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映画「わらの犬」ネタバレ感想&解説 ペキンパー&ホフマンが描く暴力の世界!

わらの犬」を観た。

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監督:サム・ペキンパー

日本公開:1972年

 

今回は僕がまだ産まれていない1972年に、日本で劇場公開された作品「わらの犬」。サム・ペキンパー監督といえば「ワイルド・バンチ」が最も有名だろうが、この「わらの犬も彼の代表作に数えられ、今でも数々の作品に影響を及ぼしている。日本でも近年「藁の盾」なんて題名の映画があったが、アートワークを見れば園子温監督の「冷たい熱帯魚のメインビジュアルは、まんま「わらの犬」だし、スローモーションや細かいカット割りの使い方などは「ワイルド・バンチ」と共に、古今東西のあらゆるアクション映画に受け継がれている。今回、ブルーレイでリマスター版が発売されている事を知り、早速購入。これだけの名作と名高い作品なのに、なんと初鑑賞。なんとも勉強不足である。今回はネタバレ全開で。

 

あらすじ

数学者のデイヴィッド・サムナーと妻エイミーは、アメリカの暴力的な環境から避難すべく、妻の故郷でもあるイギリスの片田舎に引っ越す。だが、魅力的な妻エイミーを虎視眈々と狙う村の若者たち。徐々にデイヴィットは彼らから悪質な嫌がらせを受ける様になる。彼らに文句を言う様に妻エイミーからけし掛けられても、平和主義者で気弱なデイヴィッドには、なかなかそれが出来ない。ある日、デイヴィッドはリンチを受けようとしている精神薄弱者のヘンリーを家に匿ったことから、加害者の若者たちから襲撃を受ける。家の中に匿うヘンリーと妻エイミーを守る為に、極限まで追い詰められた温厚な青年が、自ら暴力の渦に飛び込んでいく。

 

感想&解説

この映画は、元々潜在的に持っている人間の暴力性を描く作品だと思う。決して単純な善人と悪者とが戦う「勧善懲悪」の作品では無い。その証拠に、劇中の端々で主人公のデイヴィッドが本質的には、秘めたる暴力性を持っている事が示唆される。飼い猫に対しての振る舞い、妻とのちょっとした口論の後の言動、狩猟シーンでの鳥を撃ち殺した後の足取り。あくまで平和主義を装う数学者であるデイヴィッドは、普段は理性で自らの暴力性を抑えているが、極限状態によりそれが露呈した時の恐ろしさと、暴力の後の無常観が見事に表現されている。デイヴィッドは、映画を観ている観客そのものでもあるのだ。

 

映画のラストシーン。襲撃者を全て殺し、更に裏切りを見せた妻を家に残したまま、匿ったヘンリーと車に乗り込み、あても無く車を走らせる2人。ヘンリーは呟く。「帰る道が分からない。」それに対し、デイヴィッドはこう答える。「私もだ。」もう彼は元の人間らしい生活には戻れないこと、そして一度発動してしまった暴力によって失ったものは、もう二度と戻っては来ないことを表現している。ブルーレイに収録されていたプロデューサーのインタビュー曰く、なんと「私もだ。」の一言は、主演ダスティン・ホフマンのアドリブらしいが、素晴らしいセリフだ。この映画のテーマを一言で言い表している。70年代フィルムノワールの後味が濃く、なんともやり切れない気持ちで映画は終わる。

 

そして見終わった観客は、「何故、彼らはこんな事になってしまったのだろう?」「自分ならどう行動しただろう?」と考える。そして暗澹とした気持ちのまま、また自分の日常に帰って行く。この作品の棘は観客の心にしばらく残り続けるのだ。この映画にももちろん弱点はある。70年代映画にありがちだが、とにかくテンポが悪く、特に前半は間延び気味で怠い。だが一転、後半は怒涛の展開となるので、少し辛抱が必要だ。だが、この完成度の高いバイオレンス映画が70年代初頭に公開されていたという事に驚くし、映画史の奥深さに改めて気付かされた一作でもあった。サム・ペキンパー監督の過去作で、まだ未見のものも多い。映画は本当に深い。

採点:6.5(10点満点)