映画を観て音楽を聴いて、感想を書くブログ

エンタメ系会社員&バンドマンが綴る、映画と音楽のブログです。劇場公開されている新作映画を中心に綴っていこうと思います。

「ワイルド・スピード/スーパーコンボ」を観た(完全ネタバレ&解説アリ)

ワイルド・スピードスーパーコンボ」を観た。

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監督:デヴィッド・リーチ

出演:ドウェイン・ジョンソンジェイソン・ステイサムイドリス・エルバ

日本公開:2019年


シリーズ開始から18年、「ワイルド・スピード」初のスピンオフ作品にして9作目の「スーパーコンボ」が公開となった。シリーズではルーク・ホブスとデッカード・ショウという役名でレギュラー入りしている、ドウェイン・ジョンソンジェイソン・ステイサムが、今回ダブル主演を果たしている。監督は「アトミック・ブロンド」や「デッドプール2」で今や一躍名監督となったデヴィッド・リーチ。個人的には「ワイルド・スピード」の新作というより、デヴィッド・リーチ監督の最新作という期待で劇場に足を運んだ。今回もネタバレありで。

 

あらすじ

元MI6エージェントのデッカード・ショウ(ジェイソン・ステイサム)と元FBI特別捜査官ルーク・ホブス(ドウェイン・ジョンソン)は、政府から協力要請を受ける。内容はデッカードの妹で、肉体を改造したテロ組織のリーダー・ブリクストン(イドリス・エルバ)に襲われて行方不明になっているMI6エージェントのハッティ(ヴァネッサ・カービー)を保護するというものだった。ハッティが取り戻した人類の半分を死滅させるウイルス兵器の回収を最優先するため、二人は渋々タッグを組むことにする。

 

感想&解説

本作の原題は「Hobbs & Shaw」というだけあって、完全にルーク・ホブスとデッカード・ショウという二人のキャラクターにフォーカスした作品だ。シリーズの顔であるヴィン・ディーゼルミシェル・ロドリゲスも出てこない為、やはりワイルド・スピード感はかなり薄いと思う。特に今作、シナリオ的にはワイルド・スピードである必然性はゼロに近いので、過去にまったくシリーズを観たことがない人でもそれほど混乱なく、最後まで楽しめる。逆を返せば、シリーズのコアなファンには物足りないスピンオフ作品だと言えるだろう。


基本的にはお互いが反目しあっている設定の二人が、手を組みながら課題をクリアしていくという、古くは「リーサル・ウェポン」や「マイアミ・バイス」といった「バディもの」ジャンルの系譜だと思うが、全編アクションシーンだらけなので、それほど飽きずに楽しめる。このあたりは流石にデヴィッド・リーチ監督の面目躍如といった感じだが、正直そのアクションシーンも既視感が強いのは否めないだろう。過去の映画で観たことあるようなシーンの連続で、唯一の見せ場はラストのヘリと車の「述繋ぎアクション」くらいだろうか。だが、よく考えれば物理法則を無視した馬鹿馬鹿しいシーンの為、どうしてもVFXで処理している事がバレバレで興奮度は低い。


シナリオ的にも、いがみ合う二人が延々と繰り出すのはステレオタイプなコメディシーンの連続で、下ネタ多めだがそれほどの爆笑シーンもないし、いわゆるドラマパートも「家族の絆」をテーマに描き出そうとしているが、あくまでアクションシーンの添え物程度で淡白なものである。上映時間も136分もアクション映画にしては長めで、もう少しタイトに出来ただろうと思うシーンも多い。昨年「ミッション:インポッシブル/フォールアウト」という、稀代のアクション映画の傑作を観てしまった身には、ちょっとやそっとのアクションでは驚けなくなってしまったという意味で、トム・クルーズの罪は重いと感じる。


