映画「マッドマックス:フュリオサ」を観た。
2015年に公開され、熱狂的なファンを生んだ「マッドマックス 怒りのデス・ロード」に登場した、女性キャラクター” フュリオサ”の若き日を描いたスピンオフ。1979年公開の第1作「マッドマックス」から数えて、シリーズ5作目の作品になっている。監督/脚本はシリーズの生みの親であるジョージ・ミラー。前作では「アトミック・ブロンド」「プロメテウス」などのシャーリーズ・セロンがフュリオサを演じていたが、今回は「スプリット」「ラストナイト・イン・ソーホー」「デューン 砂の惑星 PART2」などで飛ぶ鳥を落とす勢いのアニャ・テイラー=ジョイが演じている。その他の出演としては「ソー ラブ&サンダー」「タイラー・レイク」シリーズなどのクリス・ヘムズワース、「生きる LIVING」のトム・バーク、「恋するプリテンダー」のチャーリー・フレイザー、「アラビアンナイト 三千年の願い」のラッキー・ヒュームなど。今回もネタバレありで感想を書いていきたい。
監督:ジョージ・ミラー
出演:アニャ・テイラー=ジョイ、クリス・ヘムズワース、トム・バーク、チャーリー・フレイザー、ラッキー・ヒューム
日本公開:2024年
あらすじ
世界の崩壊から45年。暴君ディメンタス将軍の率いるバイカー軍団の手に落ち、故郷や家族、すべてを奪われたフュリオサは、ディメンタス将軍と鉄壁の要塞を牛耳るイモータン・ジョーが土地の覇権を争う、狂気に満ちた世界と対峙することになる。狂ったものだけが生き残れる過酷な世界で、フュリオサは復讐のため、そして故郷に帰るため、人生を懸けて修羅の道を歩む。
感想&解説
2015年に公開され熱狂的なファンを生んだ、「マッドマックス 怒りのデス・ロード」から9年ぶりとなった待望のスピンオフが公開となった。主人公がマックスからフュリオサに変更になるということで、期待と不安が入り混じった気持ちで劇場に足を運んだが、結果ジョージ・ミラー監督の才能はまったく枯渇していない事が証明された、素晴らしい作品だったと思う。ただ「怒りのデス・ロード」における”行って帰ってくる物語”とも評された、あえてストーリーをシンプルにして、ひたすらアクションシークエンスのクオリティを研ぎ澄ました作りからは路線変更しており、前作ほどアクションだけに特化した映画ではない。フュリオサやイモータン・ジョーたちが住んでいる”世界観”を拡張し、深堀りしたような作品になっているのだ。そのため前作の常にハイテンションの作風を期待すると、やや肩透かしを食うかもしれない。ただ前作同様に、非常に芸術的で美しい作品だ。
本作は至るところに聖書のモチーフが散りばめられており、ジョージ・ミラー監督が神話として、”ストーリーを語る”ことに重点を置いた作品なのが伺える。本作はフュリオサが「緑の地」の中で”桃”をもぎ取るシーンから始まるが、この桃は本作において大事な要素となっており、楽園の中で果物をもぎ取った上でその場所から追われてしまう展開は、聖書におけるアダムとイヴの”知恵の実”を想像させる。またフュリオサの母メリーがディメンタスに捕まり磔されて拷問される場面は、キリストの磔を想起させるし、そもそもメリー(Mary)は”マリア”の変名だ。ディメンタスが乗る”3台連結バイク(ディメンタス・チャリオット)”は、帝政ローマの時代を描いたウィリアム・ワイラー監督「ベン・ハー」における馬の”戦車競技”を思い出させるが、「ベン・ハー」はイエス・キリストとベン・ハーの人生を交差させて描いた、宗教色の強い復讐劇であることも共通点を感じる。
