「女は二度決断する」を観た。
第75回ゴールデングローブ賞の外国語映画賞を受賞した、ドイツ映画。2004年のヴォルフガング・ピーターゼン監督「トロイ」や、2009年のクエンティン・タランティーノ監督「イングロリアス・バスターズ」に出演していたダイアン・クルーガーが、初めて母国語であるドイツ語で演技し、第70回カンヌ国際映画祭の主演女優賞にも輝いている。とにかく、今作はダイアン・クルーガーの独壇場であり、賞に相応しい素晴らしい演技を見せていると感じた。今回もネタバレありで。
監督:ファティ・アキン
出演:ダイアン・クルーガー、デニス・モシット、ヌーマン・アチャル
日本公開:2018年
あらすじ
ドイツ、ハンブルグ。トルコ移民のヌーリ(ヌーマン・アチャル)と結婚したカティヤ(ダイアン・クルーガー)は幸せな家庭を築いていたが、ある日、白昼に起こった爆発事件に巻き込まれ、ヌーリと息子のロッコが犠牲になってしまう。警察は当初、トルコ人同士の抗争を疑っていたが、やがて人種差別主義者のドイツ人によるテロであることが判明。愛する家族を奪われたカティヤは、憎しみと絶望を抱えてさまよう。
感想&解説
本作「女は二度決断する」は、ドイツのハンブルクやミュンヘンで実際に起きたNSU(国際社会主義地下活動)という、極右グループが起こしたテロ事件に触発されて作られた映画らしい。ネオナチグループが、ドイツにいる外国人を排斥するために起こした事件だが、警察が犯人はトルコ人やクルド人だと思い込み、ネオナチグループに捜査の手を伸ばさなかった為に、なんと11年もの間逮捕されなかったという事件である。
もちろん、この事件の影響は直接的に映画の中で描かれている。ダイアン・クルーガー演じるカティヤは生粋のドイツ人だが、テロで亡くなった夫のヌーリは、トルコ系移民という設定である。その為、被害者であるはずのヌーリの政治活動の有無や犯罪歴を、まるで容疑者の様に調べられ、あたかもドラッグ売買に関与していたかのように扱われるシーンがある。もちろん妻のカティヤは激怒するが、この陰湿な人種差別の表現を通じて、監督は今の難民問題に揺れるドイツや欧州全体を描こうとする。
また、突然のテロによって愛する夫と息子を同時に亡くした女性の悲しみを、ダイアン・クルーガーは見事に体現する。それはあまりに重々しく、苦渋に満ちている。映画前半は雨のシーンが多く、それに呼応するようにとにかくダイアン・クルーガーは泣き、苦悩し、苦しむ。そしてドラッグに逃げて、ついには自殺により自ら人生を放棄しようとする。映画冒頭に、刑務所結婚をし子供に恵まれ、幸せに暮らす家族の姿を観ている観客は、思いっきりカティヤに感情移入する。だからこそ、この彼女の悲しみに同情出来る。これが、この作品全体の推進に繋がっているのだ。映画は大きく三つのパートに分かれているが、まず最初のパート「家族」はカティヤの家族を亡くした苦しみが描かれている。
そして、第ニパート「正義」は法廷劇である。容疑者のネオナチである夫妻が捕まり、弁護士と共にネオナチ側の弁護士との戦いに赴くカティヤ。これがまた非常に息詰まる。息子の遺体の様子を解剖医に淡々と説明され、ネオナチ側の弁護士からは夫の犯罪歴やカティヤのドラッグ歴を逆手にとっての、胃がちぎれそうな悪意に満ちた質問をされる。それでも、カティヤは善意の弁護士と共に、果敢に立ち向かう。だが結果は「無罪」。もちろん、この裁判の結果は正直おかしいと思う。「怪しきは罰せず」の理屈だと裁判長は言うが、あれほどの爆破テロ事件で、証言や証拠の不十分さが無罪の決め手になるなら、もっと警察は証拠を探すべきだし、事実、確実にもっと目撃者やカメラに映った証拠はあるだろう。あれだけの証拠が揃っていながら、ネオナチ夫婦が無罪となるには、説得力がなさすぎる。だが、ここでも第一パートに続いてカティヤに感情移入している観客は、あまりの不条理な判決に怒りを覚える様な仕掛けになっているのである。
そして、ラストの第三パート「海」。カティヤは無罪になったネオナチ夫婦に復讐を計画する。潜伏先である、ネオナチの仲間がいるギリシャまで行き、彼らの居どころを突き止めたカティヤは、裁判の時に聞いたテロ用の爆弾を作り、彼らのキャンピングカーに設置する。ジョギングに出かけた二人の帰りを、距離を置いてスイッチを片手に待つカティヤ。だが少しの躊躇いの後、爆弾をまた回収に戻り、結局設置はしない。
この時、僕は正直複雑な気持ちになった。結局、爆弾でテロリストを殺せば、自らテロリストと同じ側の人間になってしまう。また新たに身近な人が報復を受けるリスクも高いだろう。だからこそ、彼女はその選択をせずに暴力の連鎖を断ち切った訳だが、これは倫理的には正しいし、もちろん理解も出来る。だが、映画としてはあれ程、第一パート/第ニパートで、カティヤの苦難を共有してきた観客の一人として、「本当にこのまま、奴らを野放しでいいのか?」という気持ちになった事も事実なのだ。
そこへ裁判で共に戦った弁護士から電話が入り、上告しようと誘われる。一度は辞退するカティヤだったが、結局は弁護士に同意し、次の日の朝8時にドイツにて打ち合わせの待ち合わせをする。その時に、僕は若干の違和感を感じる。今、カティヤがいるのはギリシャなのだが、明日の朝8時に間に合うのか?と。そんな事を考えていると、あの衝撃のエンディングとなる。場面が変わり、なんと爆弾を抱えたカティヤが、そのままキャンピングカーに乗り込み、自爆するのだ。
ここで、先ほどまでネオナチに対して「このままでいいのか?」と感じていた自分に対して、ガツンと負の感情が押し寄せる。そして「この状況で、自分だったらどう行動しただろう?」という事を考え始めるのである。そして映画は、なんともやり切れない感情と共にエンドクレジットを迎える。爆発した炎が、キャンピングカーから木に燃え移り、その煙が空に昇る。そしてカメラはそのまま上昇したかと思ったら、そのまま反転して、画面上部から海が現れるという不思議な画となる。そのままカメラは下降して、海面を映し出す。まるでカティヤの魂が、水の様に蒸発し、雲となり雨になり、そして海に落ちる様に。そのイメージは「再生」だ。カティヤの魂は天国で家族と再会し、また生まれ変われるのだろうか。
本作は、あまりに辛く暗い作品だ。見終わった後、気持ちが落ち込むのは避けられないだろう。だが映画としての完成度は高く、サスペンスフルでストーリーとして興味の持続も高い。そして、この作品は観た者に思考を促すのだ。素直に名作だと思う。ドイツの名監督ファティ・アキンの次回作も非常に楽しみだ。
採点:7.0(10点満点)
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