全米公開が2020年4月10日で、おそらく来年中には日本でも公開になるはずだったシリーズ9作目だが、撮影中にスタントマンが1人負傷したらしく制作が現在休止しているそうだ。ナンバリングタイトルだけに、いろいろな意味で万全を期した作品を期待したい。ちなみにデヴィッド・リーチ監督のデッドプール繋がりで、ライアン・レイノルズカメオ出演するシーンがあるのだが、そこは楽しいシーンになっているので、エンドクレジットまで席を立たない方がいい。「ワイルド・スピードスーパーコンボ」は、この夏に涼しい劇場で時間潰しに観る分には楽しい作品だが、デヴィッド・リーチ監督の歴代作品では、個人的には残念ながら最も期待ハズレの一作であった。

「天気の子」を観た(完全ネタバレ&解説アリ)

「天気の子」を観た。

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監督:新海誠

出演:醍醐虎汰朗、森七菜、本田翼、小栗旬

日本公開:2019年


2016年の「君の名は。」を日本映画史上に残る歴史的な大ヒットに導いた、新海誠の待望の新作が遂に公開となった。声の出演は、醍醐虎汰朗と森七菜という新鋭2人が主人公二人を担当し、本田翼や小栗旬といった人気タレントが脇を固める。「君の名は。」に続いて川村元気が企画・プロデュース、田中将賀がキャラクターデザイン、「RADWIMPS」が音楽を担当しており、「君の名は。」の鉄壁のスタッフ布陣で、再び勝負をかけるこの夏の超話題作である。今回もネタバレ全開だし、かなり辛辣な内容なので、ご注意を。

 

あらすじ

離島から家出し、東京にやって来た高校生の帆高。生活はすぐに困窮し、孤独な日々の果てにようやく手に入れたのは、怪しげなオカルト雑誌のライターの仕事だった。そんな彼の今後を示唆するかのように、連日東京は雨が振り続ける。ある日、帆高は都会の片隅で陽菜という少女に出会う。ある事情から小学生の弟と2人きりで暮らす彼女には、「祈る」ことで空を晴れにできる不思議な能力を持っていた。

 

感想&解説

過去の映画の中では、たびたび「特別な力」を持つキャラクターが登場する。彼らは超能力で人の考えている事が解ったり、怪力で岩の壁を壊せたり、目からビームが出せたりする。そして、そのキャラクターが時には孤独に、時にはチームを組んで、世界の滅亡をたくらむ悪の軍団と戦ったり、市井の人々の命を救ったりする。いわば「選ばれた人=The One」な訳である。この「天気の子」の主人公である陽菜も、そういった特別な力を持っているという設定だ。ただ、それは今までの映画のヒーロー/ヒロインのような攻撃的な能力ではなく、「天気を晴れに出来る力」であり、この設定がこの作品の肝だ。


本作の主人公は男子高校生の帆高と、小学生の弟と2人きりで暮らす陽菜だ。前半は東京に出てきた帆高が住むところも食べるものもなく、都会の中でなんとか生き抜こうとする。同じく、陽菜も母親を病気で亡くしており、利発な弟の面倒を見ながらもお金を稼ごうと必死だ。ちなみになぜ陽菜に父親がいないのか?は作中ではまったく描かれない。この二人が、陽菜の持つ「天気を必ず晴れにできる能力」を使って、お金を稼ぎだすところをコミカルに描き出すのが、映画の前半部分である。


まず、この前半部分からかなり性急で説明不足な印象を受ける。もちろん、帆高が拳銃を拾う唐突感に代表されるように、なぜ陽菜はあの能力を手に入れられたのか?「天気の巫女」とはどういう存在なのか?血筋が関係しているのか?それとも陽菜が突然変異なのか?帆高が東京に出てきた原因は?これほど苦労しても東京に固執する理由は?あの前半の怪奇現象の様な雨の描写はなぜ世間でもっと大事にならないのか?雨が降り続いているのは、どの範囲の話なのか?陽菜が晴れにできる範囲はどの程度なのか?これは単純に異常気象なのか?それとも何か邪悪な力が働いているのか?など、かなり特殊な設定がリアルな東京の描写と並行で描かれる為、頭の中は疑問符でいっぱいになる。ちなみにこれらの疑問には最後までほとんど説明がない。


