一節から始まる、タイトル通り”負け犬”についての歌だ。スライという黒人アーティストの楽曲を使うことで、序盤のベンが置かれている立場について幾重にも意味合いを持たせているのだろう。風刺的な視点を盛り込みつつも、ノンストップアクションとしての娯楽性も高い見事な一作だったと思う。
7.5点(10点満点)