映画「ありふれた教室」を観た。
トルコ系ドイツ人の新鋭監督イルケル・チャタクの長編4作目。ある中学校で発生した小さな事件が予想もつかない方向へと進み、校内の秩序が崩壊していく様を、ひとりの新任教師の目を通して描いたサスペンススリラー。主演は映画「ペルシャン・レッスン 戦場の教室」や、ミヒャエル・ハネケ監督の「白いリボン」にも出演していたレオニー・ベネシュ。ドイツのアカデミー賞にあたるドイツ映画賞で作品賞はじめ5部門を受賞。第96回アカデミー賞でも「国際長編映画賞」にノミネートされた作品だ。今回もネタバレありで感想を書いていきたい。
監督:イルケル・チャタク
出演:レオニー・ベネシュ、レオナルト・シュテットニッシュ、エーファ・レーバウ、ミヒャエル・クラマー
日本公開:2024年
あらすじ
仕事熱心で正義感の強い若手教師のカーラは、新たに赴任した中学校で1年生のクラスを受け持ち、同僚や生徒の信頼を得ていく。ある時、校内で盗難事件が相次ぎ、カーラの教え子が犯人として疑われる。校長らの強引な調査に反発したカーラは、独自に犯人捜しを開始。ひそかに職員室の様子を撮影した映像に、ある人物が盗みを働く瞬間が収められていた。しかし、盗難事件をめぐるカーラや学校側の対応は、やがて保護者の批判や生徒の反発、同僚教師との対立といった事態を招いてしまう。後戻りのできないカーラは、次第に孤立無援の窮地に追い込まれていく。
感想&解説
ドイツ映画に新たなスリラーの傑作が生まれたと思う。上映時間の99分、異常なほどの緊張感とテンションで物語は進んでいく。校内で盗難事件が多発する中学校が舞台で、ノートPCにカメラを設置することで犯人を突き止めようとした女性教師が、その容疑者に取った行動によって教師/生徒/保護者のそれぞれの関係値の中で追い込まれてゆくという物語で、学校という非常に小さな舞台でありながら、そこに含まれた映画的な娯楽性とメッセージは奥深い。タイトルの「ありふれた教室」も示唆的ではあるが、確かに本作の中でスリラー映画としての派手で”特別なこと”は起こらない。殺人や謎解きといった要素は皆無で、カバンからお金が盗まれるという盗難事件が発生するだけだ。それなのに最後まで全くスクリーンから目が離せないのである。
映画冒頭、会議室に呼び出されたふたりの生徒に教師が質問を試みており、校内で続いている盗難事件の犯人捜しをしている様子が描かれる。「最近様子が変な生徒はいないか?」という問いに対し「話したくない」と言う男子生徒に、男性教師は学生リストに指を差せと尋問まがいの手段を取って、彼らを問い詰める。さらに校長は授業中の教室に乱入し、生徒の財布の中身を確認するという抜き打ち検査を決行する。そこで大きな現金を持っていた生徒を特定し両親を呼んで話をした結果、生徒は無実であることが分かる。その後、主人公カーラは財布を入れた上着を椅子にかけ、ノートPCのカメラで犯人を盗撮しようとし、星柄のブラウスを着た女性を限定したことから物語は大きく動いていく。ここまでが序盤の展開だ。
“不寛容方式”を掲げると校長は発言しているが、これはいかに事情があろうともルール違反した場合は厳密に処分を行う方式のことであり、この方式のせいで生徒たちは財布の中身までチェックされ、過去ドイツに存在した”秘密警察機関”のように密告(チクリ)を強制される。そしてそんな学校の方向性に疑問を抱いているのが、主人公のカーラだ。本作では基本的に彼女の言動を追いかけるような構成になっているのだが、カーラは常に孤独だ。学校内における彼女しか描かれないので、家族構成や恋人の有無などの情報はないのだが、非常に正義感の強いフラットな性格の女性であることは解る。例え犯人であるという強い証拠があっても、お金を返せば大事にはしないとチャンスを与え、どんなに生徒たちに反抗的な態度を取られても、カーラはその時々で最善を尽くそうとする。それでも周囲は彼女に不寛容で、カーラを追い込んでいくのである。
