映画「アメリと雨の物語」を観た。

ベルギーの小説家アメリー・ノートンによる自伝的小説「チューブな形而上学」を原作に、「リトルプリンス 星の王子さまと私」「ロング・ウェイ・ノース 地球のてっぺん」などの作品に参加した、マイリス・バラードとリアン=チョー・ハンが監督・脚本を務めた。本作は二人にとって監督デビュー作となっている。音楽は「食堂かたつむり」「パーマネント野ばら」などを手掛けた、ピアニストであり作曲家の福原まりが担当し、日本語吹き替え版の声優は花澤香菜、早見沙織、森川智之などの実力派が顔を揃えている。2025年アヌシー国際アニメーション映画祭では観客賞を受賞、第98回アカデミー賞でも長編アニメーション部門にノミネートされ、高い評価を受けた作品だ。今回もネタバレで感想を書きたい。
監督:マイリス・バラード、リアン=チョー・ハン
出演:ロイーズ・シャルパンティエ、ビクトリア・グロボア、ユミ・フジモリ
日本公開:2026年
あらすじ
1960年代、神戸。外交官の家に生まれたベルギー人の女の子アメリは、2歳半までは無反応状態だったが、あるきっかけから無敵の子ども時代に突入し、自らを「神」だと信じて魔法のような世界を生きるようになる。大好きな家政婦のニシオさんや家族と過ごす日々は、彼女にとって冒険であり、新たな発見に満ちていた。ある日彼女は、自分にぴったりな「雨」という漢字を知る。そして3歳の誕生日、彼女のすべてを変えてしまう出来事が起こる。
感想&解説
1960年代の神戸を舞台に、日本で生まれたベルギー人の女の子アメリの成長を描いたアニメーション映画であり、少女が世界の一端を知る物語が、瑞々しい感性で描かれている。海外のレビューでは「テレンス・マリックと宮崎駿が融合した感覚」などと評価されているが、2026年のゴールデングローブアニメ賞、アニー賞長編作品部門7部門、そしてアカデミー賞長編アニメーション賞にもノミネートされ、世界中から高い評価を得ている作品だ。本作が監督デビュー作となったマイリス・バラードとリアン=チョー・ハンは、マーク・オズボーン監督「リトルプリンス 星の王子さまと私」の作業中に出会い、その後「ロング・ウェイ・ノース 地球のてっぺん」でもチームを組んだことで、再び監督コンビとして作品を手掛けることになったらしい。
まず作画の独自性に驚かされる。「ロング・ウェイ・ノース 地球のてっぺん」と同じく、キャラクターと背景の間に輪郭線がなく、これは特に日本のアニメーションに見慣れているとかなり独特に映るかもしれない。全体的には緻密な作画ではないかもしれないが、印象的な色使いと独創的な構図によって強く”アート”を感じさせられるし、描かれる舞台が日本なので奇妙な感覚に陥る。さらに作り手も認めているように、アメリの言動や戸口に現れる”妖怪おとろし”などは、明らかに高畑勲監督「火垂るの墓」や宮崎駿監督作からだろうし、ニシオさんが戦争の記憶を語るシーンなどは片淵須直監督「この世界の片隅に」など、日本のアニメーション作品からの影響も色濃い。
ナレーションによって自分のことを”神”だと語り、全能感に溢れた幼児期からだんだんと世界の理を知り、そこから成長していく少女アメリの物語は”特別なこと”は起こらない。だが視点を通して体験する事象はすべてが驚きに溢れていて新鮮に映る。彼女のベルギー外交官の父親パトリックと母親ダニエルに育てられ、兄アンドレと姉ジュリエットと共に神戸の日本家屋に住むアメリは2歳まで無反応状態だったが、誕生日のお祝いを境に彼女は歩き出し”言葉”を話し出す。だが日々、不機嫌になり兄姉や両親を困らせるアメリだったが、ベルギーから訪れた祖母のホワイトチョコレートによって従順になり、日々成長していく。ここからネタバレになるが、そんな時、家政婦のニシオさんと出会い、彼女とのコミュニケーションの中でアメリは日本の事、戦争のこと、生と死など世界のルールを知っていくというのが前半の展開だ。
