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映画「LAMB ラム」ネタバレ考察&解説 あの謎のラストカットを完全解説!そもそも何故「羊」なのか?ギリシャ神話にヒントあり!

「LAMB ラム」を観た。

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「ローグ・ワン スター・ウォーズ・ストーリー」などの特殊効果や、「オブリビオン」のアイスランド撮影時などにハリウッド作品にも参加していた、アイスランドのクリエイター、コバルディミール・ヨハンソンの長編監督デビュー作。主演は「ミレニアム」シリーズや「プロメテウス」、「マヤの秘密」などのノオミ・ラパス。ラパスは製作総指揮も務めている。脚本は「ダンサー・イン・ザ・ダーク」の劇中歌でラース・フォン・トリアー監督と共作した、やはりアイスランド出身のショーン。あの「A24」が北米での配給権を獲得したことでも話題になり、アメリカではアイスランド映画史上最高のオープニングを記録したらしい。第74回カンヌ国際映画祭の「ある視点部門」を受賞した、ネイチャースリラーだ。今回もネタバレありで感想を書いていきたい。


監督:バルディミール・ヨハンソン

出演:ノオミ・ラパス、ヒナミル・スナイル・グブズナソン、ビョルン・フリーヌル・ハラルドソン、イングバール・E・シーグルズソン

日本公開:2022年

 

あらすじ

山間に住む羊飼いの夫婦イングヴァルとマリアが羊の出産に立ち会うと、明らかに羊ではない何かが産まれてくる。最愛の子どもを亡くしていた2人は、その何かに「アダ」と名付け育てることにする。アダとの生活は幸せな時間だったが、やがてイングヴァルの弟であるペートゥルが夫婦の元を訪れ、時間が経つにつれて、少しずつ彼ら夫婦の幸福は壊れていく。

 

 

感想&解説

賛否両論の作品だが、こういう斬新な映画は全面的に支持したい。今までに観た事がない映像が観れただけで、”映画”としての価値は存在すると思う。この作品は、小説では絶対に成り立たないからだ。それだけ映像としてのインパクトがある。ネタバレせずに語るのは不可能な映画だと思うので、本ブログではいつものように完全ネタバレで進めていきたい。主人公の名前がマリアで羊がモチーフとなれば、キリスト教の影響が色濃い寓話的なストーリーかと思いきや、実はギリシャ神話がモチーフというミスリードで観客を混乱させてくるし、淡々としていながらも目が離せないストーリー構成でとにかく面白い。鑑賞前はホラー映画かと思っていたが、正直怖さはまったくない。不条理ファミリードラマであり、スリラーでありながらも若干のコメディ風味も付加されていて、とにかく不可思議なバランスの作品だ。ただ一番大きな謎であるラストの”あの存在”について、劇中ではまったく説明されないので、ノレない方がいるのは十分に理解できる。


メインの登場人物はアイスランドの深い山間に住んでいる羊飼いの夫婦イングヴァルとマリア、そしてイングヴァルの弟ペートゥルとアダという、ほとんど3名+1匹(?)とかなり限定的だ。序盤で「時間旅行は出来るらしい」と夫イングヴァルが語り出す場面がある。夫は「未来は知りたくない。今が幸せだから。」と言うのに対して、妻マリアは「過去にも戻れるの?」と答えることにより、彼女には過去に対して何か後悔があることが描かれるのだが、これは中盤にマリアが墓参りをするシーンから、この夫婦は実娘を亡くしていることがわかる。このように本作は、一見解釈の難しい場面があっても、その後にその理由が語られ説明されるという構成上の傾向がある為、不条理ではあるが、いわゆる難解な作品ではない。羊がある窓に執着していてもそれには理由があるし、トラクターの中で夫イングヴァルが泣く場面も、その後の場面で彼の複雑な感情が理解できる。アダくんが”何か”を観た後に思わず自分の姿を鏡で観る場面も、ラストまで観ればその意味が分かるのである。そしてそれは最後の展開まで続き、アダが何故生まれたのか?の答え合わせは、ラストで"映像として"しっかりと語られる。


羊飼いの夫婦が妊娠した羊の出産に立ち会うと、その羊から奇怪な赤ん坊が生まれる。その姿は冒頭こそ隠されているのだが、マリアがその子を何故か家に連れて帰り「アダ」と名付けて大切に育てる姿が描かれると、その子は特別な存在であることが観客にも伝わる。そして遂にその姿が描かれると、大いに驚かされる。なんとアダは顔は羊なのだが、身体が人間という”半獣人”だったのだ。そしてここからマリアとイングヴァルが、亡くした娘の代わりにアダを溺愛していく様子が描かれていく。アダの実際の母親である羊が子供を取り返そうと抗議すると、マリアは「あっちへ行け!」と本気の怒号を上げ、遂にはその羊を無残にも撃ち殺してしまう。ここは本作の中で、もっとも恐ろしい人間のエゴが爆発する場面だろう。その後、イングヴァルの弟であるペートゥルが夫婦の元に転がり込んでくる。初めは人間ではないアダに対し、威嚇した上に銃口まで向けたにも関わらず、なぜか彼は突然アダを可愛がり出すのだが、これも身勝手な人間のエゴだと感じる。まるでペットのように、人間は気まぐれで生き物の命を左右するのである。

