映画「ザ・ブライド!」を観た。

2021年の長編初監督作「ロスト・ドーター」で高く評価された俳優マギー・ギレンホールが監督/脚本を手がけ、孤独な不死身の怪物・フランケンシュタインと、墓場からよみがえった花嫁・ブライドが繰り広げる愛と破壊の逃避行を描いた作品。出演は豪華キャストで、「ウーマン・トーキング 私たちの選択」「ハムネット」のジェシー・バックリー、「ダークナイト」「フォードvsフェラーリ」のクリスチャン・ベール、「セプテンバー5」「THE BATMAN ザ・バットマン」のピーター・サースガード、「アメリカン・ビューティー」「20センチュリー・ウーマン」のアネット・ベニング、「雨の日は会えない、晴れた日は君を想う」「ノクターナル・アニマルズ」のジェイク・ギレンホール、「それでも恋するバルセロナ」「バニラ・スカイ」のペネロペ・クルスら。今回もネタバレありで感想を書きたい。
監督:マギー・ギレンホール
出演:ジェシー・バックリー、クリスチャン・ベール、ピーター・サースガード、アネット・ベニング、ジェイク・ギレンホール、ペネロペ・クルス
日本公開:2026年
あらすじ
1930年代のシカゴ。自らを創造した博士の名前であるフランケンシュタインを名乗って生きる怪物は、人間たちから忌み嫌われ、誰とも心を通わせることなく過ごしてきた。孤独に耐えきれなくなった彼は、高名な研究者・ユーフォロニウス博士に伴侶を創って欲しいと依頼する。ユーフォロニウス博士は事故死した女性の遺体を墓から掘り起こし、フランケンシュタインの花嫁・ブライドとしてよみがえらせる。フランケンシュタインとブライドはある事件をきっかけに追われる身となるが、2人の逃避行は人々や警察を巻き込み、やがて社会全体を揺るがす革命へと突き進んでいく
感想&解説
「ドニー・ダーコ」「ハッピー・エンディング」「クレイジー・ハート」など俳優としても活躍しているマギー・ギレンホールだが、一番有名な作品は2008年クリストファー・ノーラン監督「ダークナイト」におけるレイチェル・ドーズ役だろう。その後は2021年の長編初監督作「ロスト・ドーター」で脚本家/監督デビューし、本作「ザ・ブライド!」は2作目の監督作となっている。夫にピーター・サースガード、弟にジェイク・ジレンホールを持つ俳優出身の監督だけあって、本作の出演者は「ハムネット」でアカデミー主演女優賞を獲ったジェシー・バックリー、同じく助演男優賞を持つクリスチャン・ベール、「グリフターズ/詐欺師たち」「アメリカン・ビューティー」のアネット・ベニングや、スペイン出身のベテランであるペネロペ・クルスと豪華キャスティングが実現している。
本作はメアリー・シェリーの小説「フランケンシュタイン」の映画化の続編である、1935年「フランケンシュタインの花嫁」をベースにしながらも設定を大幅に変更した作品だ。もともとの「フランケンシュタイン」にも怪物が花嫁を求める描写があったし、特に94年のケネス・ブラナー版ではヘレナ・ボナム=カーター演じるエリザベスが怪物として蘇生する展開もあったりと、花嫁については過去作でも何度か描かれてきた。ただ映画「フランケンシュタインの花嫁」では花嫁は生まれてすぐに命を絶たれ、話をすることも主体的に行動することもなく、あっという間に退場していたが、本作「ザ・ブライド!」は完全にこの花嫁が主人公として活躍するストーリーになっている。
2025年にもギレルモ・デル・トロ監督がオスカー・アイザックとジェイコブ・エルロディを迎えて、新しい「フランケンシュタイン」を創って評価されていたが、これだけ時代を超えて多くの作品が作られていること自体、原作メアリー・シェリーが生み出したキャラクターと世界観には強い魅力があるということだろう。そしてクリエイターはこの世界観を使って、孤独や人間の独善性など描きたいテーマを描いていくのだろうが、本作にもハッキリとした監督のテーマが感じ取れる。それは”女性の解放”だ。1930年代のシカゴという女性が抑圧されて生きていた時代を舞台に、アイダは途轍もない量の”言葉”を発しながら、一度死んだにも関わらず再びこの世に復活する。冒頭から原作者であるメアリー・シェリーが登場し、メタ的にこの作品の主人公を紹介するが、この後も彼女は何度もスクリーンに現れて、アイダと言葉を交わす。まるで本当に原作者のメアリー・シェリーが描きたかったのは、アイダだったと言わんばかりに彼女の心と身体をコントロールするのである。ちなみにこのメアリー・シェリー役をジェシー・バックリーが演じていることからも、本作で彼女たちは同じ魂を持つものだと描かれる。
