映画「フェザーズ その家に巣食うもの」を観た。

UKロックバンド「ブラー」のドキュメンタリー映画「ノー・ディスタンス・レフト・トゥ・ラン ア・フィルム・アバウト・ブラー」で知られる、ディラン・サザーンが監督・脚本を手がけたファンタジードラマ。イギリスの作家マックス・ポーターによるベストセラー小説「悲しみは羽根をまとって」を映画化した作品で、ベネディクト・カンバーバッチは主演/プロデューサーを務めている。出演はベネディクト・カンバーバッチの他、「ムーン・ウォーカーズ」のエリック・ランパール、「ボイリング・ポイント 沸騰」「ポッド・ジェネレーション」のビネット・ロビンソン、「ヴァレリアン 千の惑星の救世主」「パーフェクト・プラン」のサム・スプルエルなど。今回もネタバレありで感想を書きたい。
監督:ディラン・サザーン
出演:ベネディクト・カンバーバッチ、エリック・ランパール、ビネット・ロビンソン
日本公開:2026年
あらすじ
最愛の妻を突然亡くし、幼い2人の息子たちと残されたコミックアーティストの男。悲しみに打ちひしがれながらも慣れない家事に追われ、手探りで新たな生活を始めようとしていた彼のもとに、謎の人物から電話がかかってくる。「彼女は逝ったが、私はいる」と話すその男は、それ以来彼に付きまとうようになり、やがて彼がコミックとして描く生き物に似た「クロウ(カラス)」となって姿を現す。
感想&解説
これまで30国以上で翻訳され全世界でベストセラーとなっている、イギリスの作家マックス・ポーターによる2015年の小説「悲しみは羽根をまとって」を映画化したのが本作であり、すでに舞台化もされているらしい。監督/脚本はUKロックバンド「ブラー」の2010年公開のドキュメンタリー映画「ノー・ディスタンス・レフト・トゥ・ラン ア・フィルム・アバウト・ブラー」を手掛けたディラン・サザーン。監督自身が10代のころに友人を相次いで亡くした喪失感から、この原作に心を動かされ映画化を決めたようだ。主演は「スター・トレック イントゥ・ダークネス」「ドクター・ストレンジ」などのハリウッド大作の他、「イミテーション・ゲーム エニグマと天才数学者の秘密」「パワー・オブ・ザ・ドッグ」などの繊細な演技でも世界中から評価されているベネディクト・カンバーバッチ。彼は本作のプロデューサーも務めている。
映画は4章に分かれており、最初は「DAD(父)」の章から始まる。ここからネタバレになるが、突然、妻に先立たれたコミック・アーティストの父親が幼い二人の息子の世話をするシーンが描かれるが、彼は台所の勝手も分からず子供たちからリクエストのあった牛乳は切れており、体操服も洗濯できていないまま、なんとか学校に送り出すような始末で疲れ切っている。なによりも自分自身が妻を失った悲しみから癒えていないのだ。そんなある日、留守番電話に不気味な声で「彼女は逝ったが、私はいる」というメッセージが残されており、父欧亜の前にカラス(クロウ)が現れ始める。そしてそれは息子たちにも伝播し、彼らも家の中でクロウの存在を感じ始める。続く「CROW(クロウ)」の章では、父親は精神科に通っているが哀しみは癒えておらず、クロウはスーパーの中でも仕事場でも彼の前に現れて、彼に罵倒の言葉を投げかける。だがその一方で、音楽によって彼を躍らせて再生させようと試みたりもする。
「BOYS(子供たち)」では、子供たちが母親が死んだことによって、すっかり変わってしまった父の姿をどのように見ていたか?が描かれる。怒りに声を荒げ、まるで”怪物”のように変わってしまった父親。そしてクロウは息子たちにゲームを仕掛け、部屋にあるもので思い出の母親を再生されるが、結局は彼女は死んで二度と戻らないことを告げる。続く「THE DEMON(悪魔)」の章では、豪雨の夜にドアベルが鳴る音がし、父親が玄関ドアの前に立つと、見知らぬ男たちが「牛乳を分けてほしい」とか「新しい出版社の担当だ」「警察官だ」などと言い、ドアを開けさせようとする。そして最後には死んだ妻の声色で悪魔は現れることで家族を翻弄し、父親がドアを開けて外に出たことで、クロウと悪魔との戦いが始まる。クロウが悪魔を倒し、傷を負ったクロウに対して「お前が必要だ」と声をかける父親。それに対して笑って茶化すクロウ。彼ら家族はクロウと共存することを選んだのだ。ラストは光が降り注ぐ浜辺で母親の遺灰を撒き、親子が抱き合うことで映画は幕を閉じる。
