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映画「Pearl パール」ネタバレ考察&解説 ミア・ゴスの独壇場!前作とは全く違う路線だが、色々な伏線が楽しめる続編!

「Pearl パール」を観た。

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2022年に公開された、タイ・ウェスト監督によるホラー映画「X エックス」の続編であり、1970年代が舞台だった「X エックス」の60年前を描いた前日譚(プリクエル)。前作ではポルノ映画を作りに農場を訪れた若者たちを血祭りにあげていた、”史上最高齢の殺人鬼パール”だったが、本作では彼女の若き日に戻って真のシリアルキラーへ成長していく姿を描いている。出演は、前作で主人公マキシーンとパールの2役を演じたミア・ゴスが今作でも若きパールを務めている他、「2つの人生が教えてくれること」のデビッド・コレンスウェット、「ブラックシープ」のタンディ・ライト、「ザ・ストレンジャー 見知らぬ男」のマシュー・サンダーランド、新人のエマ・ジェンキンス=プーロなどが脇を固めている。さらに今作でミア・ゴスは脚本と製作総指揮にも名を連ねており、内容についてもかなり関与しているらしい。製作は前作に引き続き「A24」が手掛けている。今回もネタバレありで感想を書いていきたい。

 

監督:タイ・ウェスト
出演:ミア・ゴス、デビッド・コレンスウェット、タンディ・ライト、エマ・ジェンキンス=プーロ
日本公開:2023年

 

あらすじ

スクリーンの中で歌い踊る華やかなスターに憧れるパールは、厳格な母親と病気の父親と人里離れた農場で暮らしている。若くして結婚した夫は戦争へ出征中で、父親の世話と家畜たちの餌やりの毎日に鬱屈とした気持ちを抱えていた。ある日、父親の薬を買いにでかけた町で、母親に内緒で映画を見たパールは、ますます外の世界へのあこがれを強めていく。そして、母親から「お前は一生農場から出られない」といさめられたことをきっかけに、抑圧されてきた狂気が暴発する。

 

 

感想&解説

2022年に公開された前作「X エックス」は、ホラー映画としてはやや物足りない出来だったが、タイ・ウエストの過去名作へのオマージュと監督のやりたい事を詰め込んだ力作だったと思う。「若さと老い、生(性)と死」という相反する要素をテーマに、主人公マキシーンと老女パールという二人の女性キャラクターをミア・ゴスが一人二役で演じることにより、それらを対比しながら描いた面白い作品だった。本作は前作「X エックス」で、ポルノ映画を撮影しに農場を訪れた若者たちを血祭りにあげていた、”史上最高齢の殺人鬼”であるパールの若かりし日を描いた「前日譚(プリクエル)」であり、彼女がどのような環境でシリアルキラーになっていったのか?が描かれていく作品だ。前作でも登場した夫ハワードは、本作では戦争に行っているという設定でほとんど出演シーンはないが、ラストに少しだけ登場するので前作で活躍したサイコパス老夫婦の若き日の姿が、両方観られるわけだ。

舞台は1979年が舞台だった前作から、約60年前の1918年。テキサスの農場で体が不自由な父親と、キリスト教の敬虔な信者で厳格な母親との3人で暮らしているパールは、いつかこの生活を抜け出し、ダンサーとして映画スターになることを夢見ている。冒頭から鏡の前で着飾って、自分の世界に耽溺している彼女の姿に、往年の古き良きハリウッドミュージカル映画風なオープニングクレジットが重ねられ、まるでこれから夢のような世界が描かれるように本作は始まるのだが、ここにパールの母親が登場し、この夢の世界はいきなり消滅する。「バカな夢を見ず、父親と家畜の世話をしなさい。」と強く母親から叩き込まれているパールは、家畜の前でダンスを披露したりしながら、この閉鎖的な世界から早く抜け出したいと切望しているのだ。そして結婚したばかりの夫ハワードは、戦争に出兵しており不在という、精神的に逃げ場のない生活を送っている。そんな中、薬を買いに出た街の映画館で映写技師の男と出会うのだが、彼の存在と発言がパールが持っていた”自由への想い”に火をつけてしまうという展開になる。

 

この後に非常に特徴的なシーンがあるのだが、自転車で自宅への田舎道を帰る途中、トウモロコシ畑の中でカカシと出会う場面がある。これはヴィクター・フレミング監督のミュージカル「オズの魔法使い」における、ドロシーが最初に出会うキャラクターのイメージが重ねられているのだろう。彼は脳みそがなく知恵を欲するキャラクターなのだが、本作ではパールがこのカカシとダンスした後、熱烈なディープキスをした上に、馬なりになって腰を振りながら自慰をするという凄まじいシーンがある。これは明らかに直前に出会った映写技師の男をこのカカシに重ねているのだろうが、この性的に抑圧された女性の狂気というのは本シリーズの通底したテーマだ。そして、それはパールの母親からも脈々と受け継がれていることが示唆される。首元までキッチリと閉じた服を常に着ている母親はドイツ系であり、第一次世界大戦中、連合国側として母国ドイツと対立していたアメリカに住む彼女は、さぞかし肩身の狭い思いをしていただろう。さらにほとんど身体が動かせない夫の看病と生活苦によって、彼女は鬱屈とした生活を送っているのが分かる。これは前作において、セックスを望んでいるのに心臓が悪いと夫から断られ、悶々とした欲求を抱えていた老パールと裏表のキャラクターだ。

 

