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映画「関心領域」ネタバレ考察&解説 ラストシーンの意味は?いつも泣いている赤ちゃんや、ルドルフの突然の吐き気の演出意図を考察!

映画「関心領域」を観た。

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記憶の棘」「アンダー・ザ・スキン 種の捕食」のジョナサン・グレイザー監督が、アウシュビッツ強制収容所の隣にある屋敷で営まれる、収容所の所長とその家族の日々を描いた作品。2023年第76回カンヌ国際映画祭コンペティション部門ではグランプリ、第96回アカデミー賞では作品賞、監督賞、脚色賞、国際長編映画賞、音響賞の5部門にノミネートされた結果、「国際長編映画賞」「音響賞」の2部門を受賞した。原案はイギリスの作家マーティン・エイミスの小説だ。出演は「ありがとう、トニ・エルドマン」やカンヌ国際映画祭パルムドールを受賞した「落下の解剖学」のサンドラ・ヒュラー、「白いリボン」「ヒトラー暗殺、13分の誤算」のクリスティアン・フリーデルなど。製作は「A24」。今回もネタバレありで感想を書いていきたい。

 

監督:ジョナサン・グレイザー
出演:サンドラ・ヒュラー、クリスティアン・フリーデル
日本公開:2024年

 

あらすじ

タイトルの「The Zone of Interest(関心領域)」は、第2次世界大戦中、ナチス親衛隊がポーランドオシフィエンチム郊外にあるアウシュビッツ強制収容所群を取り囲む40平方キロメートルの地域を表現するために使った言葉で、この映画の中では強制収容所と壁一枚隔てた屋敷に住む収容所の所長とその家族の暮らしを描いていく。

 

 

 

感想&解説

第96回アカデミー賞で作品賞、監督賞、脚色賞、国際長編映画賞、音響賞の5部門にノミネートされ、結果「国際長編映画賞」「音響賞」の2部門を受賞したことで、公開前から話題になっていた作品が遂に日本公開された。監督は「記憶の棘」「アンダー・ザ・スキン 種の捕食」のジョナサン・グレイザーで英国の監督だが、過去作はあまり印象にない。前作「アンダー・ザ・スキン 種の捕食」からは10年ぶりの新作なのだが、映画監督として大きくジャンプアップした一作だと言えるだろう。「関心領域」は作品コンセプトがハッキリしているが、過去にはあまりない着眼点によって作られており、そこが他とは違う”特別な作品”になっている。とても実験的な映画だろう。

冒頭から真っ暗な画面にタイトルに不穏な音響が重なり、それが3分ほど続く。このオープニングからも本作は耳からの情報が大事な映画だという事が示唆されているが、やっと画面が明るくなるとある家族がピクニックをしている様子が映る。だが不思議な事に、カメラは彼らの表情を切り取らない。彼らがどんな顔をしているのか?どんな感情なのか?といった情報を観客に与えず、徹底して俯瞰した固定カメラから、淡々とその様子を映し出していく。そして場面は変わり、彼らがある屋敷に住む裕福そうな一家であることが分かってくる。ここに住むのは夫婦と子供たち、そして複数の使用人だ。

 

とてもよく手入れされた広い庭には花々が咲き、子どもたちが遊べる屋外プールと夫婦が笑い合うベッドルーム。そして屋敷自体も流麗にデザインされた建築物で、それを補強するように不自然なくらいシンメトリーな構図で画面は構成される。だがその家族が暮らす屋敷のすぐ近くにある塀の向こうからは、絶え間なく銃声や苦痛に満ちた悲鳴が聞こえてくる。煙突からは白い煙が立ち上り、施設からは人を焼く炎が見える。そして妻はユダヤ人から奪った毛皮のコートを羽織り、その臭いを嗅ぎながら口紅を恐る恐る試す様子が描かれる。夫ルドルフはユダヤ人を”荷”と呼ぶ男から、いかに効率的に焼却炉で人間を焼くか?の説明を受けており、部下たちはこのルドルフを司令官としてリスペクトしている。このルドルフは自分が所属するナチスドイツに、忠実な男であることが描かれるのである。

 

 

 

