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映画「インディ・ジョーンズと運命のダイヤル」ネタバレ考察&解説 インディが表現する時代に取り残された男の悲哀!このノスタルジーに酔えるかどうかが本作の分かれ道!

インディ・ジョーンズと運命のダイヤル(インディ・ジョーンズ5)」を観た。

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1981年「レイダース/失われたアーク《聖櫃》」から始まった、スティーヴン・スピルバーグ監督/ジョージ・ルーカス製作総指揮のアクションアドベンチャー映画の金字塔「インディ・ジョーンズ」シリーズの最新作。主演はもちろんハリソン・フォードで、前作「クリスタル・スカルの王国」から15年ぶりの第5作目のシリーズ作となる。今回の監督はなんと、スピルバーグから「ウォーク・ザ・ライン 君につづく道」「3時10分、決断のとき」「フォードvsフェラーリ」など数多くの名作を送り出してきた、ジェームズ・マンゴールドに交代となっている。共演は「007 カジノ・ロワイヤル」「アナザーラウンド」のマッツ・ミケルセン、「ハン・ソロ スター・ウォーズ・ストーリー」のフィービー・ウォーラー=ブリッジ、「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」「デスペラード」のアントニオ・バンデラス、過去作にもサラー役として登場したジョン・リス=デイビスなど。音楽は”あのテーマ曲”を生み出した、巨匠ジョン・ウィリアムズが続投している。シリーズ最終作となる「運命のダイヤル」はどんな作品だったか?今回もネタバレありで感想を書いていきたい。

 

監督:ジェームズ・マンゴールド
出演:ハリソン・フォードマッツ・ミケルセンフィービー・ウォーラー=ブリッジアントニオ・バンデラス、ジョン・リス=デイビス
日本公開:2023年

 

あらすじ

考古学者で冒険家のインディ・ジョーンズの前にヘレナという女性が現れ、インディが若き日に発見した伝説の秘宝「運命のダイヤル」の話を持ち掛ける。それは人類の歴史を変える力を持つとされる究極の秘宝であり、その「運命のダイヤル」を巡ってインディは、因縁の宿敵である元ナチスの科学者フォラーを相手に、全世界を股にかけた争奪戦を繰り広げることとなる。

 

 

感想&解説

子供のころ、初めて映画館に一人で行って観た映画が、89年公開の「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」だった。80~90年にかけてハリウッド映画が日本でも大ヒットを飛ばし、毎週のように大作洋画が封切られていたが、その中でも個人的に「インディー・ジョーンズ」シリーズは特別だったし、映画そのものの楽しさを教えてくれるような作品だったと思う。特に一作目の「レイダース/失われたアーク《聖櫃》」はテレビ放映が繰り返しされていたこともあり、何度観たか分からない。DVDからブルーレイとソフトを買い直し、「ダイ・ハード」や「バック・トゥ・ザ・フューチャー」シリーズのように、節目節目で観返す作品になっているが、こういう映画ファンはきっと多いことだろう。それだけに2008年公開の「クリスタル・スカルの王国」に対する落胆は大きく、核実験場で冷蔵庫に入るあのシーンを筆頭に、もうインディシリーズに期待するのは止めようと、諦めのような気持ちで映画館を後にしたことを覚えている。よってこの5作目が撮影中という情報を聞いたときも、正直あまり期待していなかったのだが、監督がジェームズ・マンゴールドに代わったこともあり、公開初日に居ても立ってもいられず劇場に駆け付けてしまった。

誤解を恐れず言うなら、4作目以降の「インディ・ジョーンズ」はもう”アクション映画”とは言い難いと思う。現代の潮流としてアクション映画は、「ミッション・インポッシブル」シリーズのトム・クルーズや「ジョン・ウィック」シリーズのキアヌ・リーブス、「アトミック・ブロンド」のシャーリーズ・セロンのように、俳優自らの鍛錬によってとてつもないアクションシーンを披露してくれるか、「ワイルド・スピード」シリーズのヴィン・ディーゼルドウェイン・ジョンソンのように、筋骨隆々キャラが破天荒なアクションを行う作品が増え、確実に観客の目は肥えてきている。しかも観客のリテラシーが上がったことで、このシーンは本人なのかスタントマンなのか、VFXなのかリアル撮影なのかなどカメラアングルやショット演出によって、ある程度(もちろん全てではないが)判別できるようになってしまった。だからこそ上記の俳優たちはとてつもない努力と時間を重ねて自らスタントを行い、”リアルなアクションシーン”を作っているのだろう。そういう意味では当然、老齢のハリソン・フォードが激しいアクションシーンを演じられるはずがなく、前作「クリスタル・スカルの王国」でも、インディが走っていたりジャンプするショットは必然的にバックショットが多く、カットも細かく割られてしまった。正直アクションシーンは、ほとんどがスタントダブル(代役)なのだろう。派手なアクションシーンの割に説得力がまるでないのである。

