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映画「ベネデッタ」ネタバレ考察&解説 本作において”痛み”は重要な要素!ポール・バーホーベン監督が描く、新たな強い女性キャラクター!

「ベネデッタ」を観た。

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氷の微笑」「ロボコップ」「トータル・リコール」「エル ELLE」など、個性的な作品を数々生み出しているポール・バーホーベン監督が手掛けた、セクシャル・サスペンス。原案となったのは、ベネデッタの裁判記録をもとに再構成されたノンフィクション「ルネサンス修道女物語 聖と性のミクロストリア」で、レーティングは「R18+」の作品である。出演は「エル ELLE」のヴィルジニー・エフィラ、「ファイブ・デビルズ」のダフネ・パタキア、「スイミングプール」「さざなみ」のシャーロット・ランプリング、「マトリックス レザレクションズ」のランベール・ウィルソン、「グレース・オブ・モナコ 公妃の切り札」のオリヴィエ・ラブルダンなど。本作は、第74回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品されている。今回もネタバレありで感想を書いていきたい。

 

監督:ポール・バーホーベン
出演:ヴィルジニー・エフィラ、ダフネ・パタキア、シャーロット・ランプリングランベール・ウィルソン、オリヴィエ・ラブルダン
日本公開:2023年

 

あらすじ

17世紀、イタリア・ペシアの町。聖母マリアと対話し奇蹟を起こすとされる少女ベネデッタは、6歳で出家してテアティノ修道院に入る。純粋無垢なまま成人した彼女は、修道院に逃げ込んできた若い女性バルトロメアを助け、秘密の関係を深めていく。そんな中、ベネデッタは聖痕を受けてイエスの花嫁になったとみなされ、新たな修道院長に就任し、民衆から聖女と崇められ強大な権力を手にしていく。

 

 

感想&解説

オランダ・アムステルダム出身のポール・バーホーベン監督も84歳らしいが、まったく作品の勢いが衰えていないのが凄い。2017年日本公開の前作「エル ELLE」は特に顕著だが、氷の微笑」「ブラックブック」「ショーガール」など、過去作でも強靭な意志を持った強い女性たちを定期的に描いてきた作家だろう。(ここには、「トータル・リコール」のシャロン・ストーンなども含まれるかもしれない)またエロティックな数々の描写も特徴的であり、その意味でもこの「ベネデッタ」は、監督の過去作品における集大成的な一作かもしれない。本作は、17世紀にレズビアン主義で告発された実在の修道女ベネデッタ・カルリーニを描いた伝記的な作品で、この実話から着想を得て作られた物語となっている。タイトルにもなっている”ベネデッタ”という女性は、幼い頃から聖母マリアやキリストのビジョンを見続け、ある日”聖痕”が浮かび上がったことから民衆の強烈な支持を得て、修道院長に就任しながらも告発された人物だ。

まず冒頭ベネデッタの子供時代シーンで、聖母像に祈りを捧げる彼女と両親が、暴漢たちにネックレスを奪われそうになるシーンがある。ここでベネデッタが彼らに毅然とした対応を取ると、突如あらわれた小鳥が男にフンを落として撃退するという場面だが、ここから既に観客へのミスリードが始まっている。このシーンを観ると、まるでベネデッタの願いを聖母が聞き入れたように見えるからだ。また同じく少女時代の修道院にて、聖母像の前で祈りを捧げていると突然、像が倒れてくるのだがベネデッタは無傷だったというシーンも、周りのシスターたちが「奇跡」だと騒ぐことによって、彼女には特別な力があるように観客が感じてしまうという演出になっている。だが実際には時系列の繋がっていない、”重なった偶然”を描いているに過ぎない。修道院長のフェリシータが、”奇跡など安易に信じてはいけない”と諭す場面なのだが、まさにこのセリフにこの場面のポイントが集約されていると思う。むしろこのシーンにおいて、倒れてきた聖母像の乳首を吸うベネデッタにこそ、彼女の本質が描かれている。このシーンのベネデッタはまるで聖母に押し倒されて、思わず乳首を吸ってしまったように見え、彼女の今後のセクシャリティの伏線に見える。

 

それから18年後。成長したベネデッタはキリストの幻視を視るようになっており、その幻視の内容によって、まるで夢遊病のように身体が動く状態になっている。劇の途中で死体の役にも関わらず足が動いてしまったり、幻視中のキリストとの会話を声に出してしまったりする。これはベネデッタの強い信仰心の裏付けであることは間違いないのだろうが、幻視の内容が非常に屈折しているのだ。幻視の中のイエスは、自分の妻としてベネデッタに様々なエロティックな要求をする。修道院という抑圧された環境の中で過ごしているベネデッタは、性的な妄想をキリストの幻視という形で視るのだが、中盤以降、途端に幻視を視なくなるのは、ある女性との出会いによって彼女が性的に満たされるからだろう。そして、その性的な開放のきっかけとなるのが、突如として修道院に舞い込んでくる”バルトロメア”という女性である。彼女に下半身を触られた直後、ベネデッタが幻視で視るのは、身体に巻き付いて襲ってくる”蛇”だ。当時において女性同士のセックスは禁じられた行為だった訳で、序盤におけるバルトロメアはベネデッタにとって、イエスへの信仰を揺るがす”誘惑の象徴”なのである。

