映画「シンプル・アクシデント 偶然」を観た。

「チャドルと生きる」「熊は、いない」「人生タクシー」で世界中の映画祭で評価されてきたイランの巨匠ジャファル・パナヒによる、2025年の第78回カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞したサスペンススリラー。パルムドームでの受賞によって、ジャファル・パナヒは3大映画祭すべてで最高賞を受賞する快挙を成し遂げた。不当に刑務所に投獄された人々が復讐を試みる姿を、スリリングかつユーモラスに描いた。反体制的な活動を理由にイラン政府から映画制作を禁じられながらも活動を続けるパナヒ監督が、自身が二度にわたって投獄された経験と、同房で出会った人々のリアルな声から着想を得て手がけている。今回もネタバレありで感想を書きたい。
監督:ジャファル・パナヒ
出演:ワヒド・モバシェリ、マルヤム・アフシャリ、エブラヒム・アジジ、ハディス・パクバテン、マジッド・パナヒ
日本公開:2026年
あらすじ
かつて不当な理由で投獄されたワヒドは、自分を拷問した看守と思われる男と偶然出会う。咄嗟に強引な手段で男を拘束し、荒野に穴を掘って男を埋めようとするワヒドだったが、男のIDカードを見ると、復讐すべき相手と名前が違っていた。男も人違いだと言う。実は投獄中、目隠しをされていたワヒドは、男の顔を見たことがなかった。男は本当に復讐の相手なのか。確信が持てなくなったワヒドは、ひとまず復讐を中断し、同じ男に拷問された友人を訪ねることにする。
感想&解説
2025年の第78回カンヌ国際映画祭で最優秀パルムドールを受賞し、第98回アカデミー賞でも脚本賞と国際長編映画賞にノミネートされたイランの巨匠ジャファル・パナヒによるサスペンススリラーが日本公開となった。ジャファル・パナヒは2022年の前作「熊は、いない」でベネチア国際映画祭金獅子賞、2025年の「人生タクシー」でベルリン国際映画祭金熊賞を受賞しており、今作でパルムドールを獲ったことで世界三大映画祭の最高賞をすべて受賞した史上4人目の監督となったらしい。自身も2010年に大統領再選の抗議活動で死亡したデモ参加者の追悼式に出席した際に逮捕されたことを皮切りに、海外渡航も映画制作も制限され、2022年に再逮捕されたことで7か月の拘束経験があるなど、イランにおける映画作りで反骨的な表現を行ってきたフィルムメーカーだろう。
「シンプル・アクシデント 偶然」は二度目の収監の経験から生まれた作品だと監督がインタビューで答えているが、本作はフィクションの”復讐劇”だ。だがロードムービー的な要素も強いしコメディ的なシーンも多く、最後まで観てもジャンルがハッキリしない。しかもハリウッド映画と比べれば、かなり低予算で撮られた作品だろうし、正直演じている役者陣もまったく知らない人ばかりだが、何故か心に残る不思議な作品になっている。イラン体制や社会への風刺に溢れながらも、いま世界中で起こっていることへの警告のようにも映る。このあたりはジャファル・パナヒ監督の手腕が活きているのかもしれない。ここからネタバレでレビューしていきたい。
ストーリーとしてはタイトル通り、シンプルこの上ない。映画の冒頭、夜道で野良犬を轢いてしまったことで車が故障するというアクシデントに見舞われた男とその家族が、助けを求めた工房にはたまたまワヒドという男がいるが、このワヒドが男の歩き方を見た途端、顔色を変えてバイクで尾行を始める。翌日、あっさりとその男を車で拉致すると、かつて賃金の不払いに対して異議を唱えただけで政治犯だとみなされ、体制によって収監されたことで酷い拷問を受けたこと、その拷問を行った男はエグバルという看守で片足をシリア内戦で失っていたことなどを告げ、そのまま穴を掘って埋めようとするが男は義足にしたのは最近で人違いだと言う。ワヒド自身も目隠しをされていたせいでエグバルの顔を見たことがないこともあり、そのまま男を車の中に監禁し、恩人のサラルに相談を持ち掛ける。サラルはワヒドの後先考えない行動を非難するも、シヴァという女性を訪ねろと助言する。