そのうち、この能力を使い続けることによって陽菜の身体が消えてしまうという事が判明し、かつ、どうやらこの降り続く雨は東京だけで、陽菜が犠牲にならないと雨は止まないという「設定」であるらしい事がわかる。さらに、ガラの悪いスカウトマンに陽菜がホテルに連れ込まれそうになっている姿を見て、思わず助けにいった帆高が、拳銃を撃ってしまった為に、その後警察に追われるというサスペンスが同時並行で描かれる。ちなみにこの刑事たちがあまりに無能で、普通に街をフラフラしている高校生の足取りがまったく掴めないうえに、逮捕したうえに警察署に連れてきた少年に逃げられるというのも都合が良い展開だが、そこはいったん置いておこう。


シンプルに言えば、この二つの大きな問題をベースに、本作は帆高と陽菜の二人(+弟くん)が様々な現実と葛藤するストーリーなのだが、この葛藤が見ていてあまりに子供じみていて顔をしかめたくなる。親や学校が息苦しいという理由で当てもお金もないのに東京に逃げてくるわ、どうしても愛する人に会いたいから、都内の線路を走っちゃうわ、自分たちの生活に干渉してほしくないから警察からは逃亡しちゃうわ、「俺はもう一度、あの人に会いたいんだ」と恩人に銃を向けちゃうわ、そして周りの「理解ある大人」がそれをなんだかんだと手助けしちゃうわ、甘ったれた子供たちのお話には正直付き合いきれないのである。そして、もっとも本作で驚愕すべきは、あのラストの展開である。「もう二度と晴れなくたっていい。青空よりも俺は陽菜がいい。天気なんて狂ったままでいいんだ!」、終盤で帆高はこう叫び、陽菜は彼の手を取る。その結果、雨は3年間降り続き東京は水没してしまう。そして、そんな判断をした主人公に対して、東京に住むあるお婆さんがこういうセリフを言う。「東京のあの辺は、もともと海だったんだよ。だから結局は元に戻っただけさ」。これを聞いて、正直僕は耳を疑った。

 

問題は「東京が水没して、もともと海だった頃に戻った」事ではなく、「3年間雨が降り続いたせいで、今までようやく積み上げてきた東京が壊れて、そしてこれからも雨は止むことがないこと」だ。この事によって、今まで何人の人生が狂っただろう、そして何人の仕事が奪われて、これからもどれだけその犠牲者は増えるだろう。それを「元に戻っただけ」などというセリフで、どこまで彼らを甘やかすのかと思ったのだ。もちろん現実で運命的な出会いをした二人が、自分たちの恋愛を取って世間を捨てるという展開はあると思う。だが、今回の主人公は「選ばれた人=The One」なのである。その特別な人間が、映画の中で自己犠牲や人命救助をするから観客は感動しカタルシスを得て、自分も実生活で頑張ろうと思うのだ。それが「映画の力」だと思う。

 

特別な能力を持った人間が、自分たちの恋愛のために他人を犠牲にするストーリーを、わざわざ映画で見せられて何を感じろというのか。もし、こういうストーリー展開を選ぶのなら、トレードオフとして彼らは何か取り返しのつかない大事なものを失うべきだろう。それが映画のメッセージになり得るからだ。だが、この映画は二人が抱き合いながら、「陽菜さん、僕たちは大丈夫だ」というセリフでラストシーンを迎える。幾多の人間を犠牲にした上で成り立つ二人の将来に希望などないし、ましてや共感などしようがない。まさに開いた口が塞がらないとは、この事である。


