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「スリー・ビルボード」を観た(完全ネタバレ&解説アリ)

スリー・ビルボード」を観た。

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監督:マーティン・マクドナー
出演:フランシス・マクドーマンドウディ・ハレルソンサム・ロックウェル
日本公開:2018年

 

ゴールデン・グローブ賞で4冠を勝ち取り、アカデミー賞でもノミネート、更に作品賞の第一候補と評価されている本作が、遂に日本公開となった。主演は96年「ファーゴ」で、主演女優賞を受賞している、フランシス・マクドーマンド。共演は、近作だと「猿の惑星:聖戦記」で狂気を湛えた大佐役を熱演していたウディ・ハレルソン。また暴力的な警官だが重要な役どころとして、09年「月に囚われた男」のサム・ロックウェルが配役されている。監督は、舞台の戯曲からキャリアスタートして、映画長編三作目のマーティン・マクドナー。今回も完全ネタバレなので、ご注意を。

 

あらすじ

ミズーリ州の寂れた道路に掲示された巨大な3枚の広告看板。そこには警察への批判メッセージが書かれていた。設置したのは、7カ月前に何者かに娘を殺されたミルドレッド(フランシス・マクドーマンド)。犯人は一向に捕まらず、何の進展もない捜査状況に腹を立て、警察署長ウィロビー(ウディ・ハレルソン)にケンカを売ったのだ。署長を敬愛する部下(サム・ロックウェル)や町の人々に脅されても、ミルドレッドは一歩も引かない。その日を境に、次々と不穏な事件が起こり始め、事態は予想外の方向へと向かっていく。

 

感想&解説

非常に深みのある作品だ。ストーリーは大きな起伏は少なく地味に映る。だが、映画としては非常に高い完成度で、観た人によって様々な感想や解釈が出るタイプの作品だ。極めて隙がない作りで、含まれた作品のテーマといい、アカデミー賞向きと言えるだろう。

 

主人公のミルドレッドは、7ヶ月前、娘をレイプされ焼かれて殺されている。まだ犯人は捕まらず、その為、警察に対して不信感を募らせ「レイプされて死亡」「犯人逮捕はまだ?」「なぜ?ウィロビー署長」という三枚の広告看板を出すところから、映画は始まる。本作におけるミルドレッドの行動原理は、全て「怒り」だ。娘を殺した犯人への怒り、犯人を野放しにしている警察への怒り、そして娘に車を貸さなかったばかりに事件に巻き込まれたという、自分への怒り。それらの怒りが、真っ赤な三枚の看板に象徴される様にミルドレッドを突き動かしている。

 

正直、劇中のミルドレッドは完全に「変人」に映る。忠告に来た神父には、神父はギャングと同じだと追いかえし、署長の友人だという歯医者の指にはドリルで穴を開ける。息子の通う学校のいじめっ子たちの股間には、男女問わず蹴りを入れる。挙げ句の果てには、警察署に放火まで行うのだ。娘を殺された事は同情するが、とにかくその「怒り」の全てを暴言と暴力によって表現する為、観客にとっては感情移入出来ないキャラクターに見えるだろう。同じく全く共感出来ないキャラクターとして、ウィロビー署長の部下であるディクソンという人物がいる。

 

彼も怒りに取り憑かれたキャラクターで、警察官でありながら、ミルドレッドの言葉から強いレイシストである事が示唆されるし、特に映画中盤に訪れる、ワンカットで描かれる暴力的なシーンは度が過ぎている。ミルドレッドが依頼した広告会社の若き経営者を、ボコボコに殴り、窓から放り出したかと思えば、女性社員にも容赦なく拳をあげる。とんでもない男なのである。だが、そんな男にも転機が訪れる。それは自殺したウィロビー署長からの手紙である。

 

ウィロビー署長はガンに犯されており、余命が短い事が描かれる。だが家族を愛し、部下や街の人間を愛してた彼は、ガンとの闘病から妻を救おうと、自ら銃により自殺する。そんな彼が、残された人たちに手紙を残していたのである。その手紙により、ディクソンは後半で大きく変化する。ディクソンはゲイで、ウィロビー署長に上司に対して以上の感情があった事が、劇中のセリフや演出から解る。自らは黒人を虐待しているレイシストだが、一方では保守的な土地柄、蔑視される対象のゲイというアイデンティティに、悩み苦しんでいたのであろう。そんな署長から、自分という人間を肯定されたディクソンは、刑事になるという夢や自分の人生を取り戻す為、能動性に動き出すのである。

 

この映画のテーマは「怒りと赦し」だと思う。作品の冒頭では、様々な怒りに満たされたキャラクター達が起こす暴力が次の暴力を呼び、それが連鎖されていくのが描かれる。だが、ウィロビー署長の妻が、憎きミルドレッドに彼の残された手紙を渡す時、ミルドレッドの息子が母親からシリアルを頭から被せられた時、ジェームスという身体にハンディキャップがある男が、ミルドレッドの元旦那に小男とバカにされ、さらに愛するミルドレッドにも不条理な扱いを受けた時、ディクソンにより窓から放り出された広告会社の男が、同じ病室で全身火傷を負ったディクソンを見つけた時、どんなに怒りや悲しみが心を突き動かしても、彼らは暴力や暴言を行使しない。あくまで論理的に物事を対処し、時には指摘する。そして憎むべき相手にさえ、オレンジジュースのストローを差し出すのだ。その時、暴力の連鎖は止まる。劇中、ハッキリとこの作品の言いたいことが、ある意外なキャラクターのセリフで表現されている。「怒りは怒りを来す」である。

 

ラストシーン、娘を殺した犯人では無いと知りながら、レイプ犯の男を殺すという目的の為に、ミルドレッドはディクソンと供に車に乗る。そこで、ミルドレッドは警察署に放火して、ディクソンに大火傷を負わせたのは自分だと告白する。まるで7ヶ月前に自分の娘がされたように。だが、それに対して「アンタしかいないだろ。知ってたよ」とディクソンが返す。また一つ「赦し」が行われ、暴力の連鎖が止まる。その後、映画は彼らのその後を追わずにエンドクレジットになる。だが、もちろん彼らは殺人を犯したりはしないだろう。この映画のテーマが、それを物語っているからだ。

 

今のアメリカにおいて、極めて切実なテーマの作品だと思う。先日観た「デトロイト」とも通じる、暴力や差別に関しての映画だ。アメリカ大統領が北朝鮮に発した「世界が見た事がないような火力と怒りに直面するだろう」という発言は、この映画における「怒り」のモチーフ、「炎」を連想させる。様々な意味で、この「スリー・ビルボード」は今観るべき作品である事は間違いないだろう。注目のアカデミー賞の発表は、3月4日である。