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映画「スイミング・プール」ネタバレ考察&解説 困惑させられるラストの展開を考察!あの「卵型オブジェ」はイースターエッグ!?

スイミング・プール」を観た。

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まぼろし」「8人の女たち」などで有名なフランス人監督フランソワ・オゾンが、過去作でも起用しているリュディヴィーヌ・サニエシャーロット・ランプリングを主役に迎えて撮影した、2004年日本公開のサスペンス作品。P・J・ホーガン監督「ピーター・パン」でハリウッドデビューも飾っているリュディヴィーヌ・サニエと、「評決」「レッド・スパロー」などでもお馴染みのシャーロット・ランプリングの共演、さらに解釈の分れるラストの展開が見所だろう。またイギリス人俳優で「エイリアン3」「イミテーション・ゲーム」などのチャールズ・ダンスも出演しており、この作品に風格をもたらしている。今回もネタバレありで、感想と解説を書いていきたい。


監督:フランソワ・オゾン

出演:シャーロット・ランプリングリュディヴィーヌ・サニエチャールズ・ダンス

日本公開:2004年

 

あらすじ

自分の近作に満足していないイギリスの人気ミステリー作家サラは、出版社の社長であるジョンの勧めで彼が所有する南フランスの別荘を訪れる。お気に入りのレストランを見つけ、豊かな自然に囲まれているうちに作家としてのインスピレーションを取り戻すサラ。だが、そこにジョンの娘と名乗るジュリーが突然現れ、彼女の静かな生活が壊れ始める。毎日違う男を別荘に連れ込み別荘のプールで泳ぐジュリーを観ているうちに、サラは彼女を題材にした小説を書こうと思いつく。

 

 

感想&解説

今回ブルーレイで初めて鑑賞したのだが、続けて二回観てしまうほど面白い作品だった。主演のシャーロット・ランプリングリュディヴィーヌ・サニエの女優二人が魅せるアンサンブルが素晴らしく、特にリュディヴィーヌ・サニエは冒頭から脱ぎまくりで、身体を張った演技を見せている。ただ本作においてシャーロットが演じるサラと、リュディヴィーヌが演じるジュリーは「対」となる存在なので、ジュリーの若さと奔放さを表現する手法として、このヌードは必要な表現だったと思う。逆にサラは序盤からずっと不機嫌なうえ、不満を蓄積させているイギリス人作家というキャラクターで、冒頭の地下鉄でファンに話かけられても「人違いです」と冷たく拒絶する様子から、「作家としての自信」も失っていることが表現されている。またサラが出版社の中で会った新人作家に対して「クソガキ」と表現するあたりにも、彼女の嫉妬と焦りが滲み出ており、序盤からキャラクターが抱えている感情が垣間見えて上手い。


またロンドンのシーンで登場する、チャールズ・ダンス演じる「ジョン」という出版社の社長が、出番は少ないのだが、本作において非常に重要なキャラクターだ。サラは最初から「私はほったらかしね」とジョンに対しての感情を吐露しており、特に「私はお金や成功なんて興味ない。求めているのは」と言いかけた途端、ジョンがそれを遮るように「心躍るプロット?」と聞き返すのだが、サラはそれに対して「わかってない」と怒るシーンがある。この場面から、明らかにサラはジョンに対して恋愛感情を持っているのに、ジョンはそれを知りながらも”お金を稼ぐ人気作家”として、サラを利用している事が表現されている。そしてその怒りを鎮めるために、ジョンはサラをフランスの別荘に誘うのだが、サラは間髪入れずに「あなたも来る?」と質問を返す。それに対してジョンは、「娘がいるんだ。週末には行けると思う」と返事するのだが、この何気ない一言が実は大きな意味を持つワードになっているのである。