日清カップヌードルやらどん兵衛サントリー伊右衛門やらプレミアムモルツCcレモンソフトバンクのyahoo知恵袋と、スポンサーの商品まみれのスクリーンを観ながら、これなら「君の名は。」の方がまだ良かったと心底思うあまりに残念な作品だった。「君の名は。」の瀧くん、三葉やソフトバンクのお父さん犬まで登場させて、うるさい位に「RADWIMPS」の曲がかかりまくるこの作品を、新海誠監督は本当に作りたかったのだろうか。素直にこの作品が放つメッセージが僕は好きになれない。

「ハッピー・デス・デイ/ハッピー・デス・デイ2U」を観た(ネタバレ無し&解説アリ)

「ハッピー・デス・デイ/ハッピー・デス・デイ2U」を観た。

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監督:クリストファー・ランドン

出演:ジェシカ・ローテ、イズラエル・ブルサード、ファイ・ヴ

日本公開:2019年

 

今回は「ハッピー・デス・デイ」と「ハッピー・デス・デイ2U」という、シリーズもの2本を続けて鑑賞した。まずかなり公開規模が小さく、限られた環境じゃないと観られない為、映画館で観るのはハードルが高いと思うが、本作はDVD化された時でも良いので絶対に観た方が良い作品だと思う。結論から言えばオススメである。特にこの「1」と「2」は、あまり時間を置かずに続けて観た方がいい。この二本は、劇中のセリフでも出てくるが、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の「1」と「2」の関係に近くて、完全にストーリーが繋がっている為、記憶が新しいうちに観た方が楽しめるからだ。監督はクリストファー・ランドン。過去「パラノーマル・アクティビティ」シリーズの脚本などを手掛けていたらしいが、今回は素晴らしい仕事をしたと思う。今回は、ストーリーが肝の作品なのでネタバレなしで感想だけを書きたい。

 

あらすじ

女子大生で遊んでばかりのツリーは、誕生日の朝も見知らぬ男のベッドで目を覚ます。慌しく日中のルーティンをこなした彼女は、夜になってパーティに繰り出す道すがら、マスク姿の殺人鬼に刺し殺されてしまう。しかし気がつくと、誕生日の朝に戻っており、再び見知らぬ男のベッドの中にいた。その後も同じ一日を何度も繰り返すツリーは、タイムループから抜け出すため、何度殺されても殺人鬼に立ち向かう事になる。

 

感想&解説

大仰な大作ではない、予算やキャストから見ればいわゆるB級作品だが、本当に面白い。まず、ホラー映画という紹介のされ方をしているが、これは語弊がある。マスクを被った殺人鬼に何度も殺されて、その度に同じ日の朝に目が覚めるというストーリーのため、観客は何度殺されても主人公は生きて目が覚めるのを分かっている。よって怖くなりようがないのだ。「1」は冒頭こそホラー的な演出もあるが、どちらかと言えば、このマスクの真犯人の正体をめぐるサスペンス映画というのが正しいだろう。90年代に「スクリーム」というホラーサスペンスシリーズがあったが、あれのかなりホラー色を抑えたイメージである。


「1」に関しては、何度殺されて行動を変えても結局、マスクの犯人に殺されてしまう為、遂に真犯人を探し出す行動に出る主人公ツリーと、その友人カーターの騒動を描く。何度も殺されながら、容疑者たちのアリバイを確認する流れは、まるでゲームのようだし、2014年トム・クルーズ主演「オール・ニード・イズ・キル」を思い出したりもした。ただ一番近いのは、この映画のラストでもカーターがセリフで言及していたが、1993年のビル・マーレー主演「恋はデジャ・ブ」である。


特に何度タイムループするうちに、最初は性悪のビッチだった主人公ツリーが、過去に母親を亡くしたトラウマや、それによる父親との確執を乗り越え、さらに友人の大切さなどに気付き、人間的に成長していくあたりなど、構造的にかなり近いだろう。本作の肝はまさにここにあり、犯人当てのサスペンス要素、何度も死ぬ事を題材にした事によるコメディ要素、そして主人公が葛藤を乗り越えて成長するドラマ要素がうまいバランスで配されており、観客の強い興味を持続させるのである。サスペンスとしてもミスリードあり、どんでん返しありと完成度も高く、伏線も回収しながらしっかりと最後まで楽しめる。更に「1」は上映時間96分とタイトな為、全く飽きる事なく最後まで持っていかれるのである。


