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映画「真実の行方」ネタバレ感想&解説 ストーリーと役者の演技が融合した、ドンデン返し映画の代表作!

「真実の行方」を観た。

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今、90年代サスペンス映画にハマっている。最近、時間を忘れて没頭できるサスペンスが少ない気がするのだが、脚本の出来が良い作品の主戦場が、配信系ドラマに移ってしまったせいかもしれない。本作もいわゆる法廷サスペンスのジャンルなのだが、最後のドンデン返しが大きな魅力の作品だ。主演はリチャード・ギア。だが、そのリチャード・ギアを凌ぐ勢いで、助演のエドワード・ノートンの才気が迸っている。なんと本作がノートンのデビュー作にも関わらず、第69回アカデミー助演男優賞ノミネート、54回ゴールデングローブ最優秀助演男優賞を獲得している。その他は、「スリー・ビルボード」のフランシス・マクドーマンドも重要な役で出演しているのも見どころだろう。監督は「ブラックサイト」などのグレゴリー・ホブリット。今回もネタバレありなので厳重ご注意を。


監督: グレゴリー・ホブリット

出演:リチャード・ギアエドワード・ノートンフランシス・マクドーマンド

日本公開:1996年

 

あらすじ

シカゴのカトリック教会で大司教が惨殺され、大司教のもとで教会のミサの介添え役を行っている聖歌隊所属の19歳の青年アーロン(エドワード・ノートン)が容疑者として逮捕される。日頃からメディアで名を売り、金儲けのためならギャングの代理人も厭わない辣腕弁護士マーティン・ベイル(リチャード・ギア)は、世間の注目を集めるこの事件を聞き、アーロンの弁護を無償で買って出るが、これに対し検察当局は、こちらも辣腕女性検事として名を馳せているジャネット・ベナブル(ローラ・リニー)を担当検事に任命する。アーロンは血まみれで現場から逃走しており、ほぼ大司教殺しは彼の犯行であると思われたが、アーロンには殺害犯行時の記憶がなかった。そして大司教に拾われ聖歌隊員として住居と食べ物を与えられた恩があり、自分が殺すはずなどないと無実を訴える。そんな中、アーロンに二重人格障害の疑いが浮上する。

 

 

感想&解説

今回、公開当時から約24年ぶり二回目の鑑賞で、もちろんオチも知ったうえで観たわけだが、やはり抜群に面白い。本当によく出来たストーリーだと思う。本作「真実の行方」は、オチを知らないで観た方が確実に楽しめる作品なので、まだ観ていない方は今回の感想はこれ以上読まないことをお勧めする。サスペンスジャンルが好きな方なら、本作は観て後悔しないはずだ。ここから「アメリカン・ヒストリーX」や「ファイト・クラブ」、「25時」といった作品でスターになっていく、エドワード・ノートン出世作としても観る価値は高いだろう。


ストーリーの骨格としてはこういった感じだ。カトリック教会で大司教が殺されるが、容疑者はすぐに確保される。教会で大司教の手伝いをしていた、エドワード・ノートンが演じるアーロンという青年で、血まみれで逃走していたところを逮捕されたのだ。一見、人を殺すような男には見えないし、本人も大司教を尊敬していたと無罪を主張していたアーロン。彼を弁護するのは、リチャード・ギア演じる弁護士のマーティンだ。だが大司教には裏の顔があり、その立場を利用し、アーロンとその彼女とのセックスビデオの撮影を強要していた事が発覚する。さらに、アーロンは二重人格障害で「ロイ」というもう一人の凶暴な人格が備わっている事が分かってくる。最初、マーティンはアーロンの無実を信じていたが「ロイ」という存在が発覚した事で、ロイが殺したのだという確信を強め、苦悩する。なぜなら最初は「無罪」で進めていた弁護士側の主張を、二重人格という「心神喪失による過失」に、弁護方針を途中で変更が出来ないというルールがあるからだ。このままでは裁判に負け、アーロンは死刑となってしまう。


ここにマーティンの元恋人であるという設定の敏腕検事のジャネットや、精神科医モリー、検事局のショーネシーなどの登場人物が絡んでくるが、この映画はやはり、このアーロンという容疑者の青年と弁護士マーティンふたりの物語だと言っても良いと思う。物語の中盤でアーロンがロイに変貌し、マーティンを恫喝した時のマーティン演じるリチャード・ギアの泳いだ目が忘れられない。あれは演技ではなく、本当に身がすくんでしまっているのではないかと思うくらいに、エドワード・ノートンの狂気が伝わってくる名シーンだった。


また司教の死体にナイフで「B32.156」という文字が刻まれているのだが、このあたりの脚本も上手い。この数字は、司教が殺された教会の図書室B32の棚にある、ナサニエル・ホーソーン著「緋文字」の156ページを見ろという犯人からの暗号なのだが、そのページの文章にアンダーラインが発見される。「人は長い年月に亘って、内と外で二つの顔を使い分けていると、やがて混乱に陥り真の自分を見失う」という記述だが、これは展開上、大司教の裏の顔を暴露する為に死体に残した暗号だと思われていたのだが、映画が終わってみるとアーロン自身のことを指しているようにも取れるというダブル・ミーニングになっているのだ。最終的に、法廷にてジャネット検事により激しく罪を追求されたアーロンは豹変し、ロイの人格が覚醒。ジャネット検事の首を絞めつけるがそのまま取り押さえられて、裁判は終了する。判事はこの裁判を無効として、アーロンは病院に送られ、彼の無罪が確定する。

 

 


そして、それをマーティンが拘置所にいるアーロンに伝える、ここからラスト5分のシーンが、この作品をもっとも魅力的にしている場面だと言えるだろう。ここからネタバレになるが、アーロンは助けてくれたマーティンに感謝を伝え、それを受け止めたマーティンはその場を立ち去ろうとするが、その間際にアーロンが「検事に謝っておいてください。首をお大事にと」と放った一言で、マーティンは立ち止まり戦慄する。人格が入れ替わっている間は、表面化していない人格にその記憶は残っていないので、検事の首を絞めていたロイの記憶がアーロンに残っているはずがないのである。その事を指摘されたアーロンは表情を不敵に一変させ、真相を見破ったマーティンに対し、小馬鹿にしたような拍手と共に真実を語り出すのである。実はアーロンは二重人格などではなく、本当の人格としては暴力的なロイの方で、臆病なアーロンの振りは全て演技だったのだ。この時のエドワード・ノートンの表情といったらまさに邪悪そのもので、この男を無罪にしてしまったという取り返しのつかなさを、マーティンと共に観客は共有することになる。


この事実を知ったマーティンはよろよろと裁判所を出て立ち止まったかと思ったら、そのまま映画は終わる。このエンディングの切れ味も良い。もちろん後味の良いエンディングではないが、映画のクオリティが高い為に「うまく騙された」という感覚が強く、とても満足度が高いのだ。これはリチャード・ギアという主人公の配役も一役買っていると思う。リチャード・ギアの持つ「軽い感じ」とこのダークなエンディングは強いギャップとなっており、より騙されたマーティンの悲壮感が増しているのである。エドワード・ノートンが見せるアーロンとロイの「二つの顔を使い分ける」という迫真の演技のおかげで、ややアクロバティックな着地の割にはアンフェアな感じがまったく無いのも見事だ。「真実の行方」は素晴らしい脚本と役者の高いレベルの演技が融合した作品として、公開後24年経っているがいまだに記憶に残る映画になっていると思う。面白いサスペンス映画を探している方はぜひ。

採点:8.0.点(10点満点)