 

だが本作「運命のダイヤル(インディ・ジョーンズ5)」に関しては面白い撮影をしているようで、映画冒頭ナチに囚われ頭から袋を被せられた男が登場し、その袋が取られると彼がインディ・ジョーンズだというオープニングシーンがある。そしてその顔が、おおよそ30代の若いハリソン・フォードなのである。これは単純にCGで彼の顔だけを修正しているだけではなく、ルーカスフィルムが保存していた数百時間分という大量の保存フィルムを、AI技術でコンピュータに取り込んだものを使用しているらしく、ハリソン・フォードを40年前、実際に撮影した素材を使っているらしい。しかも画角や明るさなどが一致するショットをすぐに発見できるシステムを構築し、過去のアーカイブから素材をスムーズに探せた事により完成したショットというから驚かされる。これに今のハリソン・フォードがセリフを当てているというのだ。だからこそこの冒頭における夜の列車シークエンスは、観ているこちらも非常にテンションが上がる。もちろん背景もCGで合成され、全てが相当に作り込まれたショットなのだが、それでも若々しいインディ・ジョーンズが実際に走り、ジャンプしている姿が観れるのは大きな喜びだ。

 

だが逆を言えば、このオープニングシークエンスが本作最大の盛り上がりで、そこからは尻すぼみになっていくのは否めない。舞台はそれから25年後の1969年となり、ザ・ビートルズの「マジカル・ミステリー・ツアー」が街に流れる中、インディは70歳になっている。いわばビートルズを理解しない”大人側”の人間だ。レイダース/失われたアーク《聖櫃》」の時代設定は1936年であり、彼が37歳という設定だったので33年後、前作「クリスタル・スカルの王国」からは12年後という設定だ。完全に年を取ったインディが寝起きのまま半裸で登場するのだが、ここでのハリソン・フォードの身体には確かに驚かされる。70代とは思えない締った身体で、”インディ・ジョーンズ”としての説得力を映像として持たせようとしているのが、画面から伝わってくるからだ。だが実際にアクションシーンが始まってしまうと、やはり前作同様スタントダブルによるショットが多用され、アクション映画としては圧倒的にスリル不足になる。今作は地下鉄を馬で走るシーンやカーチェイスなど乗り物を使ったアクションが多いのだが、これはハリソン・フォードが実際に走ったり格闘するよりは、スタントマンに代替えしやすい上に、彼の身体的な負荷が軽いからという理由なのだろう。

 

 

では、「インディ・ジョーンズと運命のダイヤル」はどういう作品なのかと言えば、シンプルに”ノスタルジックな冒険映画”なのだと思う。そして完全にシリーズファンのための映画だ。よって本作は強烈に観客を選ぶ作品になっているし、逆にいえば本作をシリーズに思い入れのない方が鑑賞しても、ほぼピンと来ない作品になっていると思う。やや厳しい言い方をすれば”卒業式”のような作品だ。もちろんストーリーを追うだけであれば、過去作の知識はほぼ必要ないが、随所に現れるシリーズ過去作への目配せを拾っていかないと、ほぼ魅力の薄い作品に感じてしまうのではないだろうか。そしてこれは作り手も完全に意識的だろう。インディのトレードマークである帽子とムチが映る度に、ジョン・ウィリアムズのテーマ曲がうっすらとかかり、「レイダース」「最後の聖戦」で冒険を共にした、ジョン・リス=デイヴィス演じるサラーがタクシー運転手として登場することで、今回も友人であるインディを救う。水中に潜ればわざわざ「蛇」というセリフまで入れて、インディが唯一苦手とする蛇を想像させるような巨大ウナギを登場させ、一緒に冒険するのが欧米や欧州以外の子供と女性という組み合わせは、明らかに「魔宮の伝説」のショート・ラウンドとウィリーを彷彿とさせる。また前作で登場したシャイア・ラブーフ演じるマットはすでに戦争で死んでいることが語られ、今回の敵もやはりシリーズ通しての宿敵であるナチス・ドイツなのだ。しかもお約束の”虫がいっぱい”のシーンまである。

