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映画「猿の惑星 キングダム」ネタバレ考察&解説 ラストシーンは何を意味する?旧1作目である68年度版へのオマージュに溢れた、リブート第4作目!

映画「猿の惑星 キングダム」を観た。

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原作ピエール・ブールの映画化である68年「猿の惑星」をリブートした、ルパート・ワイアットマット・リーヴス監督による「創世記(ジェネシス)」「新世紀(ライジング)」「聖戦記(グレート・ウォー)」に続くシリーズ第4弾が7年ぶりに公開となった。今回の監督は「メイズ・ランナー」シリーズのウェス・ボール。出演は「フロッグ」「To Leslie トゥ・レスリー」のオーウェンティーグ、ドラマ「ウィッチャー」のフレイヤ・アーラン、「PMC ザ・バンカー」のケビン・デュランド、「ファーゴ」「ブギーナイツ」のウィリアム・H・メイシーなど。今回もネタバレありで感想を書いていきたい。

 

監督:ウェス・ボール
出演:オーウェンティーグ、フレイヤ・アーラン、ケビン・デュランド、ウィリアム・H・メイシー
日本公開:2024年

 

あらすじ

「聖戦記(グレート・ウォー)」のラストから300年後の地球。荒廃した世界で人類は退化し、高い知能と言語を得た猿たちが地球の新たな支配者として巨大な帝国「キングダム」を築こうとしていた。若き猿ノアは年老いたオランウータンから、猿と人間の共存についての昔話を聞かされる。ある日、ノアは人間の女性と出会う。その女性は野生動物のような人間たちの中で誰よりも賢いとされ、猿たちから狙われていた。彼女と一緒に行動することになったノアは、本当の人間を知るうちに、キングダムに違和感を抱き始める。

 

 

感想&解説

フランクリン・J・シャフナー監督による1968年の「猿の惑星」から、1973年の「最後の猿の惑星」までの初期5作品、”リ・イマジネーション”と呼ばれたティム・バートン監督による作り直しが1作品、そして名リブートシリーズだった2011年「創世記(ジェネシス)」、2014年「新世紀(ライジング)」、2017年「聖戦記(グレート・ウォー)」という”シーザー3部作”を経て、「猿の惑星」10作品目がこの「猿の惑星 キングダム」だ。本作はルパート・ワイアットマット・リーヴスによるリブート三部作からの続きなので、リブート4作品目に位置する。よって少なくても前3作だけは観てから、本作を鑑賞することをオススメする。前作からのキャラクターやストーリーなど直接的には絡まないが、このシリーズのアイコンである”シーザー”についての言及が多いので、彼が何者なのか?を知っておいたほうが確実に楽しめるからだ。また後述するが68年度版からの引用も多いので、旧1作目は観ておいても良いかもしれない。

とにかくリブート3作品は本当に名作なので、観ておいて絶対に損はないと思う。猿に対して横暴な仕打ちをする人間と、高い知能を持った子猿のシーザーが徐々に成長していき人間に反旗を翻す様子を描いた「創世記(ジェネシス)」、仲間の猿と共に人類との共存か、それとも闘争かの決断を描いた「新世紀(ライジング)」、人類への愛情を感じているシーザーがそれでも人類との戦いに巻き込まれていき、人間も変異ウィルスによって言語能力を失っていく様子を描いた「聖戦記(グレート・ウォー)」の3部作は、一貫して人類と猿という種族を越えた共存と対立を描いており、現実社会へのメタファーに溢れているからだ。

 

そもそも68年度版「猿の惑星」も、「人間=白人」「猿=黄色人種(アジア人)」の白人至上主義だった人種差別のメタファーで、フランス人の原作者ピエール・ブール第二次世界大戦のときの日本軍の捕虜になった体験から、「猿の惑星」を描いたのだが、リブートシリーズでシーザーが体験する人間からの暴力や差別からの解放は、人間が猿に支配される初代「猿の惑星」のアンサー(反転)的な内容で、映画的な快感とメッセージが両立したシリーズとなっていた。「聖戦記(グレート・ウォー)」のラストが綺麗に終わっており、そのまま68年「猿の惑星」に繋がるかと思っていたが、さらに続編の公開となった訳である。

 

 