そして「2」に関しては、なんとここにSFの要素が入ってくる。このタイムリープが何故起こったのか?という理由を、SF的な演出と「ある装置」で説明されるのだが、その理由や整合性などどうでも良くて、とにかく「バック・トゥ・ザ・フューチャー」的なタイムリープジャンルの娯楽性と、想像を超えたストーリー展開の為、興味が終わりまで途切れない。「2」に関しては、もはやホラー要素はほぼゼロに近い。ただ前述のように「1」で起こった事を「2」ではかなりひっくり返してくる展開になるので、「1」のシーンを頭に置いて観た方が確実に楽しめるだろう。この辺り、シリーズものとしても面白い。


主演のジェシカ・ローテは「ラ・ラ・ランド」の序盤で、主人公ミアの友人役として緑の服で踊っていた子で印象が薄いが、今作ではとても良い。「1」冒頭のビッチっぷりから、終盤の成長を遂げた後、それから「2」のコメディエンヌぷりまで、表情から演技までとても魅力的だ。もちろんすごい美人なのだがふとした可愛らしさもあり、これから他の作品でも目にする機会が増えるのではないだろうか。


ストーリーが魅力の作品の為、あまり深くは語れないのだが、素直にこれだけ時間を忘れて楽しめた作品は久しぶりな気がする。難しい事は何も考えずに、スクリーンで起こる出来事に笑って、泣いて、ドキドキできるという意味ではほぼ完璧な娯楽作品だろう。それだけにもっと公開規模を大きくして、いろいろな人に観て欲しいと心から思う。オープニングのユニバーサルピクチャーロゴから、遊び心に溢れたこの傑作、見逃すにはあまりに惜しい。

「トイ・ストーリー4」を観た(完全ネタバレ&解説アリ)

トイ・ストーリー4」を観た。

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監督:ジョシュ・クーリー

出演:トム・ハンクスティム・アレンキアヌ・リーブス、アニー・ポッツ

日本公開:2019年

 

言わずと知れたピクサーの大ヒットシリーズ「トイ・ストーリー」の9年ぶりの新作が、遂に公開となった。大傑作だった「トイ・ストーリー3」が見事なエンディングだっただけに、「4」を制作中と聞いた時は半信半疑だったが、本当に公開されてしまった訳である。監督は「インサイド・ヘッド」の共同脚本を担当していたジョシュ・クーリー。なんと長編は今回の「4」が初監督作との事で、制作総指揮のアンドリュー・スタントンも思い切った人選をしたと思う。まさにこの辺りがピクサーらしいし、この作品のテーマも関連していると思うが、さて感想としてはどうだったか。今回もネタバレありで。

 

あらすじ

ウッディたちの新しい持ち主となった女の子ボニーは、幼稚園の工作で作ったフォーキーを家に持ち帰る。ボニーの今一番のお気に入りであるフォーキーを仲間たちに快く紹介するウッディだったが、フォーキーは自分を「ゴミ」だと認識し、ゴミ箱に捨てられようとボニーのもとを逃げ出してしまう。フォーキーを連れ戻しに行ったウッディは、その帰り道に通りがかったアンティークショップで、かつての仲間であるボー・ピープのランプを発見する。一方、なかなか戻ってこないウッディとフォーキーを心配したバズたちも2人の捜索に乗り出していく。

 

感想&解説

正直、観終わった後の素直な感想は、「こりゃ思い切った事をしたなぁ、ピクサー」である。ネット上のレビューがかなり批判方向であるという事は、なんとなく知っていたが、それもそのはずだ。特に今までのトイ・ストーリーが好きなら好きであるほど、今作の展開は許せないと感じるだろう。特に評価が分かれるポイントは、もちろんラストである。


