「レイニーデイ・イン・ニューヨーク」を観た。
御歳84歳の巨匠ウッディ・アレン監督が自ら、「クラシックなラブストーリー」と語る、記念すべき50本目の監督作品。出演にティモシー・シャラメ、エル・ファニング、セレーナ・ゴメスら人気若手俳優たちを迎え、更にはジュード・ロウや「ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー」のディエゴ・ルナらが脇を固める。撮影監督は「ラスト・エンペラー」や「地獄の黙示録」などを手掛けた巨匠ヴィットリオ・ストラーロ。アレン作品としては、「カフェ・ソサエティ」「女と男の観覧車に」に続き、三作目のタッグとなる。今回もネタバレありで感想を書きたい。
監督:ウッディ・アレン
出演:ティモシー・シャラメ、エル・ファニング、セレーナ・ゴメス
日本公開:2020年
あらすじ
大学生のカップル、ギャツビーとアシュレーは、ニューヨークでロマンチックな週末を過ごそうとしていた。そのきっかけとなったのは学生ジャーナリストのアシュレーが、有名な映画監督ローランド・ポラードにマンハッタンでインタビューをするチャンスに恵まれたことだった。生粋のニューヨーカーのギャッツビーは、アリゾナ生まれのアシュレーにニューヨークの街を案内するためのさまざまなプランを詰め込む。しかし、その計画は狂い出し、思いもよらないさまざまな出来事が巻き起こってしまう
パンフレットについて
価格900円、表1表4込みで全36p構成。
写真が多く見応えがある。装丁やデザインも素晴らしい。「ウディ・アレンとニューヨーク」という過去作の紹介やNYロケマップ、監督インタビューや辛島いづみ氏のコラムが掲載されている。
感想&解説
久しぶりにニューヨークが舞台という事もあり、これぞ「ザ・ウッディ・アレン」という作品になっている。どうやら77年の「アニーホール」と比較する声も多いようだが、確かに今作のティモシー・シャラメ演じるギャツビーというキャラクターはまさにウッディ・アレンそのものだ。クラシカルなラルフローレンのジャケットを着こみ、背中を丸めながら早口で皮肉なセリフを口にするさまは、若き日のウディ・アレンがモチーフなのだと思う。それを今をときめくティモシー・シャラメが演じているというのが、ウッディ・アレンのエゴが垣間見えて、逆に微笑ましい。
また「ギャツビー」の名は、何度も映画化されているF・スコット・フィッツジェラルドの古典「華麗なるギャツビー」からの拝借で、いわゆるハイソでややスノッブなキャラクターの象徴なのだろう。口ではそういう連中を批判しているが、実は誰よりも泊まるホテルのランクを気にし、父親のコネを使ってでもミュージカルのチケットを取ろうとしたりする。ガールフレンドに選んでいるエル・ファニング演じるアシュレーについても、ミスコン優勝者という外見の美しさに囚われており、有名な映画監督に取材ができると興奮気味の彼女の話も、自分の考えるデートプランに夢中でまるで上の空だ。そしてやりたい事も見つからずに、通いたくもない郊外の大学にしぶしぶ通っている。要するに序盤のギャツビーは、まだまだ子供のボンボンなのである。
ストーリーとしては、映画監督に取材に行った事でそのまま試写会に招待され、あれよあれよと脚本家や有名俳優などの業界人たちと接近できる事により浮かれるアシュレーと、そのアシュレーに約束をドタキャンされ、一人でニューヨークの街を彷徨うことになるギャツビーが対比して描かれる事になる。そして彼は新しい女性との出会いや、厳格だと思っていた母親との邂逅によって「自分の人生にとって大事なもの」に気付き、人として少しだけ成長するという物語だ。ギャツビーが偶然出会うチャンというキャラクターは、ギャツビーに対して本質をズバズバと突く。「やりたい事が見つからない」「親のパーティになど出たくない」など、甘えたモラトリアム期間を過ごす彼に対して、「文句があるなら、親のスネをかじってないで働けば?」と、ギャツビーが一番言われたくないだろう言葉を億面もなくぶつける女の子なのである。
だがこの二人の相性が悪くない事は、雨のニューヨークを会話しながらぶらつく見事なショットの数々からも明確だ。とにかく本作は撮影が美しい。これは撮影監督のヴィットリオ・ストラーロの手腕だと思うが、メトロポリタン美術館やセントラル・パークなど、ある意味で観光ムービーともいえるほどに雨のニューヨークが魅力的に描かれている。特に雨の合間の光のあたり具体など、ギャツビーとチャンが一緒のシーンは、若干ソフトフォーカス気味なカメラと洗練された画面構図のおかげで、どのカットも非常にロマンチックだ。これはラストの見事な伏線にも繋がっていると思う。
そして間違いなく本作の白眉は、ギャツビーがピアノにてチェット・ベイカーの「Everything Happens To Me」を弾き語り、それをチャンが聴くシーンだろう。今回チェット・ベイカーのオリジナル曲とも聴き比べてみたが、ティモシー・シャラメ版の方がピアノのコード感と歌い方がシンプルで、さらにシャラメの声質ともマッチしており、オリジナルより魅力的に聴こえた位だ。もちろん、チェット・ベイカーはトランぺッターだし、オリジナル版は彼のソロも込みで楽曲全体の完成度は素晴らしいことは付け加えておきたい。とにかく、このシーンに張り付いている「ロマンティックな空気感」は只事ではない。近年のウッディ・アレン作品の中でも屈指の名シーンだと思う。
一方、エル・ファニング演じるアシュレーに関しても、「無垢で世間知らずな未熟女子」をうまく体現していたと思う。三人の映画業界人に口説かれ舞い上がりながらも、結局はプレイボーイの売れっ子俳優の家に行ってしまうシーンでの、キスされた途端に自ら服を脱ぎだすスピードの速さなど、その「邪気のない悪女感」には思わず笑ってしまった。ラストシーンにおいて、馬車に乗りながらギャツビーに別れを告げられ、戸惑いながらも一人残された後のセリフも最高だ。本作のエル・ファニングは、この作品のクオリティアップに大きく貢献していると思う。
最後に、本作「レイニーデイ・イン・ニューヨーク」はアメリカ本国では公開されていない。ウディ・アレンが過去に起こした養女への性的虐待容疑によって、配給会社であるアマゾン・スタジオが公開を中止した為だ。だがその後に裁判で和解し、アレン自らの会社で全世界での配給を行う事により、ここ日本でも公開できたらしい。映画とは監督だけの力ではなく、多くの制作現場にいるクリエイターと役者たち、配給にまつわる関係者たちの手によって作り上げられるものだと思う。だからこそ本作がお蔵入りせずに、世界中の映画ファンの元に届けられた事は個人的にはとても良かったと感じる。この作品自体には罪がないと思うからだ。92分という上映時間にも軽やかさが表れていると思うが、軽妙洒脱な快作であったと思う。
採点:7.0点(10点満点)