映画を観て音楽を聴いて、感想を書くブログ

会社員バンドマンが綴る、映画と音楽のブログです。過去の名作から、新作まで綴っていこうと思います。音楽についても書くかもしれません。

「テルマ」を観た(完全ネタバレ&解説アリ)

テルマ」を観た。

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監督:ヨアキム・トリアー

出演:アイリ・ハーボー、カヤ・ウィルキンズ、ヘンリク・ラファエルソン

日本公開:2018年


カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品されたノルウェー産ホラー映画である。監督はヨアキム・トリアー。なんとあのラース・フォン・トリアー監督の親戚らしい。本作が日本公開された長編二作目との事だが、この監督はすごい資質だと思う。一作目の「母の残像」という作品もぜひ観てみたいと思ったが、本当に今後が楽しみな才能が現れたものだ。アカデミー&ゴールデングローブ賞外国語映画賞ノルウェー代表作品に選ばれ、海外最大の映画レビューサイトでは93%の満足度を叩き出したらしい。ノルウェー映画という事もあり知っている俳優陣は全く出演していないが、その演出力の高さに鑑賞中、グイグイとスクリーンに引き込まれた。今回もネタバレありで感想を書きたい。

 

あらすじ

ノルウェーの田舎町で、信仰心が強く抑圧的な両親の下で育ったテルマには、なぜか幼い頃の記憶がなかった。そんな彼女がオスロの大学に通うため一人暮らしを始め、同級生の女性アンニャと初めての恋に落ちる。欲望や罪の意識に悩みながらも、奔放なアンニャに惹かれていくテルマ。しかし、やがてテルマは突然の発作に襲われるようになり、周囲で不可解な出来事が続発する様になる。そしてある日、アンニャがこつ然と姿を消してしまうという事件が起こる。

 

感想&解説

傑作だと思う。次々と表現されるカットは芸術的で美しいし、各シーンが映画的な魅力に溢れており官能的で耽美だ。まずオープニングシーンから興味を持っていかれる。父親と小さな娘が雪原を歩き、狩りをしている。すると目の前に鹿が現れた為、父親は猟銃を構える。娘はその鹿が撃たれると思い、その姿を凝視している。すると父親は鹿から照準を外して、なんと鹿を見ている娘の背中に照準を定める。それに気付かず、鹿を凝視し続ける娘。引き金を引くか迷う父親。だが結局はやはり撃てないで、鹿もその場から逃げていく。「何故、鹿を撃たなかったの?」という顔で、父親を振り向く娘。この時点までで、濃密に映像から多くの情報と疑問が観客に提示される。何故、父親はこんな年端もいかない女の子を殺そうとするのか?女の子には殺される原因の自覚はないのか?他の家族はいるのか?そして、オープニングタイトル「THELMA」が点滅しながら表示される。この時点で、観客はもうこの作品の世界に感情が入っているだろう。見事な流れだ。


物語の序盤、主人公のテルマは非常に抑圧された生活を送っている事が描かれる。あの少女が大学生となりオスロという都会に出てきたは良いが、厳格な親からは過度に干渉されてキリスト教への厚い信仰心から、大学生ならみんなやっているお酒やタバコにも手を出さない。だがある日、テルマは謎の癲癇発作を起こし図書室で倒れてしまうが、それをきっかけにしてアンニャという少女と出会う。自由奔放で大人っぽくふるまう彼女にテルマはいつしか恋に落ちてしまい、アンニャも無垢で不思議な魅力のあるテルマに惹かれていく。そして、ある日二人は激しいキスを交わしてしまう。それからテルマは今までの厳しい戒律と、女性を愛してしまった自分の本当の気持ちの間で揺れて悩み、苦しむ。そして、それをきっかけとして彼女が本来持っていた「能力」が徐々に発動し出し、不穏な現象が身の周りに次々と起こっていく。そう、この物語のベースは少女の「超能力もの」だ。そして、そのチカラがあるが故に、過去に自らの幼い弟を殺してしまい、その結果母親は投身自殺未遂を起こして歩けなくなり、両親から畏怖と怒りの感情を抱かれている事が物語の終盤にわかる構造になっている。更にそのチカラが暴走し、愛するアンニャすら消してしまい、テルマは更に苦しむ。


抑圧された少女が念動力で人を傷付ける作品と言えば、ブライアン・デ・パルマ監督の1976年「キャリー」を連想するが、映画のダークなトーンはトーマス・アレフレッドソン監督の2008年作品「ぼくのエリ 200歳の少女」に近い気がする。ただ本作のヨアキム・トリアー監督はインタビューを読む限りかなりのシネフィルらしく、ダリオ・アルジェントミヒャエル・ハネケアルフレッド・ヒッチコックからの影響も公言していて、確かに言われてみればと頷ける。更に大のジャパニーズアニメファンという事で、大友克洋の「AKIRA」や今敏パーフェクト・ブルー」にも影響を受けているそうだ。恐らく、それほど予算をかけてはいない作品だと思うが、鳥が不穏に上空を飛び回り窓に激突するシーンや、プールで水面に浮かび上がれないシーン、そして本作の白眉であるボートで父親の身体から突然出火するシーンなど、非常に悪夢的でビジュアル的にも素晴らしい場面が続く。派手なホラー映画ではないが、映画として非常に高いクオリティを保っているのだ。


そして本作は少女のラブストーリーとしても秀逸で、テルマがアンニャと恋に落ちる描写が非常に官能的で美しい。あの二人が初めてキスをするシーンは「罪悪感」と「抗えない気持ちと身体」の葛藤が、二人の女優の演技から手に取るように分かる名シーンだった。恋する二人が話をしているカットは、ずっとカメラがフィックスしないで揺れている。これは、二人の気持ちを映像的に表現しているのだろう。この様な細かい演出も随所に光る。そしてテルマがアンニャを想うシーンには、度々「蛇」がモチーフとして現れる。言うまでもなく、キリスト教において蛇は「アダムとイヴ」で禁断の果実を食べるようにそそのかす「誘惑の象徴」だ。その蛇がテルマの口に入るイメージシーンが示唆するものなど、エロティックでありながらも高い芸術性を感じさせて、この映画はまるでアートを鑑賞している様な気持ちにすらさせるのだ。


そしてラストシーン。薬で自分を廃人にしようとしていた父親を焼き殺したテルマは、アンニャが戻った事を知り、母親の脚に手を置く。すると、彼女は車イスから立ち上がり歩けるようになる。それはまるで、弟の事件で母親を今まで苦しめた贖いのようだ。そして場面は学校に変わり、テルマはアンニャの行動が予知出来るようになったかの様な描写があり、そのまま上空からの俯瞰ショットで映画は終わる。これは、いわゆる「全能性」の表現だと思う。あれだけ両親と共に厳格に従い、祈ってきた「神」に近しい存在としてテルマは覚醒し、それでもこのまま同性愛を貫き生きていくのだというメッセージ。もちろんその愛は美しいのだが、それと同時にそのチカラを持ったテルマの未来にも一抹の恐怖も感じるという、非常に示唆に富んだエンディングなのだと解釈した。これをハッピーエンドと取るか、バッドエンドと取るかはその人の宗教観や考え方に依るだろう。


本作はホラー映画だと思ってスルーするには、勿体ない魅力を持った作品だと思う。ホラーと呼ぶほど怖がらせる演出は無いし、痛い表現もない。非常にダークなサスペンス作品として、北欧映画らしい芸術性とエンターテイメント性を兼ね備えた、やはり「傑作」の一言に尽きる。今のうちにヨアキム・トリアー監督の才能に触れるという意味でも、映画ファンは必見の作品だろう。