映画「異人たち」を観た。
シャーロット・ランプリングの好演が印象的だった2016年日本公開の「さざなみ」を始め、「荒野にて」「WEEKEND ウィークエンド」など作家性の高い作品を発表してきたアンドリュー・ヘイ監督が、山田太一の長編小説「異人たちとの夏」を海外キャストで映画化した作品。出演は「1917 命をかけた伝令」「否定と肯定」のアンドリュー・スコット、「ロスト・ドーター」「aftersun アフターサン」のポール・メスカル、「リトル・ダンサー」「SKIN スキン」のジェイミー・ベル、「蜘蛛の巣を払う女」「ウーマン・トーキング 私たちの選択」のクレア・フォイのほぼ4名だけと、少人数で構成されている。第81回 ゴールデングローブ賞では、アンドリュー・スコットが「最優秀主演男優賞(ドラマ)」にノミネートされている。今回もネタバレありで感想を書いていきたい。
監督:アンドリュー・ヘイ
出演:アンドリュー・スコット、ポール・メスカル、ジェイミー・ベル、クレア・フォイ
日本公開:2024年
あらすじ
12歳の時に交通事故で両親を亡くし、孤独な人生を歩んできた40歳の脚本家アダム。ロンドンのタワーマンションに住む彼は、両親の思い出をもとにした脚本の執筆に取り組んでいる。ある日、幼少期を過ごした郊外の家を訪れると、そこには30年前に他界した父と母が当時のままの姿で暮らしていた。それ以来、アダムは足しげく実家に通っては両親のもとで安らぎの時を過ごし、心が解きほぐされていく。その一方で、彼は同じマンションの住人である謎めいた青年ハリーと恋に落ちていくのだった。
感想&解説
山田太一による原作小説「異人たちとの夏」は、1988年に大林宣彦監督によって映画化されているらしい。かなり大きく改変されているらしく、日本版は未見のままアンドリュー・ヘイ監督による本作を鑑賞したが、本当に静謐でエモーショナルな作品だったと思う。原作から特に大きく変更されたのは、主人公アダムのセクシュアリティで彼をLGBTQ設定にしたことらしい。これは確かに本作における重要な要素だったので、この要素の有無によって作品のニュアンスは大きく変わるだろう。ちなみに本作レーティングは「R15+」だが、主人公アダムとパートナーであるハリーとのセックス描写は、”受け”などのワードも含めてかなり赤裸々に描かれる。これは本作においては、彼らの孤独な魂を慰め合う行為としてセックスを描いているため、もちろん必然性はあるものの、表現としてはやや刺激的なシーンとなっているのは記載しておきたい。
恐らく監督であるアンドリュー・ヘイ自身のセクシャリティから、今作はキャラ設定を変更したのだろう。彼は監督2作目の「WEEKEND ウィークエンド」でもゲイを主人公にした作品を作っていたが、本作において主人公アダムの人間性を構成してきた要素として、LGBTQという設定は大きなファクターだからだ。幼いころから同級生にいじめられ、両親にもその理由を話せずに一人部屋で泣いていたアダム。だがそんなアダムも両親を12歳の頃に交通事故で亡くして以来、より孤独な人生を歩んでいる。設定上では”映画脚本家”ということになっているが、人に会わずに自室で籠って仕事が出来るという理由以外にも、このアダムは本作で監督/脚本を担当したアンドリュー・ヘイ自身を投影させたキャラクターである可能性も高いだろう。
ここからネタバレになるが、アダムがふと見返した写真をきっかけにして、幼少期を過ごした郊外の家を訪ねると、そこには何故か30年前に他界したはずの両親が、当時のままの姿で住んでおり、アダムは今までの寂しさを埋めるように、頻繁に彼らの元を訪れる。そんな中クレア・フォイ演じる母親との会話で、思わずアダムは自分がゲイである事をカミングアウトするシーンがある。序盤でアダムのテレビから流れてくるのは、”フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド”の84年作品「THE POWER OF LOVE」だが、本作ではペット・ショップ・ボーイズなど、80年代の楽曲がかなり劇中でフューチャーされる。ペット・ショップ・ボーイズのボーカル”ニール・テナント”は1994年にゲイであることをカミングアウトしているが、これは当時カミングアウトしなかったアーティストも含めて、アダムが同性愛者のアーティストを愛聴しているという表現であると同時に、アダムが”この時代から前に進めていない”という演出だと思うので、彼が事故によって両親を亡くしたのは80年代という設定なのだろう。
