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映画「ザ・ホエール」ネタバレ考察&解説 ワンシチュエーション室内劇ながら、あの画面サイズや部屋の暗さにも意味を持たせた重層的な傑作!

「ザ・ホエール」を観た。

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レクイエム・フォー・ドリーム」「レスラー」「ブラック・スワン」のダーレン・アロノフスキー監督が放つ、2014年「ノア 約束の舟」以来9年ぶりになる劇場公開監督作であり、ヒューマンドラマ。第95回アカデミー賞では、「主演男優賞」「メイクアップ&ヘアスタイリング賞」の2部門を受賞、第80回ゴールデングローブ賞でも「最優秀主演男優賞」にノミネートされ、製作は「A24」が手掛けている。出演は「ハムナプトラ」シリーズや「クラッシュ」のブレンダン・フレイザー、TVドラマ「ストレンジャー・シングス」のセイディー・シンク、「ダウンサイズ」「ザ・メニュー」のホン・チャウ、「マイノリティ・リポート」のサマンサ・モートン、「ジュラシック・ワールド」のタイ・シンプキンスなど。原作は劇作家サミュエル・D・ハンターによる同名舞台劇である。今回もネタバレありで感想を書いていきたい。

 

監督:ダーレン・アロノフスキー
出演:ブレンダン・フレイザー、セイディー・シンク、ホン・チャウ、サマンサ・モートン、タイ・シンプキンス
日本公開:2023年

 

あらすじ

40代のチャーリーはボーイフレンドのアランを亡くして以来、過食と引きこもり生活を続けたせいで健康を損なってしまう。アランの妹で看護師のリズに助けてもらいながら、オンライン授業の講師として生計を立てているが、心不全の症状が悪化しても病院へ行くことを拒否し続けていた。自身の死期が近いことを悟った彼は、8年前にアランと暮らすために家庭を捨ててから疎遠になっていた娘エリーに会いに行くが、彼女は学校生活や家庭に多くの問題を抱えていた。

 

 

感想&解説

ダーレン・アロノフスキー監督の新作を劇場で観られることが心底嬉しい。アロノフスキー監督の代表作といえば、2009年公開ミッキー・ローク主演「レスラー」と、2011年公開ナタリー・ポートマン主演「ブラック・スワン」が有名だが、劇場公開される監督作としては、2014年日本公開「ノア 約束の舟」以来だと思うので約9年ぶりだ。2017年には「マザー!」という作品を発表しているが、日本では映画配給するパラマウントの意向によって劇場未公開となってしまい、まさかダーレン・アロノフスキーの作品がビデオスルーになるのかと当時驚いた記憶がある。ただ実際に作品を観てみるとそれも納得で、前述の「ノア 約束の舟」もタイトル通り、「ノアの箱舟」をテーマにした宗教観の強い作品だったが、「マザー!」はそれに輪をかけて、キリスト教や聖書をテーマの中心に置いた難解な作品だった事と、カニバリズムという非常にショッキングなシーンが含まれていた事が、劇場公開が見送られる要因だったと想像される。

キリスト教徒をまるで暴徒のように描いた「マザー!」は、本国アメリカでの評価も散々だったらしく、それを受けて監督は「この映画は一般の観客に向けて作られたわけではなく、ある特定の人たちへ向けたものである」とコメントしていたが、この惨敗は”ある特定の人たち”へのメッセージが強すぎた結果なのだと思う。そもそもダーレン・アロノフスキー無神論者として知られているが、常に作品から”宗教観への挑戦”を感じる。「ノア 約束の舟」では、聖書にノアに関する記述がほとんどなかったため、監督の解釈を多分に入れた結果、宗教団体からは非難を浴び、中東をはじめとする国では上映禁止になっているし、「マザー!」は前述のとおり、作品の中核を成すテーマ自体が、創造主と”母なる地球”そのものを擬人化して描くという意欲作だった。また「レクイエム・フォー・ドリーム」という、普通の主婦や若者たちがドラッグで破滅していく様子を、強烈にリアルな描写で描いた作品もあったが、宗教やドラッグ依存という、作品として扱いにくいテーマに果敢に切り込んでいく姿勢からも、アロノフスキー監督はインディペンデント体質の強いクリエイターだと言えるだろう。

 

そして本作「ザ・ホエール」は、まさにダーレン・アロノフスキーの真骨頂とも言える作品だったと思う。ただ過去作のように、依存症や宗教を扱ってはいるが、そこがメインテーマの映画ではない。監督の過去作にもっとも近いのはやはり「レスラー」だろうが、ある男が人生の最後に行動することで、過去に抱えた喪失感と罪悪感から抜け出し、贖罪される物語なのである。元々は2012年に初上映された、サミュエル・D・ハンターの舞台劇が原作であり、まったく予備知識なく鑑賞した監督が、客席が明るくなった時には「この作品の映画化権を手に入れねば」と思ったほど、入れ込んだ作品らしい。過去の辛い経験からの過食症で、体重が272キロになってしまった孤独な中年男性が、疎遠だった10代の娘との絆を取り戻すため、人生最後の5日間を過ごすという内容のヒューマンドラマである。なにせ主人公のチャーリーは、自力で歩くこともままならない為、本作は完全にチャーリーの部屋という”ワンシチュエーション”のみで進行していく。ところがこの部屋自体が、登場人物の一人のように演出されており、雄弁にチャーリーの心情を描いていく設計が本当に上手い。

 

