映画「しあわせな選択」を観た。

「オールド・ボーイ」「お嬢さん」「別れる決心」などで、高い評価を得ている韓国の名匠パク・チャヌクが、出世作「JSA」でタッグを組んだイ・ビョンホンを25年ぶりに主演に迎えて製作したサスペンスドラマ。原作はドナルド・E・ウェストレイクの小説「斧」。出演は「甘い人生」「コンクリート・ユートピア」のイ・ビョンホン、「Be With You いま、会いにゆきます」「ラスト・プリンセス 大韓帝国最後の皇女」のソン・イェジン、「The Witch 魔女」「警官の血」のパク・ヒスン、「工作 黒金星(ブラック・ヴィーナス)と呼ばれた男」「ソウルの春」のイ・ソンミン、「人生は、美しい」のヨム・ヘランなど。第83回ゴールデングローブ賞では、「最優秀作品賞(ミュージカル/コメディ)」「最優秀主演男優賞」にノミネートされた。今回もネタバレありで感想を書いていきたい。
監督:パク・チャヌク
出演:イ・ビョンホン、ソン・イェジン、パク・ヒスン、イ・ソンミン、ヨム・ヘラン
日本公開:2026年
あらすじ
製紙会社に勤めるごく普通のサラリーマンのマンスは、妻と2人の子ども、2匹の飼い犬と暮らし、すべてに満ち足りていると思っていた。しかしある時、25年勤めた会社から突然解雇されたことで事態は一変。1年以上続く就職活動は難航し、愛着ある自宅も手放さざるを得ない状況に陥ってしまう。追い詰められたマンスは成長著しい製紙会社に飛び込みで履歴書を持ち込むも、そこでも無下に断られてしまう。自分こそがその会社に最もふさわしい人材だと確信するマンスは、ある決断を下す。それは、人員に空きがないなら自分で作るしかないというものだった。
感想&解説
「JSA」「オールド・ボーイ」「渇き」「お嬢さん」など作家性の高い作品をコンスタントに発表してきた、韓国の鬼才パク・チャヌク監督による新作が公開になった。前作から約3年ぶりの新作ということで、「お嬢さん」から2023年日本公開「別れる決心」まで約6年のスパンがあったことを考えると、発表ペースが速まっているのは嬉しい限りだ。さらに今作は、2001年に日本公開された「JSA」でタッグを組んだイ・ビョンホンが再び主演しており、25年ぶりの主演タッグ作ということで、これも話題となっている。原作はドナルド・E・ウェストレイクの小説「斧」という作品で、「殺しの分け前/ポイント・ブランク」「ホット・ロック」「ペイバック」「PARKER/パーカー」など、多くの作品が映画化されているニューヨークのミステリ作家による作品だ。
「斧」は、いかにもアメリカ人的な”他人を蹴落としてでもしがみつく”キャラクターが主人公のブラック・ユーモア満載のノワール小説で、ベースの展開は同じだが、実は韓国を舞台にした映画版とはラストが変更されている。ここがパク・チャヌクが描きたかったポイントなのかもしれない。それにしても本作は思った以上に”ブラックコメディ”の作風であり、随所で笑える。ここからネタバレになるが、主人公マンスを演じるイ・ビョンホンを始め、最初に殺されることになるク・ボムモ演じるイ・ソンミン、マンスが就職を狙っているムーン製紙の班長ソンチュル演じるパク・ヒスンなど、彼らが真剣に事態に対処すればするほど面白いシチュエーションが生まれ、どうしようもない悲哀が生まれるのだ。
25年にも亘って製紙会社で働いてきたマンスは、”全てを叶えた”と言えるほど理想的な生活を送っている。シングルマザーとして息子シウォンを育ててきたミリと結婚し、娘リウォンが生まれたことで2人の子どもに恵まれ、さらに2匹の大型犬と郊外の大きな家で暮らす一家の毎日は、順風満帆だ。ところがマンスの会社がアメリカの企業に買収されたことでリストラに遭ってしまい、人生が一気に崩壊してしまう。後輩のコネを使って製紙会社の面接を受けるも就職活動は上手くいかず、住宅ローンの催促状も届き自宅も手放さざるを得ない状況になってしまう。夫としての威厳は地に堕ち、追い詰められたマンスは日本に販路があるムーン製紙に履歴書を持ち込むが、無下にされたことで社員を植木鉢で殺すことを思いつくが断念、代わりに考え出したのが架空の求人を出して、集まった自分よりも優秀な業界人を殺していくというプランだった。そしてマンスはそれを実行に移していく。