この映画は、アウシュビッツ強制収容所の隣にある収容所の所長とその家族の暮らしを描いていく作品なのだが、作中ではまったくその塀の向こうで行われている残虐な行為を、徹底して”映像として”表現しない。さらに劇伴と呼ばれるBGMもなく、いわゆる編集による”映画的な演出”は中盤とラストの数カ所を除いてほとんどない。その代わり環境音が常に鳴り響き、この屋敷が置かれた状況の異常性が観客にハッキリと分かる仕掛けとなっているのだ。”映っていないもの”を音像によって観客に想像させる事で、恐怖を感じさせるというコンセプトなのである。そして禁欲的なくらいカメラは固定か横移動のパンショットが多く、まるで監視カメラでこの家族の生活を覗いているような気持ちになってくる。前述のようにバストアップの構図はほとんどなく、人物の全身を捉えた俯瞰ショットで構成されているので、彼らは表情が乏しく本当の感情が読めない。これは明らかに意図的だろう。

 

そしてシーンで起こっている状況についても過度な説明はされない。川で釣りをしている時に、ルドルフが何かを見つけたことによって、遊んでいた子供たちを風呂で洗うシーンがあったが、流れてきたのはユダヤ人の歯なのだろう。さらに部屋にユダヤ人の女性を呼んだあとに、ルドルフが廊下の先にある洗面所のようなところで自分の性器を洗うシーンも、彼が日常的に使用人の女性に性的搾取をしている事が表現されている。途中で妻ヘートヴィヒの母親が帰ってしまった場面も、あれほど屋敷を美しい場所だと称賛していたにも関わらず、やはり数日滞在することで、あの場所の異常性に気付き帰宅してしまったという事だろう。いつも泣き止まない赤ちゃんの存在によって、聞こえてくる銃声や叫び声がどれほど無垢な子供の精神を壊していくのか?という表現は見事だったし、ユダヤ人家政婦が隠したリンゴを奪い合いしたことによって、ユダヤ人が殺される音を聴いた弟が、「もう二度とするなよ」と呟くシーンや、温室ハウスに弟を閉じ込める兄の残忍そうな顔など、あの場所にいる者は子供でも精神が蝕まれていくのである。

 

ラストは、暗い螺旋状の階段をルドルフが下っていく途中で吐き気に襲われる場面となる。そして突然、現在のアウシュビッツにある博物館で女性たちが部屋の窓を拭いているシーンになったと思いきや、またルドルフがこちら(観客側)を見ているシーンになり、その後彼は暗い階段を降りてゆくというシーンで本作は幕を閉じる。これは文字通り、アウシュビッツにおける悲劇は過去に間違いなくあったことであり、あの時代のルドルフ達が行った行為の結果が現在にも脈々と繋がっていることを、”未来の”アウシュビッツ博物館への突然のジャンプカットによって表現しているのだと感じた。そしてあの突然の吐き気は、これから自分が行う大虐殺という”未来”を垣間見たことへの、生理的なリアクションなのだろう。彼はあの後また暗い階段を降りていき、多くのユダヤ人を殺すからだ。2014年に「アクト・オブ・キリング」というドキュメンタリー作品があり、「インドネシア共産党員狩り」と称した大虐殺を行った加害者が自分の過去の行動を振り返り、カメラの前で思わず”えずいてしまう”シーンがあったが、あのシーンを思い出す。彼が驚いたようにこちらを見ているあのシーンは、ルドルフもアウシュビッツ博物館という未来を”観客と一緒に観た”ことを表現しているのだと思う。

 

ルドルフは馬や犬を可愛がる男であり、妻ヘートヴィヒは自分たちの生活だけが大切な女だ。本作もプロットだけを見れば、突然の転勤を言い渡された会社員に単身赴任を勧める妻の話のように、規模の小さなストーリーだと言えるだろう。だがルドルフがナチスドイツの幹部であり、ヘートヴィヒはその妻という立場を謳歌しているという背景を背負うことで、これほど恐ろしい映像作品になるという意味では、改めて映画の可能性を広げる一作だったと思う。終盤におけるルドルフとヘートヴィヒの電話の様子を観る限り、彼らがユダヤ人の命に関心がないことは描かれていたが、本当に関心があったものとは何なのか?が分からない。ヘートヴィヒはルドルフの出世にも興味はなく、彼が戻ることも嬉しくなさそうだし、いつもルドルフの人生は孤独だ。ここは決してルドルフたちを幸せに描いてはいけないという、作り手の強い意志を感じる場面であった。中盤における花のクローズアップが赤く染まる演出の不気味さが、いつまでも頭の中から離れない。他に類を見ない実験的で孤高な一作だと思う。特に音響が大事な作品なので、映画館での鑑賞を強くオススメしたい。

 

 

 

8.0点(10点満点)