 

そしてここからネタバレになるが、そのノスタルジーが極に達するのが、あのエンディングシーンだろう。今作は時間を遡れるという”運命のダイヤル”を巡る物語なのだが、マッツ・ミケルセン演じるユルゲン・フォラーというドイツ人がヒトラーの犯した失敗を修正し、ドイツを勝たせるために過去に向かうが、なんと紀元前のローマ時代に到着してしまう。そこはインディが考古学者として研究していた憧れの時代だった為、彼はこの時代に残るという選択をしかけるのだが、ヘレナに強引に連れ戻された1969年で、息子の死によって関係が悪化し別居していた妻マリオンと再会する。そしてここで、一作目「レイダース」で行われた、あの伝説の”ロマンティックシーン”が再現されるのである。このキスシーンの引きのカットも実に品が良い。このシーンがある事によって劇中のインディとマリオンと同じく、歳を取った往年のファンたちも一気に若かったあの頃に引き戻されるのである。そしてカメラがアイリスアウト(画面を丸くワイプする手法)して、ベランダに干された例の帽子を取るラストカット。もともとが往年の冒険映画や「007」を意識して作られた作品らしい、古めかしい演出によって本作はエンドロールを迎える。

 

そもそも本作のインディは、時代に取り残された存在だ。若く逞しい大学教授として輝いていた「レイダース」の時代とは変わり、今は授業中も学生は自分の講義など聞いていないし、自慢のムチを振ってもその直後にはあっさりと銃によって反撃されてしまう。だからこそ、紀元前のローマで憧れのアルキメデスに会ったインディは、この時代に残りたいと切望する。もう元々彼がいた1969年に未練はないからだ。だがそれでも過去に留まるのではなく、歳は取ってもまた未来に向けて歩き出さければいけないと、この40年前に始まった「冒険活劇」はラストに語り掛けてくるのである。映画業界もMCUを始めとするアメコミ作品が台頭し、すっかり80~90年代には存在した王道の冒険アドベンチャーというジャンルは影を潜めてしまった。そんな様子を、この老年のインディ・ジョーンズは表現しているように感じる。だからこそ古き良き冒険活劇を、この2023年にもう一度大スクリーンに蘇らせたのが、この「インディ・ジョーンズと運命のダイヤル」だったのだろう。ジェームズ・マンゴールド監督という、手堅い職人監督のチョイスも納得である。

 

今まで書いてきたように、アクション映画としては明らかに精彩を欠いた凡作だし、謎を解いていく過程も面白くはない。しかもマッツ・ミケルセンフィービー・ウォーラー=ブリッジらが演じるキャラクターもいまいち魅力に欠けるし、特にアントニオ・バンデラスが演じたダイバーなどはあまりに不憫な最期で、せっかくのバンデラスの出演が勿体ないくらいだ。だがこのインディ・ジョーンズシリーズの最後としては、この着地しかなかったと思えるし、前作「クリスタル・スカルの王国」と比べれば、断然出来が良いのも事実だ。そしてなによりこの映画には、あの「インディ・ジョーンズ」を観ているという感覚が確かに感じられるのである。本作を観たあとに感じることは、決してこのシリーズだけはリブートしてほしくないという事だ。インディ・ジョーンズ”を演じられるのはハリソン・フォードだけだし、このシリーズは本作でしっかり幕を閉じたと感じる。結局、エンドクレジットでもう一度かかるインディのテーマ曲を聞きつつ強烈なノスタルジーを感じながら、このシリーズの終幕を喜べるかどうかが本作の評価を分けるポイントなのだろう。そういう意味で、本作はここまで付いてきてくれた往年ファンだけに向けた、ご褒美のような作品なのだと思う。

 

 

6.0点(10点満点)