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映画「ライダーズ・オブ・ジャスティス」ネタバレ考察&解説 ラストの展開には疑問!ただしマッツの魅力が光る、ヨーロッパ映画らしい特別な一作!

「ライダーズ・オブ・ジャスティス」を観た。

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「アナザーラウンド」のマッツ・ミケルセンが主演を務め、列車事故で失った妻の復讐に燃える軍人の姿を描いた、かなりブラック寄りのアクションコメディ。監督は「アダムズ・アップル」「メン&チキン」など、マッツ・ミケルセンとは今作で5作目のタッグを組みながら、ハリウッドでも「ダークタワー」の脚本なども担当している、アナス・トーマス・イェンセン。本国デンマークでは大評価を得たマッツ・ミケルセン主演「アナザーラウンド」を超える「2020年NO.1のオープニング成績」を記録したほか、デンマークアカデミー賞である「ロバート賞」でも最多15ノミネートを果たし、主演女優賞、助演男優賞、作曲賞、視覚効果賞の4冠に輝いた作品だ。今回もネタバレありで感想を書いていきたい。


監督:アナス・トーマス・イェンセン

出演:マッツ・ミケルセン、ニコライ・リー・カース、アンドレア・ハイク・ガデベルグ、ニコラス・ブロ

日本公開:2022年

 

あらすじ

アフガニスタンでの任務に就いていた軍人のマークスは、妻が列車事故で亡くなったという報せを受け、悲しみに暮れる娘の元に帰国する。そんなマークスのもとに数学者のオットーが訪ねてくる。妻と同じ列車に乗っていたというオットーは、事故は「ライダーズ・オブ・ジャスティス」という犯罪組織が、殺人事件の重要証人を暗殺するために計画された事件だとマークスに告げる。怒りに震えるマークスは妻の無念を晴らすため、オットーらの協力を得て復讐に身を投じる。

 

 

感想&解説

今や”北欧の至宝”などと評される、マッツ・ミケルセン主演のデンマーク映画だ。昨年の秋にトマス・ビンターベア監督「アナザーラウンド」を観たばかりだし、ハリウッド作品でもトム・ホランドデイジー・リドリー主演の「カオス・ウォーキング」への出演、そして劇場予告では「ファンタスティック・ビーストとダンブルドアの秘密」の悪役姿が拝めたりと、マッツ・ミケルセンはいま世界でもっとも活躍しているデンマーク人俳優だと思う。そして本作「ライダーズ・オブ・ジャスティス」でのマッツは、坊主頭にヒゲというインパクトのあるルックスで、突然の”妻の死”により心を病んでしまった軍人”マークス”という男を演じているが、これが本気で怖い。ただ、自分でも感情のコントロールが出来ず、物事の解決方法が暴力しかないと思っている男の粗野っぷりと、マッツ・ミケルセンという俳優が本来持っている優し気な目の表情が合わさり、なんとも不思議なキャラクターになっている。

本作における魅力の大部分は、登場キャラクターたちの設定にあると思う。まず主人公のマークスは軍人で、突然巻き込まれた列車事故で妻が亡くなったのを機に、赴任地のアフガニスタンから帰国するが、同じ列車事故から生き残った実娘のマチルデとコミュニケーションが上手く取れない人物だ。軍隊では通用した「精神論/根性論」がまったく通じず、自らも妻を亡くした悲しみのやり場がないまま、無力感に苛まれている。また彼は無神論者で”神の存在”も信じていないし、マチルデにセラピーを勧められても頑なに断ってしまう。自分以外の誰かに頼ったり、心を開いたりが出来ない人物なのだという事が序盤から語られるのだ。娘マチルデのボーイフレンドをいきなり殴ってしまうシーンなどに顕著だが、怒りに支配されると相手の意見を聞くことが出来ないのである。そして当然、そんな父親のことが娘はまったく理解できないし、受け入れられない。そしてマチルデ自身も、自室の壁に「どうすれば列車事故に遭わず、母親は死なずに済んだのか?」という原因を、「自転車が盗まれなかったら」「車が故障しなかったら」など多くの付箋に書いて貼っているように、彼女も母の死によって苦悩している。


そんな父娘のもとに、オットーとレナートという2人の男が訪ねてくる。彼らは冴えない数学者であり、そのうちのオットーは事故のあった列車でたまたま妻に席を譲った男だ。そして彼は、そのことに後悔と責任を感じている。そんな彼らいわく、今回の列車事故は単純な事故ではなく、「ライダーズ・オブ・ジャスティス(ROJ)」というギャングによる計画的な犯行だとマークスに告げ、その理由としては、同じ列車に乗り合わせた乗客の中に、裁判で「ROJ」のボスに不都合な証言する予定だった証人がいたこと、事故が起こる直前に「買ったばかりのサンドイッチ」を捨てて下車した”不審な男”がいたことなどを挙げ、こんな確率は数学的にはあり得ないとマークスを説き伏せる。このように、かなり特徴的なキャラクター設定と行動を取る本作の登場人物たちは、娯楽映画のキャラクターとして相当に魅力的だ。