ここからネタバレになるが、そしてそれと同時にこの母は、この鬱屈し不安定な精神状態が自分の娘にも伝播していることに気付いているのである。実際にパールはいきなりガチョウを刺し殺し、沼にいるワニにその死骸を食べさせているし、そのワニには往年のスターでありセックスシンボルだった”セダ”という名前を付けて飼い慣らしている。さらにそのワニの卵を拾ってきては、自分を置いていった夫への憎悪を込めて素手で握りつぶしたりと、彼女はかなりの奇行を行っているのである。そんなパールと母親とぶつかる風雨の日の食卓シーン。母はパールに向かい「あなたが何をしているか知っている。私の良心にかけて、この農場から外の世界には出さない。」と告げ、もみ合いになった結果、母親の衣服に暖炉の火が燃え移り半死半生になってしまうのだが、ここからパールの暴力行為はますますエスカレートしていく。自分を縛り付けていた母親という足かせが遂に外れたパールは、自分の人生を勝ち取るための行動を開始するのである。ちなみに自分を捨てようとした映写技師を殺す方法は、前作でも男たちを殺していた「ピッチフォーク」であり、この刺殺はヒッチコックの「サイコ」と同じくセックスのメタファーなのだろう。口にピッチフォークを突き刺されるという手法も、性的な暗喩を感じる。

 

 

さらに母親がハワードの家族からプレゼントされるが、「施しは要らない」と拒否した豚肉が随所に映し出されるのだが、この豚がどんどんとウジが湧いて腐っていくのは、パールの内面を表現しているのだと思う。彼女にわずかに残っていた倫理観や良心すらも、最後には完全に朽ちてしまうのだ。終盤に父母の死体と共に食卓に並べられるのはこの豚肉であり、本作において特徴的なモチーフになっている。母親を殺し、父親を殺し、そして映写技師をも殺したパールは、義理の妹であるミッツィーと教会のダンスオーディションに参加する。そこで渾身のダンスを披露するのだが結果は「不合格」で、「私はスターなのに!」と泣き叫びながら、彼女は失意に暮れる。ここでの審査員の言葉が、「求めていた人材とは違う。私たちが求めていたのはアメリカ的なブロンドのXファクターだ」というものだが、これにより1作目で、老パールが女優のボビーをワニのいる沼に突き落とした後、「ブロンドは嫌いなのよ」というセリフの意味が分かるようになっている。

 

そして本作においてもっとも白眉のシーンは、オーディションに落ちて呆然とするパールを元気づけようと、私を夫のハワードだと思って思っていることをぶつけてみてというミッツィーに、パールが語り掛ける長回しの場面だろう。ちなみにここも前作「X エックス」において、机のレモネードを挟んで主人公マキシーンと老女パールが向き合うシーンがあったが、ここから廊下の写真を見ながらパールの過去について会話する流れに繋がる重要なシーンだった。そして本作でも、それが繰り返される構造になっている。家柄も完璧なハワードに好かれて嬉しかったこと、本当はここから連れ出して欲しかったのに、自分を置いて戦争に行ってしまい”死ねばいい”と思ったこと、他の男と浮気したこと、小動物から始まり、遂には父母をも殺してそれに快感を覚えたこと、自分は他の人とは違う悪い人間なのだということなどを彼女は語り、ついにはオーディションにも受かり、自分とは違い全てを持っているミッツィーを斧で追いかけて殺してしまう。そして「これからは持っているものを大切にするわ」と言い、彼女はこの農場で夫ハワードの帰りを待ち、ここで暮らしていくことを決意するのである。

 

前作の老女パールはマキシーンに対して、自分は昔ダンサーだったと語っていたが、本作「パール」では彼女がダンサーとして成功していた事実は一切描かれない。おそらく、ここから60年あまりこの農家にて殺人を繰り返して生きてきたのであろう。前作「X エックス」で沼に沈んでいたのは、フォルクス・ワーゲンタイプの車種だったので、この「パール」で描かれた映写技師と一緒に沈んだ車ではない。となると、まだ数多くの死体と車があの沼には沈んでいることが想像できるのである。(ワーゲンは地下室で裸で縛られていた男の車かもしれない)そして、エンドクレジットでの狂気に満ちた長回しの笑顔は、”ストップモーション”を意識しているのだと思われる。ラストでヒロインの幸せそうな笑顔の止め画の上にクレジットが出てくるという演出を、強引に長回しでやることにより、パールの笑顔が段々と崩れて涙が浮かんでくるという、恐ろしく奇妙でメタ的な場面になっている。そして本来ならクラシックで小粋な演出であるはずの、アイリスアウト(画面を丸くワイプして、それを閉じる手法)で、この映画は終わる。この映画のヒロインは間違いなくパールだったという宣言を皮肉を効かせて表現したような場面で、本当に忘れられないシーンだった。最近観た、「インディ・ジョーンズと運命のダイヤル」とは真逆の意図をもったアイリスアウト演出だろう。

 

とにかくミア・ゴスの俳優としての凄さが伝わる作品だ。彼女が演じるパールというキャラクターが持つ、悪の魅力が存分に発揮されているのと同時に、母親の死体に添い寝するシーンでは”誰かに愛されたかった”という寂しさも表現されていて、幅のあるキャラクターになっている。彼女を観ているだけで、十分に楽しめる作品だと思う。前作のラスト、マキシーンは老パールに銃を突きつけながら「私はアンタとは違う!私はスターよ!私らしくない人生は受け入れない」と凄むシーンがあったが、本作のパールを観ているとマキシーンの未来も決まっているように感じてしまう。彼女からも十分にサイコパスの資質を感じるからだ。三部作の最終作となる「MaXXXine(マキシーン)」では、1980年代のロサンゼルスで女優として成功したマキシーンの姿が描かれるらしい。恐らく最高に”クソったれのホラー映画”になっているのだろう。本作「Pearl パール」の出来がとても良かったので、次回作も本当に楽しみである。

 

 

7.5点(10点満点)