まず、今回のトイ・ストーリーは非常に辛い話だ。前作で成長したアンディからボニーの手に渡り、やっと再び子供に愛してもらえるはずだったウッディは、何故かボニーには遊んでもらえない。そればかりか、フォーキーなる先割れスプーンで作られたお手製おもちゃばかりを可愛がるボニーの為に、ウッディは四苦八苦しながらフォーキーを守る。自分はボニーに無視され続けているのにだ。本作は完全にウッディの自己犠牲の話なのである。またフォーキーは、自分をおもちゃではなくゴミだと認識しているので、すぐに自ら捨てられようと行動する。その度に二言目には「フォーキーが無い」とボニーは大騒ぎするのだ。この不条理な感じ、特に大人であれば、今まで一度や二度は経験があるのではないだろうか。


更に今作、「2」まで登場していた磁器の人形であるボー・ピープが、久しぶりに再登場する。あのおしとやかだった女性の人形である。ところが、今作のボー・ピープは、ずっと持ち主がおらず、アンティークショップから逃げてきたという設定の為、自らアクティブに行動する、以前からは考えられないくらいに活発なキャラクターに生まれ変わっている。ウッディにどんどん命令して、自ら指揮をとりながら、作戦を進行していく。まるで以前のウッディのようにだ。本作のウッディはあまりに自主性がなく、リーダーシップを発揮しない。ボー・ピープの後ろをひたすら追いかけるだけだ。この男女のキャラクターの役割の変化は、いかにもアメリカの会社であるピクサーが取り入れそうなテーマだが、これも従来のシリーズのファンには複雑な気持ちになるだろう。本作のウッディやバズは、映画終盤まで非常に弱くて頼り甲斐がないのだ。


そして問題のラストシーンである。今までのシリーズでは、「おもちゃは子供の側にいることが最高の幸せである」、「仲間たちとの友情は何よりも大事だ」という、二つのテーマを描き続けてきた。だが、本作のラストはその両方ともを否定する。ラストでウッディは、バズやジェシー達の仲間と離れてボニーの元には戻らず、ボー・ピープと共に、移動遊園地という新しい環境で生きるという選択をする。特定の持ち主の元に固執せずに生きる道だ。もちろんこれは「3」の最後で、ボニーの為を思って苦渋の決断でウッディを手放した、あの大好きだったアンディを裏切る行為だし、自ら過去のアイデンティティを否定する行動だろう。今までのシリーズで、あれだけ育んできたバズたちとの友情をないがしろにする行動でもあると思う。これを持って、「こんなのはトイ・ストーリーではない」と激怒している人が多いのも、十分に納得出来る。今までの、特に大傑作だった「3」を根本的に否定する作りだからだ。


だが、その一方で「今までの環境に固執しないで、新しい自分を選べばいい」という、作品からの非常に大人なメッセージのようにも感じる。もう、ウッディがボニーに愛される事はないだろう。またあの子供部屋に戻れば、彼はふたたび押入れの中で「選ばれない辛さ」を感じる日々となるのだ。それよりも、愛するボー・ピープと共に新しい人生を進むという選択をしたウッディに、僕は正直親指を立てたくなった。もちろんトイ・ストーリーシリーズとしては許されないストーリーだ。それは理解できる。だが、ウッディという「個人」の選択として、これは勇気ある行動だと感じたのだ。離婚や転職など、生きていれば様々な選択を迫られる事がある。その度に、人は「より良い人生」の為に、自分で進む道を選んでいく。そこには失うものやリスクもあるだろう。でも、そこで新しい人生を選ぶ事を誰も否定出来ないのだ。