シヴァはカメラマンをしており、翌日に結婚式を控える新婦ゴリと花婿アリの写真を撮っていた。シヴァとアリはワヒドと同じく元囚人であり、エグバルに対して深い恨みを持っていることで、そのままバンに乗ってエグバルの正体を探る旅に同行することになる。次に訪れたのはエグバルのことを良く知るハミドの元だが、ハミドは極端に暴力的な男で拉致した男はエグバルに間違いないと決めつけ執拗に殺そうとする。手荒な手段に出るべきだというハミドと暴力に頼りたくないシヴァは対立し、砂漠の中で時間だけが過ぎていく。そこに拉致した男の携帯電話が鳴り響き、娘のニルファーが妊娠中の母親の意識がなくなったと一報が入ったことにより、ワヒドは母子を病院まで連れていくことを決意する。そして無事赤ちゃんが出産され、安心して眠るニルファーを見るワヒド。そしてワヒドとシヴァはゴリ夫婦とハミドと別行動し、男に自白を迫るために木に括りつける。そして遂に自分の行動を自白を始めるエグバルとそれを聞き慟哭するシヴァ。ハミドはエグバルに対して”解放する”という選択をするが、彼の日常にもまだ過去の影が残っていることが示唆されて映画は終わる。
終盤、砂漠の中でこれからどうするか?を一同が議論するシーンで枯れ木が一本置いてあり、「ゴドーを待ちながら」のタイトルが引用されるシーンがある。二人のホームレスがひたすら”ゴドー”という人物を待っているが、事態はなにも変化せずゴドーも結局現れないという、”何も起こらない”ということがテーマになった戯曲だが、この場面における”男の正体は結局分からない”という事態を端的に表現している。”ゴドー”は「ゴッド(神)」、もしくは「死」のメタファーかもしれないという解釈もあるが、この時点までの本作のエグバルという存在はゴドーと同じく”空虚な中心”だ。だがワヒドにとっては、過去に出会った”姿の見えない死神”だったエグバルが、娘ニルファーと出会いエグバルの自白を聞いたことにより、彼を許して解放するという選択をする。あの場面であの男が正体の嘘を付く理由はないので、彼は間違いなくエグバルなのだろう。序盤で犬を轢いてしまったエグバルに対して、「神様が理由があって飛び出させたのよ、パパは悪くない」という妻の発言に対して、娘は「神様は関係ない。殺したのはパパだ」という場面があるが、誰のせいでもなく彼の過去の行動がこの事態を引き起こしたのだ。
そして本作の白眉である、あのラストシーンだ。エグバルを逃がし再び日常に戻ったワヒドだが、あの”義足の音”が背後から迫ってくる音を聴くことで、恐怖のあまり背後を振り返ることも出来ず、そのまま鳥のさえずりといった環境音が流れる中で映画はエンドクレジットとなる。あの男が再びワヒドの元に復讐に来たのか?それとも幻聴なのか?を曖昧にしたまま終わりを迎えることで、再び不穏な空気の中に観客を放り込むことに成功した、見事な映画的演出だったと思う。個人的にはワヒドが相手を許し再び日常に戻っても、決して過去に受けた暴力の記憶は消えることはなく、いつまでも彼の心を蝕んでいることを表現していると思うが、監督の経験や現状のイラン現体制や情勢を鑑みればまったく絵空事ではないだろう。従来の復讐劇としての骨格を取りながら、本作はまったく違う感慨に観客を誘ってくれるのだ。
いわゆるストーリーが面白いというタイプの映画ではないだろう。特に前半は「ゴドーを待ちながら」よろしく事態は特に大きく進展しないし、いわゆる予想外のラストシーンでもない。だが場面ごとに印象的なシーンが多く、退屈させないのは素晴らしい。特に誘拐犯と化した男女が織り成すドタバタ劇の側面も強く、警備員2人組から必死に男を隠そうとするシーンなどほとんどコメディ映画のようだ。また花婿と新婦姿を見て通行人が”おめでとう”と声をかけてくれたり、出産シーンがあったりとシリアスな復讐劇の中に、ふと微笑ましいシーンが挟まれるのも良いコントラストになっていると思う。特に至るところで金をたかられるワヒドには劇場でも笑いが起きていたが、監督からのイラン社会への風刺も効いているのだろう。特にラストも含めて音の演出が効いているので、映画館で鑑賞できて良かった作品だった。
7.0点(10点満点)