それからサラは年老いた父親に留守番を頼み、一人でフランスに出かけることになる。マルセルという年老いた使用人と会い、彼女は別荘で静かな生活を始め、執筆活動も開始する。そして近くの町ではお気に入りのレストランを見つけ、彼女は段々とこの別荘の生活を満喫し始めるのだ。だがそんなある夜、突然リュディヴィーヌ・サニエ演じる若きフランス人女性のジュリーが屋敷を訪れる。彼女は「あなたがパパの新しい獲物?」と言い、サラは「娘が来るなんて聞いてなかった」と答えるのだが、これはジュリーがスーツケースを持っている事から、ロンドンにいる娘が"フランスに来るなんて聞いてなかった"という意味だろう。ジュリーが英語を話しているのも、そう思った要因かもしれない。その後、サラは怒ってジョンに電話をかけるが繋がらないという展開になる。


そして突然現れたジュリーは、自由奔放に行動を始める。食べた食器は片づけないし、葉っぱが浮いて掃除していないプールでも全裸で泳ぐ。一か所、ジュリーがロンドンにいる父親のジョンと電話しているようなシーンがある。サラが変わると電話が切れているという場面なのだが、これはそもそもジュリーとジョンは電話していなかったのだろう。かけ直してもジョンに繋がらないのはその為だ。それからもジュリーは屋敷に男を連れ込んでは、サラに自分のセックスを見せつけるような行動を取る。その後、サラはレストランの店員であるフランクと会話するようになり、彼のことが気になりだす。それから、プールサイドに横たわるジュリーを見てフランクが欲情しているという、現実感のないカットが突然挟み込まれるが、これは"サラの妄想"だろう。ジュリーの若さと身体があれば、大胆に彼を誘惑できるのにという秘めた欲望が表現されているのだと思う。ちなみにその後に出てくる、マルセルがプールサイドで寝転ぶサラを見ているシーンも同じく彼女の妄想だ。その後のカットとまったく繋がらない場面だし、老人のマルセルなら自分でも誘惑出来るというサラの自信を表現している。そして、これはもちろん終盤の伏線でもある。

 

 


翌朝、また違う男を連れ込んでいるジュリーを見て、サラは猛然とジュリーをテーマにした作品を書き始める。そして、ジュリーの身辺をリサーチし始めるサラ。そこで彼女のバッグの中から日記と母親らしき写真を見つける。顔にアザを作って帰ってきたり、父親のことを「女癖が悪い」と評するジュリーをサラは突然食事に誘うが、それは彼女の母親のことを聞き、小説のテーマにしたいからだ。ジュリーがサラの部屋を訪れたときに、とっさに原稿を隠すシーンがあるのだが、サラなりに後ろめたい気持ちがあるのだと思う。レストランで母親のことを聞かれたジュリーは「話せば長いわ」と白を切る。その後、家に戻ったジュリーは母親もロマンス小説を書いていたが、父親のジョンにけなされ燃やされたと語る。翌朝、たまたまジュリーはサラの部屋から自分をテーマにした小説を発見してしまい、その仕返しとしてフランクを家に呼び、彼を誘惑するという行動に出る。だが彼に拒絶されたジュリーはフランクを殺してしまう。


突然失踪したフランクに対して、プールサイドの血痕を見たサラはジュリーの犯罪を疑う。そしてマルセルの家を訪ねると、背の小さなマルセルの娘からジュリーの母親が事故で死んだことを伝えられる。家に帰ると殺人のショックで錯乱したジュリーがおり、サラを「ママ」と呼ぶと彼女はそのまま気を失ってしまう。目が覚めるまで看病していたサラは「本当のことを言って」と諭し、ジュリーはフランクを殺した理由を「あなたの本の為」だと告白する。そのまま、フランクの死体を埋めるサラとジュリー。そしてジュリーは違う街に向かうことをサラに告げ、二人は晴れやかに別れる。ジュリーの部屋にはサラ宛の手紙と原稿が残されており、そこにはジュリーの母親が書いた小説のコピーを、サラに託す旨が書かれていた。ロンドンに戻ったサラはそれをジョンに見せるが、ジョンは「君らしくない作品だ。出版しない方がいい」と一蹴するが、サラは「自分の最高傑作だ」と、すでに他の出版社で印刷し終わった本を取り出す。そして、そのままジョンとの関係に別れを告げて部屋を出る。そこでサラは若い女性とすれ違うが、彼女はジョンを父と呼ぶ「ジュリア」という女性で、サラの知る娘のジュリーとは別人だった。そして別荘のプールサイドから、サラに向かって手を振る「ジュリア」と「ジュリー」のイメージが交互に映し出されて、この映画は終わる。