ウッディは人ではなく、おもちゃだという意見もあるかもしれない。だが、あれだけ様々な人の為に自己犠牲を貫くウッディを観て、僕は彼をただのおもちゃだとは思えない。女の子に愛されたい人形ギャビー・ギャビーの為に、ボイスボックスを差し出すウッディには胸が締め付けられた。本作のラストカットは満月だ。「3」のラストカットが「1」のオープニングと循環する、「雲の壁紙」だった事を思うと、今作がもっとダークでシリアスなトーンであることが表現されている。あの美しい循環は本作によって決定的に壊れてしまったのだ。最後に聞く事になる、バズとウッディの二人による「無限の彼方にさぁ行くぞ」のセリフの抑えたニュアンスと共に、95年から第一作目が始まり、24年を経て成長したウッディが愛するパートナーと共に、新しい人生を選んだ姿は、同じ男として僕には頼もしく映ったのである。


さて、今までの文章から本作「4」は、暗くて辛い話かと思うだろうが、もちろん従来通り、笑えるコメディシーンも多い。特に今作のお気に入りキャラは、ダッキー&バニーという射的の景品ぬいぐるみコンビだ。もう、本作の笑いは全て彼らが持っていくと言って良いくらいである。劇場で何度も声をあげて笑ってしまった。おそらくコメディシーンは今までのシリーズで、一番出来が良いと思う。ただ、ちょっとシュール方向のギャグなので、やはり大人向けかもしれないが。


流石にこれ以上、トイ・ストーリーシリーズを続けるという愚挙を犯す事を、ピクサーはしないだろう。いや、そうあって欲しい。全てを捨てて、新しい生き方を選んだウッディの今後を描くのは、それこそ蛇足だからだ。長編初監督作がトイ・ストーリーの最新作という、ジョシュ・クーリーの人選といい、ウッディのラストでの選択といい、誰もが注目する「トイ・ストーリー」の続編という大作で見せた今回のピクサーの挑戦に、僕は素直にエールを送りたい。この「トイ・ストーリー4」は誰もが笑顔になれる、従来のシリーズ作品の様なハッピーエンドではない。仲間たちとの安穏とした、暖かくてピースフルなトイ・ストーリーではない。ウッディは成長し、自分の人生を選択して外の世界に飛び出していった。劇中、ボー・ピープはウッディに「世界はこんなに広いのよ」と言う。さて、この映画を観た自分はウッディの様に、いつか新しい世界に飛び出せるだろうか。

「ゴールデン・リバー」を観た(完全ネタバレ&解説アリ)

「ゴールデン・リバー」を観た。(完全ネタバレ&解説アリ)

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監督:ジャック・オーディアール

出演:ジョン・C・ライリーホアキン・フェニックスジェイク・ギレンホールリズ・アーメッド

日本公開:2019年


2015年「ディーパンの闘い」のジャック・オーディアールが監督を務め、第75回ベネチア国際映画祭で銀獅子賞(最優秀監督賞)を受賞した作品。パトリック・デウィットの小説「シスターズ・ブラザーズ」を原作にしている。最初に予告を観た時から、豪華な役者陣だしサスペンス要素が強そうだったので、公開を楽しみにしていたが、実際に観終わると予告の印象とはかなり違う事に驚いた。東京の劇場は公開館数が少ない為か、年配の方を中心に超満員だったのだが、いわゆる「西部劇」を期待して観に来ていたのかもしれない。映画が終わった後の微妙な空気感が印象的だった。今回もネタバレありで。

 

あらすじ

ゴールドラッシュに沸く1851年アメリカ。最強と呼ばれる殺し屋兄弟の兄イーライと弟チャーリーは、政府からの内密の依頼を受けて、黄金を探す化学式を発見したという化学者を追うことになる。政府との連絡係を務める男とともに化学者を追う兄弟だったが、ともに黄金に魅せられた男たちは、成り行きから手を組むことに。しかし、本来は組むはずのなかった4人が行動をともにしたことから、それぞれの思惑が交錯し、疑惑や友情などさまざまな感情が入り乱れていく。

 