 

 


そしてラストの展開。ペートゥルをバスまで送ったマリアと、トラクターの修理に向かうイングヴァルとアダという二組に分かれた家族に突然の悲劇が襲う。夫イングヴァルが、アダと同じく羊の顔を持ちながら身体は大人の男という、”獣人”に銃殺されるのである。この存在が明らかになることにより、冒頭で描かれていた場面がやっと腑に落ちる。吹雪のクリスマスに羊小屋の羊たちが逃げ出そうとしていたことや、その中にいた一匹の羊がヨロヨロと倒れ込む場面、謎の主観カメラなどは全て、この獣人が雌羊を強姦しに小屋を訪れていたシーンだったわけだ。この獣人こそがアダの実の父親という事で、アダの出生の謎が解き明かされる。そしてこの獣人はギリシャ神話に登場する山羊の角を持つ、半人半獣の精霊であり怪物の「サテュロス」をモチーフにしていると思われる。サテュロスは「自然の豊穣の化身」として表現されており、踊りと音楽を愛す怪物だ。そういえばアダはペートゥルの叩くドラムを聴いていたり、マリアとダンスを踊ったりと音楽が好きそうだった。アダにはサテュロスの血が流れているのだろう。


その一方でサテュロスの名は、古代ギリシア語の「種をまく者」という意味もあり、”男性器の象徴”であり”欲情の塊”という説もある。確かにこの「LAMB ラム」という作品には、通低音のように”セックス”がモチーフとして描かれ続ける。マリアは義理の弟であるペートゥルから風呂を覗かれ、性的な誘いを終始受け続ける。彼の性欲の的となり、常に危険を感じているのだ。そんなマリアが猛々しい雄羊たちの夢を観るシーンがある。その雄羊の大きな角は、古代エジプトでは男性の生殖力を象徴しているらしいが、明らかにギラギラと目を光らせる羊たちには性的な暗喩を感じるし、後半ではマリアとイングヴァル夫婦の濃厚なセックスも描かれる。そしてこれら性的な場面と、サテュロスの存在を通じて、あの謎のラストカットの意味が解けるのだと思う。


獣人に夫イングヴァルを殺され、悲しみに暮れる妻マリア。そして自分の下半身を一瞬観て、天を仰ぐラストシーン。これは恐らく夫イングヴァルとのセックスにより、彼女が妊娠していることを表現しているのだと思う。最愛のアドは獣人に連れ去られてしまい、夫も失ったマリアだが、自分の子供を妊娠したことで他者の子供への執着から脱却したという、”解放”を表現していると感じた。あのラストシーンは娘を亡くたことから人間の欲望にまみれ、子供を取り上げた上に母羊を殺すという大きな罪を犯したマリアが、夫を殺されるという最悪の悲劇に襲われたことで罪を償い、新しい希望を得たという場面だと解釈したのだ。あの場面から彼女は新しい一歩を踏み出すのである。それ位の意味がないと、主演のノオミ・ラパスがバストトップまでさらして演じた、あのセックスシーンの意味が説明できない。本作は、アダという異質な"生命の誕生”をテーマに置いた作品のため、やはり性交渉は切り離せないモチーフだ。そして愛し合う夫婦がセックスを行うことで、新たな命を宿したのだというラストカットは、この作品に相応しいエンディングだと思う。「LAMB ラム」というタイトルは、快楽と欲情の怪物「サテュロス」を現わしており、本作は”性と誕生”の物語だったという事だ。このテーマなら「R15+」は納得である。


かなり静かな映画だと思うが、106分という上映時間の間まったく退屈しない。羊の出産シーンなど、恐らく本物の動物を撮影していると思うが、ハリウッドの作品では絶対観られない映像だと思うし、本作はとにかくアイスランドの絶景が素晴らしい。撮影は相当に大変だったと思うが、このロケーションの雄大さがあって初めて、このファンタジックな世界観も許容できるのだろう。本作が他の土地が舞台だったら、この魅力は半減していたと感じる。ただ、アダとの食卓シーンなど、まるでシュールコメディのような描き方だし、ラストのあの展開も唐突で、この作品自体の方向性が定義しにくいのが、本作がやや受け入れられにくい要因だと思う。正直、バルディミール・ヨハンソン監督の長編デビュー作は、相当に歪な映画だとは思うが、アイスランド産の荒々しい映像作品として、他にはない個性を感じさせる魅力的な作品だった。この監督の次回作も絶対に観たい。

 

 

7.5点(10点満点)