更にここからネタバレになるが、ラストシーンにおけるディメンタスの股間から木が生えており、その木から桃が実って将来の希望となる女性たちに渡されるシーンは、ヒストリー・マンが観客に向かって語るまさに"神話"であり、実際に起こったことなのかは分からないという作りになっていたのも面白い。この映画で語られている物語自体が伝承であり、神話の”英雄叙事詩”なのである。これはジョージ・ミラーの前作「アラビアンナイト 三千年の願い」でも語られていたテーマだったし、「マッドマックス2」もフェラル・キッドというブーメラン使いの子供が年老いた頃、「マックス」という男について回想するところから始まる物語だったことを思い出させる。ガスタウンには、ギリシャ神話をモチーフにした「ヒュラスとニンフたち」という、美しいニンフたちがヒュラスをいう青年を水の中に引き込もうとしている絵画が登場していたが、この映画の中には至るところに語られるべき"物語"が溢れている。ジョージ・ミラーはこの「マッドマックス」シリーズを”サーガ”と打ち出し長大な叙事詩として、語っていくつもりなのだろう。
そしてもちろん過去の名作映画からの引用も多く感じさせる。まずディメンタスのマイク演説は、「マッドマックス」の世界観のオリジンである「マッドマックス2」におけるヒューマンガスを思い出させるし、フュリオサの腕が千切れる展開や「星と共にあれ」というセリフからは「スター・ウォーズ」、最初は純白だったディメンタスのマントが徐々に染まっていく展開は、砂漠を舞台にしたデヴィッド・リーン監督の「アラビアのロレンス」を強く想起させる。また犬が死体をくわえている場面があったが、あれは黒澤明の「用心棒」オマージュだろう。チャールトン・ヘストン主演の「ベン・ハー」は前述のとおりだし、また多くの西部劇からもインスパイアされていると思う。それらの要素を強烈で独自のビジュアルイメージで換骨奪胎し、ジョージ・ミラーらしい魅力的な世界観を作り上げているのだ。銃器や乗り物、建物や衣装に至るまで観るたびに発見がある、重層的な作品になっている。
そしてもちろんアクションシーンも素晴らしい。序盤のフュリオサの母メリーがバイカーを追いかけて射撃で追い詰めていくシーンからむやみにカットを割らず、そしてカメラを不用意に動かさない安定したショットだけで迫力のアクションシーンを構築しているのには驚かされる。そして最大の見どころは、中盤の15分にも亘る「ウォータンク」での爆走シーンだろう。縦横無尽にキャラクターが行き交い、至る所で爆発をクラッシュが繰り広げられるのだが、観ていて状況が混乱することはない。これは凄まじい編集の技術なのだと思う。ディメンタスのバイカーとイモータン・ジョーのウォー・ボーイズとの全面戦争である、「地の40日戦争」をオミットした構成なども見事だったと思うし、上映時間148分の間に情報がこれでもかと詰まっている。
エンドクレジットでは前作「怒りのデス・ロード」の場面が再現され、警備大隊長となったフュリオサがマックスと出会い、”緑の地”を目指す物語へ続いていくのはテンションが上がる。この映画を観た後は、すぐにでも「怒りのデス・ロード」をもう一度観たくなるのは間違いないだろう。彼女があれだけ「緑の地」を求めたのは本作を観れば理解できるし、消失していたことへの強い失望も頷ける。「怒りのデス・ロード」と「フュリオサ」の2本で、2015年からリブートされた「マッドマックス」シリーズが100%楽しめるように作られているのだ。個人的には前作と同等くらいに好きだった本作。一瞬インターセプターとマックスが登場し、傷ついたフュリオサを砦の地下に住む老女に預けたことによって、”マゴット(ウジ虫)療法”をしているシーンがあったが、あの世界で当然マックスは生きているのだ。できればまた大スクリーンでマックスの活躍が観たい。そろそろ80歳を迎えるジョージ・ミラー監督だが、なんとかこのサーガを完結してほしいものだ。
8.5点(10点満点)