感想&解説

監督のジャック・オーディアールはフランス人なのだが、フランス出身の監督がアメリカが舞台の西部劇を撮るとこうなるのか、と変な感心をしてしまう。とにかく西部劇の「お約束」を外しまくって作られた作品で、予告編やポスターを観て感じた「金を巡って、4人の男たちがお互いを騙し合ったり殺し合うサスペンス西部劇」だと思っていると、実は全く違う作風の映画で驚かされた。予告編に見事に騙された訳だ。本作は、実はもっと牧歌的なロードムービーであり、サスペンスの要素などは微塵もない、ストーリーも意外性はあるが割とシンプルなヒューマンドラマであった。


シスターズ兄弟という変わった名前の殺し屋兄弟(ジョン・C・ライリー&ホアキン・フェニックス)が、一帯を仕切る提督の命令により、黄金を河から見つけられる「予言者の薬」の化学式を発見したという化学者ウォーム(リズ・アーメッド)を追っている。提督の連絡係であるモリス(ジェイク・ギレンホール)は先に科学者ウォームと接触していたが、ウォームの「暴力のない理想郷を作る」という思想に魅力されて、ウォームと二人で金を見つけて逃げる事を選ぶ。という訳で、ストーリーとしては二組の追うコンビと追われるコンビの逃走劇になる。


ただそれもつかの間で、モリスとウォームが提督からの別の追っ手から襲撃を受け、それをシスターズ兄弟が助けたことと、父親へのトラウマという共通点により、4人の間には友情が芽生える。そして4人で黄金を探すために河を塞き止める作業を開始する。遂に河に薬品を入れて、川底の黄金が光り出すとそれを必死に集める4人。だがその薬品は劇薬で、長い時間は河に入っていられず、たまに水で薬品を洗い流しながら作業を進めなければならないのだが、欲に目が眩んだホアキン・フェニックス演じる弟が、もっと金が見つかりやすくする為に、薬品を大量に河に入れてしまう。


その影響でウォームとモリスが死んでしまい、更に弟も大怪我をして腕を切断するハメになってしまうという状況に陥る。そんな時にも、裏切った兄弟を追いかけて、提督の追っ手は命を狙いにくる。なんとか彼らを撃退しながら、地元であるオレゴンに提督を殺しに戻るシスターズ兄弟だが、戻った時には提督はすでに寿命で死んでいた。そして兄弟は母親の元に帰り、そのまま幸せな時間を過ごして、映画は終わる。


実はこのタイトルになっている「ゴールデン・リバー」についての描写はほとんどなく、この邦題には予告編に続いて違和感が残る。この作品は、99%「シスターズ兄弟」について語った映画で、やはり原題の「THE SISTERS BROTHERS」の方がしっくりくるだろう。それにしても、変なバランスの作品である。重要人物だと思っていた、ジェイク・ギレンホールはあっさりと死んでしまうし、映画の大半はこの兄弟たちの痴話喧嘩と友情をこれでもかとコッテリ描く。その中で、ジョン・C・ライリー演じる兄が特にコメディリリーフとして良い味を出しているし、傷ついた愛馬を看病する姿など魅力的に描かれている。いわば一番ルックス的には華がないが、ほとんどジョン・C・ライリーが主人公の作品だと言って差し支えないだろう。


映画のラストシーンは、兄弟が母親の元に帰る場面だ。弟は風呂に入り、兄はベッドに横になっているシーンで、突如「THE SISTERS BROTHERS」とタイトルが表示されて、映画は終わる。弟が強い憎悪から父親を殺した事が劇中で語られるが、この余りに唐突なシーンは、今まで数えきれない程の罪を犯した彼ら兄弟は母親への胎内回帰を願っているのだと感じた。この辺りのセンスもフランス人監督っぽい。とにかく、西部劇ならではの決闘シーンや派手なアクションシーンはほとんどなく、意図的にカタルシスを遠ざけた作風の為に、退屈だと感じる人も少なくないだろう。ただ、観終わった後の余韻は悪くない。ジョン・C・ライリーの台詞や演技も良かったし、もう一度観るともっと好きになる気がする、かなり独特な作品だった。