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映画「レミニセンス」ネタバレ感想&解説 ノーランブランドに騙されるな!SF大作ではなく、ノワール映画として観るべき作品!

「レミニセンス」を観た。

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監督クリストファー・ノーランの弟であり脚本家のジョナサン・ノーランが製作を手がけ、彼の妻でテレビシリーズ「ウエストワールド」で名をあげたリサ・ジョイが長編初監督/脚本を務めた本作。出演は「グレイテスト・ショーマン」「プレステージ」のヒュー・ジャックマン「ライフ」「ドクター・スリープ」のレベッカ・ファーガソン、「クラッシュ」のタンディ・ニュートン、「ワイルド・スピードスーパーコンボ」のクリフ・カーティスら。予告編では「記憶に潜入せよ」「驚異の映像トリック」などのキャッチコピーで、期待を煽っていたが実際の作品はどうだったか?今回もネタバレありで感想を書きたい。


監督:リサ・ジョイ

出演:ヒュー・ジャックマンレベッカ・ファーガソンタンディ・ニュートン

日本公開:2021年

 

あらすじ

多くの都市が水没して水に覆われた世界。記憶に潜入し、その記憶を時空間映像として再現する「記憶潜入(レミニセンス)エージェント」のニックに、検察からある仕事が舞い込む。それは、瀕死の状態で発見された新興勢力のギャング組織の男の記憶に潜入し、組織の正体と目的をつかむというものだった。男の記憶から映し出された、事件の鍵を握るメイという名の女性を追うことになったニックは、次々とレミニセンスを繰り返していく。しかし、膨大な記憶と映像に翻弄され、やがて予測もしなかった陰謀に巻き込まれていく。

 

パンフレット

価格880円、表1表4込みで全32p構成。

変形縦型オールカラー。リサ・ジョイ監督やヒュー・ジャックマン他キャストインタビュー、映画ライターのよしひろまさみち氏、尾崎一男氏、稲垣貴俊氏によるコラムやプロダクションノートなどが掲載されている。

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感想&解説

予告編の「記憶に潜入せよ」「驚異の映像トリック」というキャッチコピーや、クリストファー・ノーラン監督の「ダークナイト」や「インターステラー」の脚本担当であり、ノーランの実弟というジョナサン・ノーランが携わったSF映画ということで、「インセプション」の続編みたいな作品なのか?とかなり期待値が上がっていた本作。映画宣伝側も「TENET/テネット」が日本では盛り上がったこともあり、この「ノーラン・ブランド」は確実に意識していただろう。予告だけを観れば「時間や記憶」というテーマも含めて、いかにもクリストファー・ノーランが作りそうな「SF超大作」に見える。ところが本作は、世界観こそ”水没した都市”や”記憶に潜入する装置”といったガジェットでSF感は演出しているが、実際は「世間から取り残された男」が「ファム・ファタール(運命の女)」の行方を追うという、古典的な「ノワール作品」なのだ。

よって映画全体として、観た事もない画期的な映像や二転三転するツイストに富んだ脚本、ハリウッド作品的なテンポの良いカットなどでグイグイと引っ張っていく作風ではなく、ただ過去に囚われた男が偏執的に”失った女性”の影をひたすら追っていくという内容のため、「娯楽映画」としては相当に物足りない。正直、この多くの都市が水没してしまった世界という魅力的な設定も、ストーリーやシークエンスとして特に有効に活用されている訳ではないし、ヒュー・ジャックマンが扱う記憶を再生する装置も、2002年「マイノリティ・リポート」の水に浮かんで未来を予知する”プリコグ”を想起させて、特にSFガジェットとしてのフレッシュさもない。”記憶のコントロール”をテーマにした作品としても、有名どころだけでも2004年「エターナル・サンシャイン」の記憶を消す装置や、1990年「トータル・リコール」における”火星旅行の記憶を売る”リコール社など、枚挙にいとまがない。要するにSF映画として、映像的にも設定的にも目新しさがないのである。


そういう意味では、やはり本作は「ノワール映画」として鑑賞するのが良いと思う。ロマン・ポランスキー監督「チャイナタウン」や、ローレンス・カスダン監督「白いドレスの女」、カーティス・ハンソン監督「L.A.コンフィデンシャル」、近作の変わり種だとデヴィッド・ロバート・ミッチェル監督「アンダー・ザ・シルバーレイク」、もっと昔の作品だと「郵便配達は二度ベルを鳴らす」や「深夜の告白」など、魅惑の女性の登場によって運命を狂わされる男を描く作品の系譜にあるからだ。ちなみにリサ・ジョイ監督は、僕は未見だが47年の「過去を逃れて」という作品と、アルフレッド・ヒッチコック監督の58年の名作「めまい」からの影響を明言している。「めまい」は”理想の女性”という幻想に囚われ続ける男と、それを利用した女の物語だったが、60年以上前の作品にも関わらず後世の映画史に残した影響は、改めてとてつもないと感じてしまう。


本作のストーリーとしてはこうだ。主人公は「記憶潜入(レミニセンス)エージェント」のニックで、助手のワッツと共に、依頼主から金をもらって彼らの”過去の大切な記憶”を見せるというビジネスをしていた。そんなある日、事務所にメイという美しい女性シンガーが現れ、大切な鍵を無くしたので記憶を探ってほしいと相談してくる。ニックは無事に鍵を見つけるが、メイが記憶の中で歌っている姿を見た事で強い興味を持ち、さらに彼女が事務所にイヤリングを忘れ、メイが歌っているクラブへ出かけたことで、二人は関係は急接近しついには愛し合うことになる。だがそんな日々も長くは続かず、メイはいきなりニックの前から前振れもなく忽然と姿を消してしまう。深く彼女を愛してしまっていたニックは、ワッツが心配するほどの執着で行方を探すもまったく手掛かりがない。