このエンディングを観て、最初は「ジュリーが幻想だったという映画か」と一瞬思ったのだが、それだと映画全体の整合性が取れないことに気付く。そもそも、ジュリーは夜な夜な男たちを連れ込んで翌朝も会話しているシーンが二回もあるし、彼らはマルセルとも会話している。さらにマルセルがジュリーを見て「戻ったのか?」と聞くシーンがある為、彼らが過去に面識があることや、マルセルの娘もジュリーを知っていた事などから、ジュリーがもし幻想であるなら、サラがフランスにいたこと自体が全て幻想くらいでないと整合性が取れない。とはいえ、ラストにおけるジュリーの母親の小説は実在し出版されたとなると、この映画の構造自体が壊れてしまう。ちなみにブルーレイで収録されている「未公開シーン」にも、ロンドンにいるジョンがサラと電話で会話しており、「娘が君に迷惑をかけていないかな?」と聞くシーンがある。さらにサラが「小説のテーマを変えた」と伝えると、ジョンが「娘に関するテーマか?」と聞き返す場面が収録されているが、これは明らかにフランスに娘がいることをジョンが認めており、ジュリーが幻想ではない事を裏付けている。本編ではカットされたとはいえ、脚本にあったシーンのため撮影されたのだろうからだ。ただこのシーンがあると、あまりに展開がストレートになりすぎて、この映画のミステリアスな後味がなくなってしまうので削除したのだろう。


そういう意味では、ジュリーはジョンと事故死したフランス人の母親の間に産まれた子供であり、親のいない寂しさのあまり、セックスに溺れる自暴自棄の生活をしていたという、シンプルな構造のストーリーになる。そして最初こそ対立していた2人だが、ジュリーが「フランクを殺す」という大きな犯罪を犯したため錯乱し、サラを「ママ」と呼んだことでサラとジュリーの間に親子関係が芽生え、ついにはジュリーの「母親の本」を使って共通の敵であるジョンに一矢報いたというストーリーなのだろう。もう一点、「ジュリア=ジュリー」という解釈も考えられるが、ジョンの会社ですれ違った時にジュリアはサラにまったく気付いていない。一緒に死体を埋めた間柄で、流石にあのリアクションはないだろう。さらに序盤シーンにおける、サラの「あなたも(フランスに)来る?」という質問と、ジョンの「娘がいるんだ。週末には行けると思う」という返答にも矛盾が出る。ロンドンでジョンは娘と一緒に暮らしているから、すぐには行けないという意味だろうからだ。


そうなると、ラストの「ジュリア」と「ジュリー」が交互に映し出されるシーンだけが、意味合いとして紛らわしいのだが、個人的にあれはサラの母性の現れという解釈をした。ジョンの娘である二人を均等に愛する母親という理想像を、サラが妄想しているのだ。だからこそのあの笑顔なのだと思う。壁にかかった十字架を外したはずが戻されていたり、これ見よがしに画面の目立つところに「卵型のオブジェ」が映ったりと、細かい謎の多い映画ではあるが、それこそフランソワ・オゾン監督が「イースターエッグ」のように作品の中に謎を隠しているという意味なのだろう。考察しながらの鑑賞が楽しい映画だった。8人の女たち」以外、まだまだフランソワ・オゾン監督の作品は未見のものが多いため、これから少しずつでも鑑賞していこうと思う。改めて「スイミング・プール」は素晴らしい作品であった。

 

 

7.5点(10点満点)

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