まずアメリ誕生のシーンから、”ナレーション”が被さるのが本作の肝だろう。これは明らかに成長した大人の声であり、客観的にそしてリアルにアメリの心情を語っている、いわば”未来のアメリ”の声だ。日本語吹き替え版では、大ヒットアニメ「羅小黒戦記」シリーズで主人公シャオヘイを演じていた花澤香菜が声を充てていたが、独特のニュアンスが表現されていて素晴らしかったと思う。自らを”神”だと表現して全てを大げさに語るアメリだが、実際に赤ちゃんの時は大人しくて感情を出さなかった子が、歩けるようになり言葉を覚え、些細なことで怒ったり泣いたりする”イヤイヤ期”を経て成長しているだけで、これらは全て普通の子供における成長の過程だ。
それをアメリの視点から描くことによって、「自分は特別な人間なのだ」という子供らしい高い自己肯定感を表現していて、とても面白い。また初めて食べたホワイトチョコレートに感激して、それをくれた祖母クロードに懐くシーンも子供らしくて可愛い場面だったが、幼少期のアメリの想像力なら庭の花をいっせいに咲かせることも、海を割って”エイ”に触れることも可能なのだ。また5月の鯉のぼりが男の子の象徴であると聞き、不満を感じたアメリが池にいる鯉にエサをやり、その不細工な顔を兄アンドレに見立てるシーンなどは彼女の想像力の豊かさに笑ってしまう。だがそんな兄もアメリが溺れたとなれば、本気で心配して彼女の無事に涙を流す。この映画は子供たちが感じる感情の機微がつぶさに表現されていて、何度も胸が締め付けられるのだ。
そして子供時代のアメリにとって大きな存在が家政婦のニシオさんだ。特に海で手に入れた瓶を、家で待つニシオさんにあげるシーンでは思わず落涙してしまった。海岸は幼少期のニシオさんが家族と過ごした思い出の場所でもある。だからこそ、それを知ったアメリは瓶に海岸の空気を詰めて彼女にプレゼントしたのだろう。この瞬間、ニシオさんは一時だけでも幸せな幼少期に戻れたのだと思う。だからこそ、ニシオさんはアメリに感謝して彼女を抱きしめる。これは二人の心が心が強く繋がった瞬間なのだろう。そんなニシオさんは戦争によって家族を亡くしていて、その思い出を料理を進めながら説明していく場面も秀逸だ。調理の火や包丁で食材を切るカットに、戦争による禍々しい記憶を直接的ではなく、ただ明確に表現している。そして戦争を憎んでいるのは、大家であるカシマさんも同じだ。彼女も家族を戦争によって失っているのである。
夜、ニシオさんを追ってアメリがカシマさんの庭で聞き耳を立てるシーンがあるが、この時にアメリは庭の”枯山水”の模様を壊してしまう。”枯山水”は日本庭園の様式のひとつで、石や砂を使って水の流れなどの自然風景を表現するものだが、これはカシマさんが外国人によって、日本の魂が踏みにじられたと感じていることを表現したシーンなのだろう。死者の魂を弔い、先祖の霊をあの世へ送り届ける伝統行事”灯篭流し”のシーンでも、アメリが参加していることに彼女は不快感を感じているセリフがあったが、カシマさんにとって家族を奪った外国人はすべて”敵”なのだ。だがラストでは、そんなカシマさんによってアメリは救われる。ニシオさんがいなくなり、いつかは日本を離れてベルギーも戻ることを告げられたアメリは、また世界のルールを知る。好きな人は突然居なくなるし、自分の意思とは関係なく住む場所が変わることもある。そしてそれらを受け入れて人は成長していく。自分が神ではなかったことを知り、それでも人との関わり合いの中で幸せを見つけるアメリの感覚は、観客ひとりひとりの中にもあった感覚なのだと思う。だからこそ本作はこんなに感情を掴まれるのだ。年間ベストランクイン確実なくらい、素晴らしい作品だった本作。これからはザ・ピーナッツの「恋のバカンス」を聴くたびに、本作のことを思い出して涙ぐみそうである。
8.5点(10点満点)