その後、レナートという凄腕ハッカーの「顔認証」プログラムを使い、その不審な男は”高い確率”で「ROJ」のボスの弟であり、しかも職業は電気技師であることを突き止める。そしてマークスらは「ボスの弟」の家に行ったことで言い争いになり、その男を殺してしまうのである。結果、「列車事故はROJの犯行だ」と結論づけた4人は復讐のために、「ライダーズ・オブ・ジャスティス」のボスを殺そうと計画を始める、というのが序盤の展開だ。そしてこの最初の殺人を皮切りに、マークスによる凄惨な殺人が行われる。弟を殺された「ROJ」組織のボスと、妻の復讐を誓ったマッツ・ミケルセンがガチンコで殺し合う展開なのである。本作の主人公マークスは、格闘でも銃撃戦でも異常なほどに高い殺人スキルを持っており、まるで「96時間」のリーアム・ニーソンや、「イコライザー」のデンゼル・ワシントンを思い出させる。

 


ただ実は本作の肝は、このアクションシーンではない。むしろ以外の数学者オットー、娘のマチルデ、クイーンのギタリスト”ブライアン・メイ”似のレナート、病んだ天才ハッカーエメンタール、救出した男娼のボダシュカらと平穏に会話しているシーンこそ、本作一番の白眉だ。彼らは全員、心に傷を抱えているうえに世間から必要とされていない”孤独な人間”たちだ。だからこそ、そんな世の中に一矢報いる為、マークスの元に集まりギャングのボスを殺すという”復讐”を手助けしようとする。だが実際には、ギャングと言えども「人を殺す事」はそんなに簡単ではないことを知る。意気揚々と銃を持って出かけたエメンタールが、「やはり俺には出来ない」と泣きながら帰るシーンが顕著だろう。やはり、彼らはマークスとは違うのである。そんな彼らがコミュニティを形成し、助け合ったり喧嘩したりしながら、仮の家族を形成していく場面と、マークスの殺戮シーンを、あえて対照的に描いているのだ。


しかも各人がいわゆる変人なので、彼らの会話はズレた間を生み、まるでブラックコメディのような笑えるシーンになっている。ボダシュカが得意満面に話する、「美しい姫が狩りにでかけた時、森で出会ったクマにダイヤのリングごと指を食べられてしまい、10年後の同じ場所で再び老いたクマを殺して、腹を裂いても指輪はなかった」という話に、全員がキョトンとする場面などは特徴的だろう。ただ、この話には「起こった出来事には因果関係がない」という本作のテーマがうっすらと示されているのは面白い。ここからネタバレになるが、オットーが亡くした娘のことを想い、マークスとマチルデの関係を羨ましいと本音で語る夜のシーンや、電車で見かけた”不審な男”は「ROJ」とは無関係だったことが解り、トイレで暴れたあとにマークスが泣くシーンなど、彼らの気持ちが深く描かれていて感情移入させられる。特にトイレの場面は、マークスが今まで溜め込んできた感情が爆発したことを表現した、名シーンだったと思う。


結局、「ライダーズ・オブ・ジャスティス(ROJ)」は列車事故とはまったく無関係だったのだが、多くのメンバーを殺されたボスが手下を連れて、マークスたちに復讐に来るのがクライマックスのシーンだ。娘を人質に取られて絶体絶命の場面では、「仲間」が助けにくる展開になり、マークスは傷つきながらも娘を救出し、彼女に素直な気持ちを伝えて大団円となる。あれだけ大勢を殺しておいて、デンマークに警察は存在しないの?は疑問だし、それにしても冒頭からあまりに偶然が重なり過ぎだろうなどのツッコミどころも感じるが、一番ひっかかるのは最後が「暴力による解決」だという事だ。そもそも孤独な人たちが”疑似家族”を見つけて、自分たちの居場所を見つけるという物語の中で、オットーたちまでもが銃を持って”一斉射撃する”という、この展開は疑問が残る。今まで積み上げてきた、「復讐の無意味さ」というテーマが弱まる効果しかないからだ。ラストのクリスマスパーティでプレゼント交換するシーンは、非常にほのぼのとした余韻を残す良い場面なのだが、直前の場面でオットーたちが「数学者らしい解決手法」であの場面を解決してくれたら、より彼らの交流が染みるシーンになったのに惜しい気がする。


冒頭「女の子」がクリスマスに欲しいと願った”青い自転車”は、実はマチルデが盗まれたもので、その為にマチルデと母親は電車に乗ることになった訳だが、ラストシーンは少女の元に”青い自転車”が届き、彼女が雪の中でそれに乗るというシーンで映画は終わる。その姿はまるで天使のようだ。そして、もちろんこの少女には何の非もないが、最初に少女がこの自転車を欲しがられなければ、マークスの妻は事故に遭わなかったかもしれないという思いは、映画を最後まで観た観客の頭をよぎる。ただ劇中で「起こった事故を、なにかの責任に結びつけることは無意味だ」とオットーが言うシーンがある。物事はそんな単純に、”悪役”を限定できないからだ。そしてそれを突き詰めることよりも、大事なことがあるのだと本作は教えてくれる。予想できない展開が用意されていて、いわゆるヨーロッパ映画らしい、あまりハリウッドでは作れないタイプの作品だろう。惜しい所も多いが、他に観たことがない特別な一作になっていると思う。

7.0点(10点満点)