映画を観て音楽を聴いて、感想を書くブログ

会社員バンドマンが綴る、映画と音楽のブログです。過去の名作から、新作まで綴っていこうと思います。音楽についても書くかもしれません。

「ハードコア」を観た

「ハードコア」を観た。

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監督:イリヤ・ナイシュラー

出演:ヘイリー・ベネット、シャールト・コプリー

日本公開:2017年

 

FPSFirst Person Shooter)という、一人称目線のゲームジャンルがあるが、本作はそれをアクション映画でやるとどうなるかを実践している作品だ。画面は主人公ヘンリーの目に映っている光景と同じという設定の為、観客はアクション映画の主人公になった気分でスクリーンを見つめる事になる。ストーリーはあってない様なものだと言って良いだろう。去年から予告編が公開になっており、Queenの「Don't Stop Me Now」を使用していたが、最初にこの予告編の出来は最高だったと言っておきたい。今回はネタバレ無しで。

 

感想

映画というのはやっぱり奥が深いなぁと、こういう作品を観ると改めて思う。画面に映るチャカチャカと動き回る映像は、常に大きくブレまくり、バイオレンスとエロティックでコーティングされた刺激的な被写体たちを映し出している。音楽は画面とシンクロして、主人公が走り出せばビートの効いた軽いエレクトロミュージックが流れ、変わらず画面では忙しくビルから飛び降りたり銃撃戦を繰り広げたりしている。

 

「これは映画なのだろうか?」観ている間、僕はずっとそんな事を考えていた。もちろん、映画館で観ている訳だし、ちゃんとした配給会社から供給されている作品だというのは間違いない。だが、何故か僕にはこれを映画として認めたくないという、妙な感情が湧いていた。身も蓋も無い表現をするなら、これは「インタラクティブ性の無いゲーム」だ。インタラクティブ性が無いのはもはやゲームでは無いだろうから、この言語矛盾を解消する為に「実況の無いゲーム実況映像」と言い換えても良いかもしれない。

 

姿や表情が映らず、しゃべる事も封印されている本作の主人公には、感情を表現する方法は一切ない。よって、この主人公に感情移入する事は不可能だ。ゲームであればコントローラーを右にたおせばキャラクターは右に動き、ボタンを連打すれば銃を撃ったりジャンプしたりするから、このキャラは自分なのだと頭の中で置き換えながらプレイ出来る。これがゲームのインタラクティブ性だ。ところが、この作品は感情移入出来ないキャラクターが、とにかく画面の中を動き回りながら「何か」をやっている。「何か」は観客の意志とは関係無く行われ、観ている者に細かい事を考える余裕を与えない。全く逡巡する事なく、お話を進める為だけに主人公は、大量の返り血を浴びながら、ひたすら迅速に行動していくのだ。

 

僕にとって映画とは、監督の演出した画面の中で、キャラクターたちが喜び、怒り、驚き、悲しみながらストーリーを進めるというものだ。そのストーリーや演出はアクションでもサスペンスでも、恋愛ロマンスでもジャンルによってバラバラだろうし、作品によって当然良し悪しはある。だが、どんな作品でも、やはりキャラクターが映画の中でしっかり「生きて」いて欲しいし、それをカットの構図や音楽で「映画的」に演出して欲しいと思う。これは保守的な考え方なのかもしれないが、僕にとっての「映画」とはそういうものなのだ。

 

残念ながら、本作「ハードコア」は個人的には、映画として評価できる作品では無かった。一人称視点の中で、緩急の無い刺激的な映像を延々と観たというだけだ。コンセプトは面白かった。それは予告編の出来によっても証明されていると思う。だが2分30秒の予告編では良くても、96分の映画としては「持たない」コンセプトだったという事だろう。エンディングにかかる「HAVE THE TIME」という楽曲には「いつだって時間が足りない、時間を大切にしよう」という歌詞があるが、この作品を観た後に聴かされると、ちょっとブラック過ぎる冗談に聞こえる。正直、時間を大切にするなら、本作「ハードコア」は予告編を観れば十分な作品だろう。ただ、面白いコンセプトである事は間違いないので、映像に興味がある方などは是非。