ここからネタバレになるが、本作は”正しい事が勝たない社会”を描いた作品だ。この学校という舞台は社会の縮図であり、さまざまな人種の生徒が存在するクラスは現在の移民を受け入れてきたドイツ社会であり、この世界そのものだ。本作の重要なキャラクターは事務員のクーンという女性とその息子であり、カーラの受け持つクラスの中でも優秀な生徒であるオスカーだが、オスカーは母親の無実を信じており、カーラに対して謝罪を要求した上で「断るなら後悔するよ」と脅迫めいた態度を取ってくる。結果的にオスカーはカーラに暴力を振るい、盗撮したPCを川に投げ込むという暴挙に出てしまうのだが、それも悪意ある学級新聞によって、母親が盗難事件の容疑者だと校内に知れ渡ってしまったことにより、彼の孤独とフラストレーションが爆発したからだ。
カーラが教える数学の授業で「0.999...は1と同じか?」という問題に対して、最初の女の子の答えは”主張”で、オスカーが分数を使って答えた解は”証明”であり、「証明で大事なのは1つ1つ導き出していくことだ」と説明するシーンがあるが、本作でクーンの盗難を追い込んでしまったカーラの行動は、”主張”に留まっており”証明”ではなかった。その場で感じた怒りの感情に流されてしまい、結果を焦り過ぎたのだろう。”星柄のブラウス”であるという一点の”主張”によってのみクーンを糾弾したことによって、クーンは罪を認めず、彼女はどんどんと追い込まれていくからだ。もちろん本作において、クーン以外が犯人であるという可能性は極めて低いだろう。だがそれを”証明”できないまま、強硬手段に出てしまった校長と彼女の対応によって、オスカー少年の心は深く傷ついてしまいカーラも心に痛手を負う。そしてオスカーは停学処分を言い渡されたにも関わらず、登校し無言の抗議を行うという展開になる。
カーラが数学が得意なオスカーにルービックキューブを貸し、問題を解くための手順である”アルゴリズム”について説明するシーンがあるが、その場面で彼はまったく揃えられない。だがラストシーンではいとも簡単に全面の色を揃えて、無言でカーラにルービックキューブを見せつける。それに対して諦めたように小さく微笑むカーラ。これはオスカーが、この事態を解くための”アルゴリズム”と”真理”を理解しているのだと解釈した。そして無人の学校構内のインサートカットがあり、警察官に椅子ごと連行されるオスカーというラストカットによって本作は幕を閉じる。そして彼の顔は満足そうに笑顔をたたえており、その様子はまるで家臣を従えた王様のようだ。彼は自分の信じる道を邁進し、学校や同級生らが押し付けてくるルールに迎合しなかったという事だろう。監督はこのラストシーンにおいて、ハーマン・メルヴィルが発表した短編小説「バートルビー」からの影響を認めているが、この「バートルビー」とは法律事務所に就職した主人公の青年が、起こる全ての物事に対して「できればしたくない」と突っぱねた上に最後は死に至る物語だ。しかも主人公バートルビーの心理などはまったく説明されないので、これまで様々な考察を呼んだ作品なのだが、監督はオスカーとこのバートルビーの行動を重ねているらしい。そしてこれは教師カーラにとっては、ある意味で敗北を意味する。心を通わそうと最後まで努力した生徒を警察に引き渡したことで、彼女の行動は最後まで許されなかったことを意味する強烈なラストシーンであった。
限定的な空間での作劇でありながらも、映画的な演出と役者たちの演技によって恐ろしく濃密な映画体験だった本作。特に子役の演出が上手く、イルケル・チャタクという監督の過去作品は日本未公開作だったらしく今まで未見だったが、素晴らしい才能だと感じた。カーラが生徒たちに行う、6人で跳び箱の上に乗る方法を考えさせるシーンや、皆で大声を上げるシーンなど教育者としての行動も興味深かったし、鑑賞後は色々と議論を交わしたくなる作品だと思う。そしてなによりメッセージ性が強い上に、展開が気になるという娯楽性まで担保されていて、個人的に年間ベスト10入りは確実な作品であった。有名な役者が出ている訳でもないし、地味目な作品であることは間違いないが高いクオリティと映画的な快感に溢れた、強くオススメできる一本だ。
9.0点(10点満点)