本作で描かれるのは、時代に取り残されていく男たちの悲哀だ。主人公マンスは過去に”今年のパルプマン賞”という業界人に贈られる賞をもらっており、自分は製紙業界の中では価値のある人間だと思っている。だからこそ彼は製紙業界しか再就職先として眼中にないため、失業中の同業者を殺すことで自分が再就職できると思い込んでおり、それを実行に移していく。これは最初に殺されることになるク・ボムモというベテラン技術者も同じで、劇中でボムモの妻アラの父親がカフェの出店費用を準備してくれたにも関わらず、それを断ったことに文句を言っている場面がある。しかもク・ボムモも過去の栄光に縛られ、自分のレコードコレクションに囲まれ酒浸りの生活だ。マンスも妻ミリから、「植物を育てる温室から出てこない」と言われていたし、彼らは失業を境に男としての自信を無くし、自分の殻に閉じこもってしまっている。
その反対に家庭の危機にもめげず、前向きに順応しているのが妻ミリの方だ。なるべく家計をコントロールすることで出費を減らし、自らもパートに出たり家の売却を考えたりと、過去に囚われず家族を守ろうとする。常に夫を信頼して彼を支えようと努力する姿は、家父長的なプライドが捨てられず、殺人というもっとも非効率で愚かな手段に出るマンスとは対照的だ。ボムモの妻アラも過去は頼りがいのあった夫に対して失望しており、「失業したことじゃなくて、その後の行動が問題なんだ」と語っていたように、彼女たちは夫が失業したことよりも、その後の彼らの行動に落胆していることが描かれる。仕事だけしていれば、家父長としての役割がクリアできていた過去とは違い、家族や世間との関係がアップデートできていない男たちなのだ。終盤でもミリは夫の犯罪に明らかに気づいているが、それを隠蔽しようと決意する。息子シウォンにも嘘をつき、マンスにも60秒という”時間制限付き”でハグを許す。それが夫のため、家族のためだからだ。
ラストではなんとか再就職を果たしたマンスの姿が描かれるが、彼の勤める工場はAIが導入されていて、マンスは監視員の立場だ。プライドを持って固執していた製紙業界だったが、彼に担わされたポジションはマネジメントではなく、今までとはまったく違う業務内容になっている。面接の時に「工場のAIは試験稼働だから、その管理をしてほしい」と言われるが、この”試験稼働”とは将来的にAIが完全導入されることが示唆されたセリフだろう。近い将来、またマンスは仕事を追われる可能性が高いのだ。雇う会社としてももっとAIが分かっている、若い技術スタッフを置いた方が安心だからだ。殺人という犯罪を犯してまで手にした仕事も一時的なもので、マンス家族の幸せはいつまで続くか分からないという、パク・チャヌクらしい非常にブラックなエンディングだったと思う。あえて製紙業界という、デジタルが発展することで斜陽化が進む業界を取り上げているのも意図的だろう。終盤のマンスとミリのハグと同じように、彼ら家族の幸せも”時間制限付き”なのかもしれないと思わされるのだ。
さらに本作のキャラクターで特に異質なのは、娘のリウォンだ。音に敏感で大きな声や音に対して耳を塞いでいた彼女は、明らかに”アーティスト肌”な子供だ。チェロの腕前はレッスンの先生のお墨付きだが、なぜか家族の前では曲を弾かない。さらにマンスがいくら彼女を可愛がっても、リウォンは決して媚びずに一定の距離感で接しているのだが、そんな彼女がなぜか本編ラストでついに曲を弾きだす。これは彼女がこの家で起こっている事象に気付いているということだと感じた。「ウジが湧いてる」という彼女のセリフもあったが、彼女は死体を見てしまっているのだと思う。そんながリウォンが満を持して弾く曲は、まるでマンス家族へのレクイエムのようだ。子供ながらに頼りないマンスへ諦観し、お金のためとはいえ愛犬を遠くの親戚のもとにやった事に怒りを感じているのだ。たしかに、劇中のマンスの行動は謎だらけだ。自分で架空の求人をして優秀な人間を殺したところで、絶対に彼が採用される訳ではないのだ。靴屋の男性は子供もいて温厚な紳士だったにも関わらず殺したし、特に3人目のソンチュルに関しては、殺すよりも取り入って紹介してもらった方がよほど良いにも関わらず、なぜあの段階で彼を殺す判断を下したのは良く分からない。韓国のヒットソングである「赤とんぼ」が大音量でかかる中、銃を巡るドタバタ劇が始まるあたりからは持ち直したし、ラストの切れ味は素晴らしかったが、全体的には展開がやや冗長な作品だったと思う。前作の「別れる決心」から、個人的に少しパク・チャヌク作品と距離が出来た気がする。
6.0点(10点満点)