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映画「カード・カウンター」ネタバレ考察&解説 あのラストシーンは何を表現しているのか?を考察!ポール・シュレイダー監督によるアンチカタルシスな一作!

「カード・カウンター」を観た。

タクシードライバー」「レイジング・ブル」で脚本を務め、「アメリカン・ジゴロ」「魂のゆくえ」などではメガホンを取ったポール・シュレイダーが、監督/脚本を手掛けたスリラー作品。マーティン・スコセッシが製作総指揮を手がけ、2021年の第78回ベネチア国際映画祭ではコンペティション部門で出品されている。出演は「インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌」「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」などのオスカー・アイザック、「アンクル・ドリュー」のティファニー・ハディッシュ、「レディ・プレイヤー1」のタイ・シェリダン、「7月4日に生まれて」のウィレム・デフォーなど。本作は、ポール・シュレイダーの前作「魂のゆくえ」から続くなんと三部作の二作目らしく、もう次回作も制作完了しており、ヴェネチア映画祭ではプレミア上映済みらしい。今回もネタバレありで感想を書いていきたい。

 

監督:ポール・シュレイダー
出演:オスカー・アイザックティファニー・ハディッシュ、タイ・シェリダン、ウィレム・デフォー
日本公開:2023年

 

あらすじ

上等兵ウィリアム・テルアブグレイブ捕虜収容所における特殊作戦で罪を犯して投獄され、出所後はギャンブラーとして生計を立てている。当時の罪の意識にさいなまれ続けてきた彼は、ギャンブル・ブローカーのラ・リンダと父親の復讐に燃える青年カークに出会ったことにより、自らの過去と向きあうことを決意する。

 

 

感想&解説

劇中でタイ・シェリダン演じる青年カークが、「同じことの繰り返しで、先に進んでいる気がしない」と告げるセリフがあるが、まるでこの言葉がこの映画を表現しているようだ。ブラック・ジャックやポーカーにおいて、その場に出されているカードの数字を数えることによって、残りのカードの数字を推察して勝率を上げるというスキルを発揮する、「カード・カウンター」というギャンブラーを冠したタイトルの割には、あまりにも地味で展開の乏しい作品だからだ。そしてなにより、ポール・シュレイダーらしいとしか言いようのない、「タクシードライバー」や「魂のゆくえ」でも繰り返し描かれてきた、悔恨を抱き続け過去に囚われて生きている男が、本作でも主人公となっている。カジノやギャンブラーといった華やかな世界を想像させるワードとは真逆の、かなり鬱々とした作品だと言えるだろう。だがこれは決して映画のクオリティが低いわけではなく、作品のテーマからあえてこういう演出手法を取っているのだと推測する。

本作でオスカー・アイザックが演じているビルという男は、アメリカ国内に点在するカジノを渡り歩き、ギャンブルによって生計を立てているのだが、決して大勝ちを狙っておらず、小さく勝つことでディーラーからも目を付けられず、目立たないように生きている。しかもカジノのあるような高級ホテルには泊まらず、近場の安ホテルに着くと、部屋にある家具をすべて白い布で覆ってしまい、日記を書く日々。この日記を書くという作業がすでに「タクシードライバー」のトラヴィスであり、「魂のゆくえ」のトラー牧師を思い出すが、ビルはかなり禁欲的な生活を送っている。そして、その理由が劇中で段々と明かされていくのである。ここからネタバレになるが、ビルは過去10年間に亘って刑務所に服役していたのだが、それはイラクアブグレイブ刑務所における”捕虜虐待”によって有罪になった為だ。

 

これは9.11以後にアメリカがイラク戦争で軍事進攻した際、イラクアブグレイブ刑務所において実際に行われたことで、殴る蹴るの暴力行為は日常茶飯事、水責めや電気ショック、大音量でヘビメタを聴かせることで囚人を眠らせなかったり、性的暴行などの非人間的な拷問していたという、報道によって世界中に広がった事実を描いているのだろう。キャスリン・ビグロー監督の2013年公開作「ゼロ・ダーク・サーティ」でもこのような拷問描写があったが、本作の主人公ビルはこの囚人虐待を行った事による、罪の意識に苛まれている。ビルの夢で出てくる捕虜収容所は、極端な広角レンズによって端が歪んだような不思議な映像になっていたが、自分がそこに立っているかのような地獄的な感覚に襲われるのである。このビルの”贖罪意識”によって、この映画のトーンはダークでシリアスなものになっているのだ。

 

 