そんな時、記憶潜入エージェントとしてもスキルを持つニックに、検察から仕事が舞い込む。あるギャング組織の男が、瀕死の姿で発見された為、彼の記憶に潜入しギャング団のボスであるセイント・ジョーの行方を掴めという依頼だった。ニックが彼の記憶を映し出すと、なんとそこには、かつてセイント・ジョーの女として麻薬漬けになっているメイの姿があった。さらにメイは麻薬を盗み、セイント・ジョーから追われているらしい。それを知ったニックはメイの行方を追うために、セイント・ジョーのいるニューオリンズに向かう。だがセイント・ジョーはメイの行方を知らず、逆にニックは殺されそうになるが、そこに助手のワッツが現れ銃撃戦の末に助けられる。ここでメイへの糸が切れたように見えたが、ワッツの記憶からメイが「レミニセンスエージェント」の常連客であった、エルサという女性客の記憶を盗んだことが判明する。そして、このエルサの記憶を調べていくうちに、彼女の不倫の恋人がウォルターという悪徳地主であることが解ってくる。


メイの行方を追うためにエルサを調べ始めるニックだったが、実はエルサはすでに何者かに殺害されており、彼女の息子がメイによって連れ去られていたことが分かる。さらにセイント・ジョーの用心棒をしていた悪徳警官サイラスに襲われ、「もうメイの行方は追うな」と警告されるニック。大きな陰謀の影を感じたニックは、エルサの息子はウォルターの隠し子であると見当をつける。そしてウォルターが、サイラスを使ってエルサとその息子を殺そうとしていること、そこにメイが絡んでいる事にたどり着きサイラスの隠れ家を訪れる。サイラスとの格闘の末、彼を確保し記憶を探ることに成功するニック。ここからネタバレになるが、そこにはセイント・ジョーの麻薬を盗んだメイを脅してエルサと息子の行方を追うサイラスと、ニックの恋人になることで必要な情報を盗もうとするエルサの裏の顔が映っていた。メイがニックに近づいてきたのは、最初から全て計算だったのだ。


だが実際にニックを愛し始めてしまったメイは、サイラスを裏切りエルサの息子を匿い、自らの命を絶っていたことが判明する。怒りに燃えたニックは、サイラスを記憶装置に繋いだまま悪夢を見続けるように設定する。さらにウォルターの息子セバスチャンに会いに行ったニックは、彼こそがウォルターの遺産を独り占めするためにエルサとその息子を始末するよう仕向けた張本人だったことを見抜き、彼の罪を糾弾する。そして、助手ワッツの元を訪れ自らの身勝手な行動を謝罪し、ニックは記憶潜入の機械を自分でセットし、メイとの幸せな記憶に浸り続けるという選択をする。そして時は流れ、生き別れた家族と再会し年老いたワッツが、いまだ機械に繋がれ続けているニックのもとを訪れる。ニックはメイと抱き合いながら、「オルフェウス神話」をハッピーエンドだと語っていた。そして、この映画はエンドクレジットとなる。


ラストシーンで語られる「オルフェウス神話」は、セリーヌ・シアマ監督「燃ゆる女の肖像」でも大事なモチーフになっていたが、愛妻のエウリュディケを冥界から現世に連れ戻そうとしたオルフェウスが、禁じられていた「振り返る」という行動を取ってしまったばかりに黄泉の国に連れ戻されてしまうという話だ。だが「その話、最後はどうなるの?」と聞くメイに対して、ニックは「二人は無事に戻って、幸せに暮らしたんだ」と嘘を付く。もちろん、実際の世界ではメイはすでに死んでおり、ニックは機械に繋がれたままだ。当然、ここでいうオルフェウスとはニックを指し、愛妻エウリュディケとはメイの事だろう。だがオルフェウスは”振り返ってしまった”ことで妻を亡くしたが、ニックは記憶を”振り返ること”でメイと生き続けている。そして、現実ではない世界で生きることを彼は「幸せだ」だと感じているのである。それに対して、ワッツは”現実”を生きて幸せを掴んでいる。さらに彼女の孫はこれから”未来”を生きていくのだろう。このラストシーンの対比は、「本当に幸せなのはどっちだと思う?」という監督の哲学的な問いかけのようで面白い。答えは観客それぞれにあるだろう。マトリックス」における、青のカプセルか赤のカプセルのどちらを選ぶのか?と同じである。


正直、クリストファー・ノーラン過去作と比較されるべき作品ではないし、どちらかといえば本作が長編初監督/脚本のリサ・ジョイの持つ世界観が色濃く出た映画なのだと思う。予告編を観て派手な大作SFアクションを期待してしまうと大きく肩透かしを食うので、「ややSF風味のノワール作品」だと思って観るくらいが丁度良い気がする。それにしてはキャスト陣が豪華なので、そこがアンバランスな映画でもある。レベッカ・ファーガソンタンディ・ニュートンの主要女性陣はどちらもハマリ役だったが、ややヒュー・ジャックマンがミスキャストだったのかもしれない。ハリウッド大作感はでるのだが、彼のムキムキの身体による「楽天性」や「フィジカルな強さ」が滲み出てしまい、”去った女を必死で追う”という悲壮感をあまり感じないのだ。主演がジェイク・ギレンホールあたりだとまたイメージが変わったかもしれないが、映画というのは難しい。

6.0点(10点満点)