そして本作「キングダム」の冒頭はシーザーが死んで焼かれているシーンから始まり、その後300年経ったという設定のため、前作のキャラクターはまったく登場しない。ただ死後300年経っていてもシーザーのカリスマ性と影響は残っており、独裁的な猿プロキシマス・シーザーが”シーザー”の名を騙って暴力で支配している世界が描かれる。特に前半は完全に”猿だけの惑星”になっているのが新鮮だ。さらに本作は主人公ノアによる正統派の成長譚になっており、クオリティの高いアクション映画としても楽しめる。冒頭では幼馴染のノア、アナヤ、スーナの3匹のチンパンジーが翌日に控えた”絆の儀式”の為に、ワシの卵を探しているシーンから幕を開けるが、この崖のシーンからアクションの構図が分かりやすくて巧い。複雑なアクションシーンでも”今、何が起こっているのか?”が明確なのだ。またノアの村が仮面を付けた軍団に襲われた後、さらわれた仲間を探すべく、序盤では”エコー”が出るということで立ち入れないとされているトンネルを通過するが、家族に守られていた幼少時代には通れなかった、この暗いトンネルを通るという”通過儀礼”を通じて、このノアという主人公の成長が描かれていく。

 

この後、オランウータンのラカと人間の女性であるノヴァと出会うことになるのだが、このオランウータン種のエイプは68年度版から一貫して、ザイアス博士やモーリスといった知性あるキャラクターの設定となっており、それは今回のラカというキャラにも引き継がれている。ここからネタバレになるが、ラカは中盤に河で流されてノアとはぐれてしまうが、エンドクレジットの最後で声が聞こえたので、もちろん次回作にも登場するのだろう。そしてノヴァとは、1968年版第1作目に主人公テイラーが出会う女性の名前であり、「聖戦記」で旅の途中に出会う口の利けない少女の名前だ。猿の惑星」シリーズにおいて、口の利けない人間の女性にはこのノヴァという名前が付けられるのだろうと思っていると、彼女が突然、流ちょうな英語で話しだし「メイ」だと名乗るシーンがあるが、シリーズのお約束をひっくり返してくる場面となっている。

 

そして実は本作、かなり68年度版へのオマージュシーンに溢れている。猿たちが馬に乗って網を使って多くの人間を追うシーンは、完全に68年度版1作目を意識した場面だったし、人間が言葉を話せることで猿たちが驚くという展開も同じだ。また68年度版では主人公テイラー達が岸壁の洞窟へ入り、人間文明の残骸を発見するシーンがあったが、そこで腹を押すと喋る人形を見つけ、猿は人間から進化したことを明示する場面があったが、本作「キングダム」でもノア達は貯蔵庫の中で人形を発見する場面がある。あの人間の文化を封じ込めた海辺の「貯蔵庫」は、68年度版における「禁断の地」と同じ意味合いの場所だ。その貯蔵庫でメイはハードディスクを入手し、終盤の場面では人工衛星システムが動き出し、通信衛星によって遠隔地の人間と通話が出来るようになる。当然これは宇宙に人工衛星があることを示唆しているのだろう。そしてノアが天文台の望遠鏡から宇宙の星を見上げるシーンで本作は終わるのだが、これは人類があらためて”技術と文明”を取り戻したことを意味している。これからは遠隔の人間同士が、コミュニケーションできることが明示されたわけだ。また望遠鏡のシーンは、ノアが宇宙に旅立つことを想像させるので、もしかしたら旧シリーズのようにタイムスリップ設定が復活する可能性すらあり、SF映画としてワクワクさせられるエンディングだった。

 

父親から受け継いだワシとの連携を使って、プロキシマス・シーザーを倒すという展開も熱いし、メイがウィリアム・H・メイシー演じるトレヴェイサンを殺すシーンを入れることで、68年度版から引き継がれている”人間同士は殺し合う生き物なのだ”というメッセージが入っていたりと、正統派の「猿の惑星」続編として満足感の高い一作であることは間違いない。ただしかなり手堅く作られた”真面目”な映画という印象で、もしかしたらやや凡庸な印象を受ける方もいるかもしれない。構造としては意外とド直球のジュブナイル冒険映画だからだ。ただ次回作は間違いなくあると思うし、映画館で観る価値があるのは間違いないだろう。ウェス・ボール監督は実写版「ゼルダの伝説」を手掛けるそうだが、本作を観るかぎりピッタリの人選だと思う。広大なファンタジーの世界観とアクションシークエンスを描くことに長けた監督だと思うからだ。本作に続く続編も楽しみに待ちたいと思う。

 

 

7.0点(10点満点)