アイダはシカゴの街を裏で牛耳るマフィアの支配下で生きており、日々彼らに搾取されている。性的な言葉を投げかけられて暴力によって支配されているが、メアリー・シェリーによって解放された彼女はマフィアのボスに悪態をついたことで男たちの怒りを買い、階段の下に突き飛ばされて命を落としてしまう。一方、ヴィクター・フランケンシュタインによって100年前以上に生み出された人造人間フランクは、シカゴの科学者コーネリア・ユーフォロニウス博士のもとを訪れて、自分の深い孤独を解消できる結婚相手を作ってほしいと懇願する。最初は断るユーフォロニウスだったが最後は願いを受け入れ、墓から若い女性の死体を掘り起こして再活性化するが、それはアイダの死体だった。
ここからネタバレになるが、アイダは生き返るが記憶を無くしていた為、フランクは二人は婚約者だったと嘘をつき、外の世界に飛び出していく。だがアイダの元には男たちの性的な欲望が付きまとい、フランクはアイダを守るために人を殺してしまう。そして彼らの逃避行が始まるが、各所で彼らは殺していくことで、刑事と有能な女性助手に追われることになる。片足が短いにも関わらずダンスする映画スターのロニー・リードは、自分の境遇と合わせてフランクの憧れだが、彼にも邪険にされ、フランクとアイダはますます孤独を深めていくが、それでも逃避行を続ける二人。道中でも警官を殺してしまったことで、追撃はますます激しくなる。ついにドライブインシアターで求婚したフランクの頭に警官の弾丸が貫通したことで、ユーフォロニウス博士の元に戻ったアイダは彼を再び生き返らせるように懇願するが、そこには再び刑事や警官の手が伸びていた。そして銃弾によって蜂の巣のされるアイダだったが、ユーフォロニウス博士が再び”再活性化”の機械の電源を入れることによって、二人が復活したことを示唆して映画は終わる。
マフィアによって都合が悪くなった女性たちは”舌を切られて”殺されているが、これは今まで女性たちが発言できずに抹殺されていたという表現だろう。またクラブや街中では男たちがアイダをレイプしようと迫ってくるし、パトカーに追われれば、警官さえも無遠慮にアイダの身体を撫でまわしてくる始末で、女性が性的に搾取され暴力に晒されてきたことを”これでもか”と描いていく。だからこそアイダが”脳天直撃!”と男性警官に発砲したことで、女性たちが覚醒し、アイダに触発されて同じメイクをして暴れ回る描写があるが、アイダは決して男に屈しないキャラクターとして、マシンガンのように言葉を発して行動していく。性暴力する警官の口から”舌を引きちぎる”という行動は、女性たちがされてきたことの裏返しでもあり、男性の去勢の意味もあるのだと感じる。そして”そうしない方が好ましい”と原作者メアリー・シェリーの魂を受け入れたアイダがたびたび拒否する姿勢は、おそらく本作の監督マギー・ギレンホールの姿勢でもあるのだろう。マギー・ギレンホールが反トランプ発言を繰り返しているのは有名だし、何度か政治的な発言が取り沙汰されてもいる。
そんな監督が描く本作の世界観は、ほとんどの女性は被害者であり、男性はクズな加害者ばかりだと描かれる。ペネロペ・クルス演じる刑事の助手は、能力は高いにに常に現場では相手の男性に軽んじられているし、マフィアや警官たちは女性をモノ同然に扱う(監督の夫であるピーター・サースガード演じる刑事だけは、まともだったが)。そしてその反対の存在が、クリスチャン・ベール演じるフランクだ。常にアイダの身を案じて献身的に身を捧げて守るのに、自分からセックスを要求することはない。最初に彼を誘ったのはアイダの方で、むしろフランクはそれを拒否している。二人の関係は常にアイダが主導していて、車の運転だって彼女が常にハンドルを握る。あくまでフランクは従順で、ミュージカル映画が好きな、彼女を傷つけない”安全な存在”なのだ。ここが本作がよく比較される「俺たちに明日はない」や「シド・アンド・ナンシー」「ナチュラル・ボーン・キラーズ」とは違う点だし、逆にややモヤモヤするポイントでもある。本作のフランクはアイダにとって、”都合のいい王子様”のようで、ほとんど彼のキャラクターが立っていない。逆にアイダを自由奔放で魅力的に描く為、どうにも女性監督による”メッセージ性”が全面に出過ぎてしまって説教臭いのだ。正直ストーリーもかなり凡庸だし、ミュージカルシーンもそれほど興奮させられない。作り手が伝えたい事は理解できるのだが、観ている間中、どうにも監督のドヤ顔がチラついてしまって、1本の映画としてはバランスを欠いた凡作だと感じてしまった。
5.0点(10点満点)