冒頭の主人公チャーリーの登場シーンから、部屋全体がものすごく暗い。外では雨が降りしきっており、カーテンが閉じられた部屋は、そのままチャーリーの心の中を表現している。”自分では自由に動くことの出来ない身体”とは、彼のメンタリティそのものを表現しており、このままでは死ぬことが分かっているにも関わらず、チャーリーは病院にいくことを拒否している。セリフではなく画面で描かれる全てが、キャラクター描写に直結しており、スクリーンからの情報量が多いのが本作の特徴だろう。また本作は通常のシネスコサイズではなく、4:3のスタンダードサイズなのだが、これにも演出的な意味合いがあると思う。この4:3サイズという狭い画面に彼の巨体が映ることによって、異常な圧迫感を感じるのだ。これは272キロという巨漢のビジュアル的なインパクトを描きたいのと同時に、彼の人生における閉塞感そのものを表現していると思う。狭いスクリーンに映るチャーリーはいつも苦しそうで、膨張した身体をコントロールできない。床に落ちたリモコンや鍵さえ、自力で拾うことができないのだ。とにかく本作の画面は、常に”暗さと圧迫感”が支配しているのである。

 

 

その主人公チャーリーを、「ハムナプトラ」シリーズのブレンダン・フレイザーが演じているのだが、彼の演技が本当に素晴らしい。アロノフスキー監督は、「チャーリー役の俳優を見つけるまで10年かかった。でもブレンダンとの本読みで、”この映画は彼と作りたい”と確信したんだ。彼の中にチャーリーのDNAが見えたんだよ。ブレンダンはチャーリーが抱いている喪失感を真に理解していた。」とインタビューに答えているが、その直感は正しかったという事だろう。ブレンダン・フレイザーは、ハリウッド外国人映画記者協会の元会長から受けたセクシャルハラスメントによって鬱状態となり、一時期ハリウッドの第一線から退いていたが、本作の演技でアカデミー「主演男優賞」を受賞し、見事カムバックを遂げている。このあたりも、キャリアがドン底だった時期に出演した「レスラー」によって、ミッキー・ロークが再評価された流れとよく似ている。アロノフスキーは俳優自身の人生と、役柄をマッチさせて最高の演技を引き出す能力に長けた監督なのかもしれない。

 

タイトルの「ザ・ホエール」とはクジラの事であり、本作においてはそれが重要な意味を持って語られる。まず大学のオンライン講師をしているにも関わらず、自分の容姿に劣等感を抱いているチャーリーは、常にPCのカメラをオフにしている。クジラは高い知性を有しておりコミュニケーションも取れる哺乳類だが、普段は巨大な身体を水面下に隠していることから、チャーリー自身がクジラのメタファーなのだろう。次に”エッセイ”だ。ここからネタバレになるが、アメリカ文学の傑作である、ハーマン・メルヴィル著による「白鯨」に関する、娘エリーが書いたエッセイが本作では大きくフォーカスされるが、この文章にチャーリーは大きな感銘を受けている。それは文章から書き手を内面を読み解く才能に長けたチャーリーが、このエッセイからエリーの”素直な”気持ちを感じ取っているからだろう。「白鯨」の主人公エイハブが人生を賭けて鯨に復讐することの無意味さ、鯨に関して長々と描写される退屈な脱線は、この悲劇の結末を少しでも先送りさせるための優しさであることを、彼女は指摘している。そしてこの文章の意図が理解できるチャーリーだからこそ、母からは見放され、最後まで父を辛辣な言葉で責める娘エリーの優しさと素直さを、最後まで信じられるのである。

 

架空の宗教団体である、ニューライフ教会の宣教師トーマスは「チャーリーを救いたい」と何度も言い、彼の元を訪れる。だが同性愛の過去と肉への欲望を捨てて、魂の浄化を促すトーマスに、チャーリーは最愛の彼と愛し合い、交わした言葉の尊さを告げる。そして、自分の身体を指して「おぞましいか?」と問いかけ、トーマスはその勢いに圧されて、思わず「おぞましい」と本音を告げてしまう。結局、彼の魂を救えるのは終末論を唱える宗教や信仰ではないと描くこれらのシーンには、やはりダーレン・アロノフスキーの作家性を感じてしまう。そしてラストシーン。今までとは違い、開け放たれた扉の向こうから光が差し込む部屋において、エッセイを読むエリーに向かって、チャーリーは歩を進める。鯨のように大きな身体を揺すりながら、懸命に歩くチャーリーの足元が光に包まれ宙に浮いたような描写になり、映画はエンドクレジットを迎える。まさにこのシーンの為に、今までの暗く圧迫感のあった画面を作っていたような、強烈な解放感とカタルシスのあるラストだ。舞台劇は一気に暗転して終わるらしいが、ここはまさに”映画的な演出”の素晴らしいシーンだった。

 

リズ役を演じたホン・チャウや元妻メアリーを演じたサマンサ・モートンなど、役者陣は全員熱演だったし、本当に重層的なメッセージを含んだ傑作だったと思う。ジャンクフードを食べ漁る描写が哀しく印象的だったが、恐らくあと何度か観返さなければ、気付かないポイントもあるだろう。ここ数年の中では間違いなく、ダーレン・アロノフスキー監督のベストワークだと感じる。「人生で1つだけでも、正しいと思えることをしたいんだ」というのは、本作におけるチャーリーのセリフだが、苦難を乗り越えてこの役を掴んだ、俳優ブレンダン・フレイザー個人の声にも聞こえて、胸に迫るものがあった。

 

 

8.5点(10点満点)