80年代はまだまだLGBTQに対しての理解が進んでおらず、母親は「ゲイは寂しい人生だと聞いたわ。あなたは昔から変わっていた。」など、息子に対して偏見に満ちた言葉をかけてしまう。これに対して「ゲイである事と寂しいことは違う」と言い返すアダムだが、実の母親にも理解されない絶望を彼は改めて背負うことになるのだ。だが最終的に、彼は当時はこの件について会話できなかった父親と会話し謝罪のうえ抱き合い、母親にも”恋人と二人で幸せになりなさい”と激励されることで、遂に亡くなった両親の元から彼は独り立ちする。両親のベッドに潜り込むことで、子どもの時にもっと甘えたかったという欲求を満たし、大人同士で話し合い理解し合うという”通過儀礼”を済ませたことで、80年代から止まっていた時間が動き出すのである。終盤におけるレストランでの会話シーンは、本作屈指の感動的な場面だった。
そしてそのアダムと恋愛関係を築くのが、ハリーという青年だ。演じているのはポール・メスカルという俳優で、近作だと「aftersun アフターサン」というA24作品で、繊細な父親役を演じていたのが記憶に新しい。どうやらリドリー・スコット監督の「グラディエーター2」では主役に抜擢されたらしいが、最近目覚ましい活躍の役者だ。本作においてアダムとこのハリーとの関係は大きな要素となっているが、ハリーには最初から深い孤独が垣間見える。彼は自分たちの住むタワーマンションは”静かすぎる”と言い、”自分たち2人しか住んでいないんだ”と告げるのだ。そもそもアダムが地上からマンションを見上げた際に、それをハリーが認識したことで「下から見ていたね」と部屋を訪れるが、ここから非常に不自然なシーンだ。なぜハリーはアダムが住む部屋まで認識できたのだろう?そしてアダムがふと窓から下を見下ろすと、そこからなんとハリーが部屋を見上げて手を振るシーンまである。彼はいつからあそこにいたのだろう?序盤の火災報知器が鳴るシーンでは、住民が誰も出てこないが、あれほどの部屋数があるのに本当に誰も住んでいないのか?
たしかにこのマンションのエレベーターはいつも誰も乗ってこないし、廊下ですれ違うこともない。この”静かすぎる、自分たち2人しか住んでいない”タワーマンションとは、一体なんの象徴だろうか?このマンションの部屋はセットを作って撮影されたそうで、高層マンションからの風景を実際に撮影しLEDスクリーンに投影しているそうだ。そしてアンドリュー・ヘイ監督はこのマンションが、やや不気味な色調で表現されることを望んでいたらしい。これはタイトルである「異人たち」というこの世の人間とは一線を画した存在が、アダムの両親だけではなかったというラストシーンへの伏線にもなっているのだろう。現世とあの世を繋ぐ”二人だけの場所”が、あのタワーマンションの一室だったということなら、ラストシーンで二人がオリオン座の星になって消えていくという切ないラストカットも合点がいく。
この場面において、アダムがハリーに告げる「君を死神から守ってやる。吸血鬼も追い払ってやる。」というセリフは、上記の”フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド”の「THE POWER OF LOVE」の歌詞の一節だ。「Relax」が有名なフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドのリード・ボーカルである、ホリー・ジョンソンはゲイである事をカミングアウトしているが、この二人にとっては「THE POWER OF LOVE」こそが特別な1曲なのだろう。個人的には映画の冒頭ではアダムは既に死んでおり、遂に見つけた真のパートナーであるハリーと、「THE POWER OF LOVE=愛の力」によって浄化される物語だと解釈した。電車の中で不思議そうにこちらを見ていた少年は、おそらく霊が見えるのだろう。主演のアンドリュー・スコット自身もゲイをカミングアウトしているようだが、やはり本作は彼以外は考えられない配役で素晴らしかったと思う。とにかく静謐でアート色の強い作風なのでかなり地味な映画だが、強いメッセージ性を秘めた作品であった。
7.0点(10点満点)