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映画「プラットフォーム」ネタバレ感想&解説 謎の多いラストシーンも独特の解釈で解説!

「プラットフォーム」を観た。

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第52回シッチェス・カタロニア国際映画祭で最優秀作品賞など4部門を受賞した、スペインの新鋭ガルダー・ガステル=ウルティアが監督したスリラー作品。出演者は「オール・アバウト・マイ・マザー」のアントニア・サン・フアン以外は日本ではほぼ無名だし、監督のガルダー・ガステル=ウルティアの過去作も有名な作品はないが、本作は驚くほど意欲的で面白い作品だった。都内でも上映館は少なくレーティングも「R15+」なのだが、見逃すには惜しい作品だ。今回もネタバレありで感想を書きたい。


監督:ガルダー・ガステル=ウルティア

出演:イバン・マサゲ、アントニア・サン・フアン、ソリオン・エギレオル

日本公開:2021年

 

あらすじ

ゴレンは目が覚めると「48階層」にいた。そこは遥か下まで伸びる塔のような建物で、上下の階層は部屋の中央にある穴でつながっており、上の階層から「プラットフォーム」と呼ばれる巨大な台座に乗せられて食事が運ばれてくる。食事は上にいる人々の残飯だが、ここにはそれしか食べ物はない。各階層には2人の人間がおり、ゴレンは同じ階層にいた老人トリマカシから、1カ月ごとに階層が入れ替わること、そして食事を摂れるのはプラットフォームが自分の階層にある間だけ、というルールを聞かされる。1カ月後、ゴレンが目を覚ますと、そこは以前より遥か下の「171階層」で、しかも彼はベッドに縛り付けられ身動きが取れなくなっていた。

 

パンフレット

販売なし。

 

感想&解説

作品中で”ある特別なルールや設定”が設けられていて、そのルールに則ってストーリーが進んでいくタイプの映画があるが、本作もそれに当たる。いわゆるシチュエーションスリラーというジャンルで、有名な作品としては1997年「CUBE」あたりだろう。この「プラットフォーム」も、部屋の中央の床と天井に”四角い穴”が空いているコンクリートに囲まれた部屋で、突然ゴレンという男が目覚めるところから始まる。このなんの説明もなく作品内に、突然放り出される感覚もやはり「CUBE」にそっくりだ。だが本作が描くテーマはただのエンターテイメントの枠を越えて、かなり深遠に広がっていく。

ゴレンが覗くと、その四角い穴は下の階へと無限に続いているように見え、コンクリートの壁には「48」の文字がある。穴を挟んだ向かい側にはベッドがあり初老の男性が座っているのだが、突然、部屋にある照明の色が変わったかと思うと、天井の穴から石造りの巨大な食卓”プラットフォーム”が降りてくる。その食卓の上は大量の食事が食い散らかされて残飯だらけだが、初老の男は構わずそれらにむしゃぶりつく。その様子を呆然と見守るゴレンだったが、男は「この階はラッキーだ」と告げる。初老の男トリマカシによると、どうやらここは48階という事であり、上の階から順番に食料が降りてくる仕組みなので、下に行くほど食料は残っていないという事らしい。各階には2名ずつの人間がいて、食卓が部屋に留まるのは一定時間のみ。さらに飲食が出来るのはその時間だけで、もしこっそり手元に食料をストックした場合は部屋の温度が急上昇、もしくは急降下して死に至る。そして一か月に一回、滞在する階層がランダムに入れ替わり、ある一定期間を生き延びれれば外に出られるというルールが、トリマカシから説明される。


この施設が全部で何階あるのかは解らないし、各人が手元に持ち込めるのは一つのアイテムのみ。ちなみに主人公ゴレンは「ドン・キホーテ」の小説を持ち込んでいたが、トリマカシは「サムライ・ソード」というナイフを持ち込んでいた。二人はそのまま毎日残飯を食べながらも穏便に過ごすが、遂にゴレンにとって初めての一か月が経過し、彼は突然ガスによって眠らされる。そして再び目を覚ますとゴレンはベットに縛り付けられて身動きができない状態で、近くにいた老人トリマカシに「良くない階だ」と告げられる。なんと、そこには「171」とあった。171階層ではもう上から降りてくる食料が残っている事は期待できない為、トリマカシによってゴレンは、少しずつ刻まれ食べられる為に縛られていたのである。


ここから映画は、非常に残酷で陰惨な展開を迎える。それは単純にグロ描写があるという意味ではない(もちろん、それもあるにはあるが)。この階層の上にいる人たちから順に、厚い恩恵が得られる構造というのは、もちろんこの”実社会”の象徴だ。上の層にいる時は悠々と食事を楽しめるが、下の層に落ちたら最後、文字通り「他人の肉」を喰ってでも生きる羽目になる。下層のために上層の人間がセーブしながら少しずつ食べれば、皆に食料は行き渡るのだが、運よく上層に当たった人間はここぞとばかり、分配を考えずに食い散らかしてしまう。そして、この状況下で「ドン・キホーテ」の小説を持ち込む主人公ゴレンはいわゆるリベラルの象徴で、「ドンキ・ホーテ・デ・ラ・マンチャ」と同じく理想主義者なのだと示される。