 

 

ベネデッタがバルトロメアにキスされた後、動揺した彼女が神⽗に告解をする場面で、神⽗に「痛みこそキリストを知る唯⼀の⽅法だ」と⾔われる場面がある。本作において”痛み”は通低音のように作品全体を貫く、非常に重要な要素だ。序盤に登場したシスターは怪我によって指が欠けていたし、ベネデッタはバルトロメアに、熱湯に落とした巻糸を取り出せと命じる。さらに後半に登場する、バルトロメアを絶叫させた拷問器具「苦悩の梨」などは顕著だろう。ここからネタバレになるが、彼女自身も痛みのあまり修道院に響き渡るほどの叫び声で毎晩うなされるようになり、遂には両手と両足に「聖痕」が現れるのである。もちろん、この後で聖痕は”イバラの冠”のせいで頭にも傷が付くという、修道院長フェリシタの指摘を受けた直後に彼女の頭に傷が現れることから、これらは全てベネデッタの自作自演なのだが、この自ら”聖痕を作る”という痛みに耐えられる意志と胆力にこそ、このベネデッタという人物の特異性がある。その後ベネデッタは修道院⻑に任命され、個室が与えられることにより、ベネデッタとバルトロメアの肉体関係は深まっていくのだが、その象徴とも言えるアイテムが、あの木製の聖母マリア像で作った”ディルド”だ。これはベネデッタの肉欲が、信仰よりも勝ってしまったことを具現化したようなアイテムになっている。

 

また、二人の関係を元修道院長フェリシタが覗き見してしまった事により、フィレンツェにいるカトリック教皇⼤使ジリオーリに会いに行く場面があるが、このシーンからも当時のカトリックの腐敗ぶりが見事に表現されているのは印象的だ。ペストによって街中に死人が溢れる街の中で、教皇⼤使は豪勢な衣服をまとい、優雅に食事をしている。その傍らには彼が孕ませたであろう妊娠した召使いがおり、彼の乱れた生活が瞬時に理解できるようになっている。こんな腐敗した教会組織の中で、一介のシスターが強い影響力を持つには、神の奇跡の象徴である”聖痕を作る”という、激しい痛みを伴う行動と強靭な意志が必要だったことが、これらのシーンによって表現されているのだ。その一方でベネデッタには、弱い側面もある。病気で死にゆくシスターの全裸を見たあと、自室で鏡に映した乳房を確認し、自分が病気ではないことを感謝するシーンなどは、極めて利己的で人間ぽい行動と言える。ベネデッタは決して聖職者として完璧ではなく、簡単に欲望に負け、自己保身に走る”普通の人間”なのだと描かれているのだ。彼女はやはり本来、”聖痕”が現れるような聖女ではないのである。

 

この後ベネデッタは教皇⼤使ジリオーリに糾弾されることで、極刑のために⽕刑台に向かうのだが、ペストに罹ったフェリシタが大衆の前に現れて、この教皇⼤使ジリオーリこそがペストの元凶だと語ることで、民衆がベネデッタを救うという流れになる。結局ジリオーリは死に、ベネデッタとバルトロメアは、ベネデッタに現れた聖痕についての見解で決裂することによって、ベネデッタがもう一度修道院へ戻っていくシーンでこの作品は終わる。ベネデッタとバルトロメアは愛し合っていたように見えたが、最終的に二人が求めていたものは違っていたことが示唆された別れの場面だ。さらにジリオーリの死に際に「私の魂は天国に行けるのか?それとも地獄か?」と聞かれたベネデッタが、「天国です」と答えると「最後まで嘘つきだな」と返されるシーンがあるが、この短いやり取りの中に、二人の関係と考え方が表現された見事なセリフだと思う。

 

それにしてもポール・バーホーベン監督らしい、アクの強い背徳的な一作だ。信仰よりも金が大事な修道院長、カトリック教会の中で自分たちの出世とポジション争いが重要な男たち、同性どうしの愛欲にまみれたシスターの存在など、「これは神への冒涜である」と世界中のカトリック信者から大きな反発を招いたのも頷ける、かなり尖った作品だろう。だが本作はキリストの存在自体を否定する映画ではない。史実をベースにしながら、神を取り巻く「教会」という組織自体へのするどいメスのような作品だと思う。だが、17世紀という時代背景の男性中心の社会において、痛みの代償と信念で地位を駆け上がる女性の姿は痛快だし、シスターでありながらも性欲に負け、保身にも走ってしまう女性である”ベネデッタ”というキャラクターも魅力的だった。他の監督では撮れない映画だというだけでも十分に観る価値はある、最後まで強烈に引き込まれる一作だ。

 

 

8.5点(10点満点)