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映画「無名」ネタバレ考察&解説 あの格闘シーンは何だったのか??難解中国ノワールサスペンス!

映画「無名」を観た。

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2021年に日本公開された「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・上海」のチェン・アルが監督・脚本・編集を手がけた、中国ノワールサスペンス。出演は「恋する惑星」「インファナル・アフェア」「レッドクリフ」などで世界的に有名な香港俳優トニー・レオン、歌手/ダンサーなど様々な顔を持ちつつ、「ボーン・トゥ・フライ」でも評価されている中国の若手俳優ワン・イーボー、「チィファの手紙」のジョウ・シュン、そして中国で活躍する日本人俳優の森博之ら。中国映画界の最高賞である2023年の金鶏賞では「最優秀主演男優賞」「最優秀監督賞」「最優秀編集賞」を受賞した作品だ。第2次世界大戦下の上海を舞台に、中国国民党中国共産党のスパイたちの暗躍を描いた作品だったが、今回もネタバレありで感想を書いていきたい。

 

監督:チェン・アル
出演:トニー・レオン、ワン・イーボー、ジョウ・シュン、ホアン・レイ、森博之
日本公開:2024年

 

あらすじ

中国・汪兆銘政権の政治保衛部に所属するフーは、中国共産党の秘密工作員だった男ジャンの身辺調査を行う。フーは中国国民党に転向するというジャンから共産党幹部の情報を聞き出すことに成功する。1941年、上海に駐在する日本軍スパイのトップ・渡部は、政治保衛部の主任となったフーやその上司タンと日本料理店で戦局について話す。フーの部下として働くイエは、友人ワンとともに諜報活動に従事していた。

 

 

感想&解説

本作の登場人物には名前がなく、そこがタイトルの「無名」の由来らしいが、1941年の真珠湾攻撃後の上海を舞台にしたスパイサスペンスとして、かなり難解な作品だったと思う。監督のチェン・アルがクエンティン・タランティーノから影響を受けているらしく、映画の構造としてまず時系列がバラバラに描かれることと、「シーンごとで何が起こったのか?」が後から説明されるスタイルであるために、「このシーンでは一体なにが起こったのか?」が特に中盤までは把握しにくい。後からシーンの時系列を自分で入れ替えて、頭の中のパズルを組み立てるタイプの作品なのだ。英題名である「Hidden Blade(隠された刃)」というタイトルでさえ、鑑賞後にやっと意味を帯びてくるのだが、初見はかなり集中しながらの鑑賞が必要となるだろう。

また1930年代後半から40年代頭の中国上海が舞台なのだが、当時の日本軍と汪兆銘政権、中国国民党、さらにそれらに対抗する中国共産党の関係や、第2次世界大戦下における日本と中国の歴史的な背景をある程度頭に入れておかないと、登場人物のセリフの意味が汲み取れずに混乱する。しかも本作にはまったくと言って良いほどその辺りの説明はなく、どんどんと物語は進行していくのである。さらに本作は”スパイ映画”であるため登場人物たちのセリフには”裏”があり、腹の探り合いをするシーンも多い。特に度々挟まれる会食のシーンは重要だが、集中力が必要だ。また上海語と中国語と日本語が入り乱れ、各キャラクターはそれぞれの言葉で話しながらも意味が通じているという表現も併せて、複雑で多層的な構造を持った作品だと思う。(ちなみにワン・イーボーの日本語が、意外と上手だったことにも驚かされた)

 

中盤までの展開はおおよそ下記だ。中華民国汪兆銘政権の政治保衛部に所属するトニー・レオン演じるフーは、共産党の秘密工作員だった男ジャンと接触し、中国国民党に転向したいというジャンから中国共産党幹部の情報を聞き出すそうとする。また、フーは任務に失敗し処刑寸前だった国民党の女スパイの命を助けた代わりに、上海在住日本人の要人リストを入手する。その一方で、ワン・イーボー演じるフーの部下イエは、上海駐在日本軍スパイのトップの渡部とも通じているが、婚約者であるファンは中国共産党員であり、組織的に日本人を殺していた。そんな中で、ファンはイエの同僚であるワンに暴行され殺害されてしまう。

 

 

ここに日本軍側の描写が入り、1945年8月15日の終戦までとその後を描いていくのだが、この複雑な物語が最後まで鑑賞すると、ある程度ストンと腹落ちするような仕掛けになっており、そのカタルシスが本作の魅力だろう。ここからネタバレになるが、本作はいわゆるダブル/トリプルスパイものの系譜なのだろうが、ラスト20分には幾重かのドンデン返しが用意されており、最後の最後で真相が明かされるという作りになっている。明らかに二回目の鑑賞が楽しいタイプの作品で、結末を知りながら各シーンを再見したくなる映画だ。イエのネクタイの色によって時系列が操作されている事を表現していたりと、個人的には硬派で重厚なポリティカルスリラーという意味で、2011年のトーマス・アルフレッドソン監督「裏切りのサーカス」を思い出したが、複数回観てやっとストーリーの細部まで理解できる映画だと思う。

 

また本作でのもうひとつの重要な場面は、トニー・レオンとワン・イーボーによる終盤の格闘アクションシーンだ。ここまでが会話中心の静かなトーンの作品だった事もあり、このノースタントマンの壮絶なアクションシーンには驚かされた。良い意味で今までの静的な場面と対照的になっていて、確実に本作におけるハイライトだと思う。全体的に殴る、ぶつかる、倒れるといった非常にフィジカルな格闘シーンなのだが、年齢差のある二人が本気で殺し合い、殴り合っているような場面になっており素晴らしい。特にワン・イーボーはほとんど狂気を感じるくらいの表情をしており、彼の美しい顔がより観客に恐怖を生む効果を挙げている。廊下から落ちるシーンは、スタントマンではなくワイヤーアクションで本人自身が何度も撮影したらしい。

 

ただしラストまで鑑賞すると、このシーンでの格闘自体の意味がやや釈然としないのも事実だ。ラストシーンで彼らは同じ中国共産党の仲間であることが判明するので、二人だけの場面であれほど命の削り合いをする理由がないのである。順当に考えるとあの後、傷だらけのイエは渡部の信頼を得て、満洲における日本軍の配備図を見せてもらえる展開になるし、その前のトラックからフーに向けて銃を頭に突きつける仕草で挑発する場面は、明らかに隣にいる渡部を意識しての行動だろうから、やはり彼らの命懸けの芝居だったということなのだろう。結局、フーの妻も殺さずにコーヒーを陰ながら奢る場面もあり、フーとイエの関係は最初から盤石だった訳なのだが、ここは特に説明不足で分かりにくい。恐らくここだけは、あのアクションシーンありきで脚本を組み立てたのだろうと勘ぐってしまった。

 

そしてもう一点。本作は1940年代の上海の壮麗な街並みや小道具、ファッションなどをかなり詳細に再現しており、映像美が素晴らしい。ノワール映画として明と暗のコントラストと画面設計が美しく、劇場のスクリーンで見るべき映画だと思う。ただ劇伴はややあざといくらい大仰に鳴り響き、ややスマートさには欠けるが、本作において音楽くらいはこれ位分かりやすくても良いのかもしれない。同じくトニー・レオンが主演を務めた、アン・リー監督作「ラスト、コーション」もほぼ同時代の上海が舞台の作品で、特務機関の男性と女性スパイが描かれていたが、本作も戦争をテーマにしておりストーリーも難解なため、気楽に観られる作品ではないが、またブルーレイやオンデマンドで再見したくなる映画だった。

 

 

7.0点(10点満点)