トリマカシによって切り刻まれる寸前、この建物のどこかにいる子供を探しているという女性ミハルに命を助けられたゴレンは、トリマカシの死体から肉を食べる事で生き永られる。そして、遂にカニバリズムという一線を越えることで徐々に狂気に陥っていくのだ。本作のルールで特徴的なのは、このランダムで階が振り分けられるという点だろう。これにより、一度下層を経験してしまった人間は、運よく上層階に上がった際に、その一時的な特権をフルに行使してしまう。下層階の強烈な体験を活かすのではなく、自分の利益を優先してしまうのだ。これこそ、世界中の政治家や官僚や富裕層が行っている「既得権益」の構図だ。本作はあえてこの象徴的な”ルール”を繰り返し描く事で、「連帯」や「協調」を生まない格差社会と残酷な人間の本質を映し出す。劇中で、どうしても食料を取り分けて下層にシェアしようとしない一階層下の男たちに対し、「食卓をクソだらけにして送ってやるぞ」と脅すシーンがあるが、結局これが彼らを動かす一番効果のある言葉であることは、あまりに風刺が効いている。


ここからネタバレになるが、映画終盤、目覚めたゴレンは第6層にいることを知り、ここからならロープを使って抜け出せると意気込むバハラットという黒人と出会う。だが第5層の人間に裏切られる事で脱出に失敗した彼に、ゴレンはある提案を持ちかける。自らの意志でこの6階というメリットを捨て、一番下の層までこの”プラットフォーム”で食料を届ける事で、この施設の管理者たちに「まだ人間の尊厳は残っている」というメッセージを示そうというのである。そうして二人は傷だらけになりながら、そして少しずつ食料を奪われながらも、遂に最下層へと辿り着く。最下層の数字は「333」。各階には二名ずついるので、この施設には666人の人間がいたことが、この時点で判明する。「オーメン」における少年ダミアンのアザ「666」からも、これは悪魔の数字だ。333階に着くと、二人は子供が隠れているのを見つける。そしてゴレンとバハラットは唯一残った最後の食料であり、体制側へのメッセージの”パンナコッタ”を、その子供に与えるという選択をする。その後、この子供の生存こそが管理者へのメッセージだと告げバハラットは息絶え、ゴレンも上に戻す為に子供を”プラットフォーム”に乗せる。そして、自分が食べた初老の男トリマカシの幻と共に闇の中に消えていく。そして、高速で上昇するプラットフォームの上で横たわる子供のショットで、この映画は終わるのだ。


この最下層の展開こそが、本作でもっとも謎の多い部分だろう。それまでのルールや整合性を越えて、いきなり子供を登場させるという展開になる為だ。劇中でわざわざ、「16歳以下はこの施設には入れない」という説明があるにも関わらずである。そして、この子はなぜか外傷もなく全く衰弱してもいない。アジア人的な特徴からミハルの探していた子供なのだろうが、もしあの子が実在するミハルの子供だとするなら、かなり長い間この施設の中にいるはずだし、あれだけプラットフォームに乗ってずっと探していたミハルと、今まで全く遭遇しなかったのは納得しづらい。よって、どうしてもあの子供は現実の存在ではなく、傷を負い出血多量で瀕死のゴレンの見ている幻なのでは?という疑念が浮かぶ。

 

ミハルの子供は、実はもうこの施設に入る前に死んでいたのだが、施設内の環境で狂ってしまったミハルはずっと我が子を探し続けていた。だが、その途中で命を落としてしまうミハルの姿を見たゴレンは、命の恩人であるミハルの子供をなんとか探してあげたいという気持ちに駆られ、自らも瀕死の状態ながら最後にあの幻想を見たのではないか。彼のあの行動は、この理不尽な現実社会に対してのキリスト的な自己犠牲と希望の象徴であり、子供はゴレンによる管理者側へのメッセージと共に、監督からこの映画を観ている観客へのメッセージなのではないだろうかと解釈したのである。


この「垂直自己管理センター」という政府組織の施設がもつ目的も、厨房で働く0階層の人間たちの素性もいっさい明かされないままに終わる感じは、やはり「CUBE」を思い出させるが、本作「プラットフォーム」は、幾多あるエンターテイメントとしての”生き残り劇”や”脱出もの”とはまったく違うテーマを描こうとしている作品だと思う。「生きること=食べること」を中心に置いた作品なので、咀嚼音や排せつ行為など不愉快な表現も多いし、この”プラットフォーム”がどうやって動いているのか?、600人以上の人間をどうやって各階層に運搬しているのか?など、設定について細かいことをツッコミだすとキリがないのだが、ラストの解釈の幅の広さも含めて非常に楽しめる作品だった。海外ではNetflixで配信されているようなので、おそらく日本でも近い将来に配信されるのではないだろうか。アート性と深いテーマが融合した、これは名作だったと思う。ぜひもう一度観返したい。

採点:8.0点(10点満点)