そして本作は、強烈なアメリカ批判と皮肉に満ちている。上記のように他国への拷問を許可していた、当時のブッシュ政権への非難はもちろんのこと、それでも世界のパワーゲームには勝ち続けるアメリカという国を、「USA!USA!」といつでも大騒ぎして、全身に星条旗をまとったライバルギャンブラーに投影してみたりする。彼は主人公のビルより、唯一このカード勝負に勝ち続ける存在だ。本作は本国アメリカでは2021年公開作品なのだが、映画好きで知られる元オバマ大統領の2021年ベスト映画としても選出されているらしい。これは本作が描こうとしている、政治的な演出も無関係ではないだろう。そしてビルが名乗っている「ウィリアム・テル」という、”これぞ偽名”という分かりやすい名前も、スイスの英雄で弓矢の達人の名だ。息子の頭に乗せたリンゴを射ったことで有名な人物だが、上着の中に隠していたもう1本の矢が見つかり悪徳代官だったゲスラーに逮捕されるのだが、舟で牢屋へ運ばれていく途中で脱走し、遂にはゲスラーを殺すという展開は、本作の着地にも近いものを感じてしまう。

 

「あいつは助けがあればやりなおせる」とビルが立ち直らせようとする青年カークは、父親が死んだ恨みのため、ウィレム・デフォー演じるジョン・ゴード大佐を殺そうと狙っている。だがビルは、彼の復讐を止めさせ母親の元に帰らせることによって、もう一度人生をやり直させようとする。元上司だったゴード大佐の冷酷さをよく知っているビルは、カークごときが大佐への復讐を成功させられるはずがなく、失敗することが見えていたのだろう。そして自分の人生の中で、誰か一人でも他人の人生を良い方向に変えたかったのだと思う。だからこそ、カークが母親の元に帰ったと思った後、ビルはやっと自分の人生を歩きだせるとラ・リンダの部屋を訪れ、そこで二人は結ばれるのである。だがその後カークがゴード大佐の家に行き、やはり返り討ちに遭ってしまったことを知ったビルは、ギャンブルの大勝負もラ・リンダという大切な存在も捨てて、復讐に向かってしまう。そしてゴード大佐を殺したあともう一度刑務所に服役したビルに、ラ・リンダが面会に来るところで本作はエンドクレジットとなる。

 

あの面会の場にある透明なアクリル板を挟んで、二人の指が重なっているところにエンドクレジットが流れる場面は、画面を止めてしまう”ストップモーション”ではなく、時間が経過していることを表現する”長回し”だ。この演出によって二人の時間が止まっていないことを表現しており、彼らの明るい未来がうっすらと暗示されているのは、この暗く救いのない映画における、監督からの最後の優しさなのかもしれない。それくらい、このラストシーンはロマンチックな場面であったと思う。過去の贖罪に苛まれた男が、やっと掴んだ幸せだったのにも関わらず、やはりそれを捨てて復讐や破滅に走ってしまう男というのは、ポール・シュレイダーが過去作で繰り返し描いてきた展開だが、このラストシーンのお陰で観客は少しだけ救われた気分になるのである。そして、この場面は「アメリカン・ジゴロ」における、リチャード・ギアとローレン・ハットンの刑務所のラストシーンにも通じる。逆境にいながらも、最後まで愛し合う二人が描かれるのである。

 

それにしてもあまりに展開の起伏がない、地味な作品であることは否めない。これはこのビルという男の苦悶に満ちた、ストイックな繰り返しの日常を表現していると思うので、演出としてはもちろん的確なのだが、それでも相当にアンチカタルシスな映画だと言えるだろう。なんといっても、刑務所の中マルクス・アウレリウスの「自省録」を読んでいるような主人公なのである。ポール・シュレイダー監督は「スリ」「湖のランスロ」「ラルジャン」など、ほとんど俳優を使わず、あえて感情表現を抑えた作風だったフランス人映画監督ロベール・ブレッソンのファンらしいが、なるほどそれも頷ける。ただ本作における、オスカー・アイザックの演技は素晴らしく、彼の暗く濁った眼の力でこのビルというキャラクターが活きていたし、出演時間は短いがウィレム・デフォーの登場も素直に嬉しい。いわゆるエンターテイメント性はかなり低いが、作り手からのメッセージ性と高い演出力に支えられた作品だと思う。しかしこうなるとすでに完成しているというジョエル・エドガートンが出演した、三部作最後の「Master Gardener(邦題未定)」も観るしかないだろう。本作は前作「魂のゆくえ」との類似点が多い作品だったが、次作もやはり孤独な男を描いた映画になるのだと思う。日本公開はまだ決まっていないようだが、新作を楽しみに待ちたい。

 

 

5.5点(10点満点)