結論、とても上質で心に残る作品だったと思う。母親を喪った家族による喪失と再生の物語であり、父親がグラフィックノベル作家であることから、クロウをテーマにした作品を作り上げる事と並行して、時間と共に彼らの傷が癒えていく物語だ。クロウは父親の内面にある喪失、後悔、哀しみ、恐れを含んだ”彼の内面”の象徴なのだろう。本作でも特徴的なシーンのひとつである、スクリーミン・ジェイ・ホーキンズの「Feast Of The Mau Mau」のレコードをかけながらクロウと踊るシーンだ。感傷的な楽曲を聴きながら涙する父に対して、クロウはこの楽曲を使って彼の感情をむき出しにする。スクリーミン・ジェイ・ホーキンズは棺桶や黒マント、鼻飾りや骸骨をあしらったステッキといった禍々しい小道具を使ったパフォーマンスを行うアメリカのアーティストで、ソウルフルな楽曲でありながら死を感じさせる。そして窓の外からの第三者視点になるシーンではクロウはおらず、画面では父親だけが踊り狂っている場面からも、クロウは父親の内面が見せる幻影なのだと表現されている。
そして子供たちにとってもクロウは母親を想う気持ちと喪失感であり、自分たちを理解してくれない父親への怒りの感情のメタファーだと思う。そして第4章では、クロウは悪魔と戦う。”悪魔”は父親の弱い気持ちに付け込んで、様々な形でドアを開けさせようと誘惑してくるが、それは子供たちに用意してあげられなかった牛乳を欲しがる男だったり、始めるたびにクロウに邪魔されて進まない仕事への焦りだったり、警察官という強い権威だったりする。そんな父親をもっとも動揺させるのは死んだ妻だ。そして最後はそんな悪魔と対峙しクロウが勝利することによって、家族は妻や母を失った喪失感や哀しみ、怒りと共存することを選ぶ。大事な人を失った感情そのものは消えないが、それでも彼らは家族として生きていくことを決める物語なのだ。
あれだけ口煩かった父親は子供たちと家中を散らかして遊び、”子供を管理しなければ”という抑圧から解放される。そしてラストは海辺でのシーンだ。光が降り注ぐ明るい海岸で、父親は泣きながら亡き妻の遺灰を撒きながら、「アイラブユー」と叫ぶ。そしてそんな父親の姿を見ていた子供たちも同じ言葉を口にしながら、彼にハグをする。そんな海岸上空をドローン撮影でカメラが飛来するのだが、これは”母親からの視点”なのだと感じた。今までの4対3の狭くて暗い画面から、いきなり解放感のある画作りに変わる素晴らしいラストシーンだったと思う。そして自分の人生を投影した作品を生み出すことで傷を癒していく姿は、脚本を手掛けたディラン・サザーン監督のメッセージを投影させているのだと感じる。主人公の職業が詩人テッド・ヒューズ研究者から、グラフィックノベル・アーティストになっているのは、原作から改変された大きなポイントだからだ。
ほぼ9割くらいは画面に登場しているであろうベネディクト・カンバーバッチの演技が、本作を一段高いレベルに押し上げているのは間違いない。突然愛する妻に先立たれ、ふたりの幼い息子たちを抱えることになった中年男性の感情が手に取るように分かるのは、彼の演技あってこそだろう。またクロウの造形もCGを使わず、役者の演技と特殊効果で表現されていることも本作の手触りに一役買っていると思う。序盤のホラー映画のような演出から一変して、ラストは感動的でありながら普遍的なテーマを感じさせることで、想像以上に心を動かされた本作。本作でプロデュースも務めた、ベネディクト・カンバーバッチの新たな代表作になりそうな一本だ。
8.0点(10点満点)